記事が長くなってしまったので、昼記事の続きをこちらへ。
24年前の1月16日は楽しい日常を過ごした人ばかりではありません。
瀕死の重傷であったり病気であったりした人たちもいれば
裏切りに悔しさをにじませて、人を恨んでいた人もいたでしょう。
次の早朝の午前5時46分。地震ですべてが変わりました。
今もそれは続いていて終わりはありません。
生き残った人たちは胸にその思いを抱いて生きていると思います。
この時、出張のご主人を送っていくために高速を運転していてあの被災にあった従姉。
そのご主人は去年亡くなり、また一人あの震災の恐ろしさを伝える人はいなくなりました。
今も生き残ったことへの感謝と後悔の人生を歩む従姉。
でも地震のニュースを聞くたびにいまだに心は震えるそうです。
あれから24年の間に日本は各地で巨大地震が起きました。
- ボクも覚えているでワホよ -
そうだね。。。
新潟中越地震、東日本大震災、長野県北部地震、熊本地震。
そして去年も大阪府北部地震、北海道胆振東部地震。今年早々の熊本地震。
どの地震も犠牲者、被災者がいます。平成に起きた大地震。
そして、昨日行われた平成最後の歌会始で天皇陛下が読まれた歌は
「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」
阪神淡路大震災の復興の象徴「はるかのひまわり」へ心を寄せて詠まれたのです。
- はるかのひまわりって何なのでワホか -
はるかのひまわりと言うのはね、阪神淡路大震災の時に
神戸市東灘区で亡くなった女の子のはるかちゃんというこの自宅跡に
ひまわりが咲いたんだよ。
- いつのまにか、なのでワホか -
うん。地震のあと、土の中で耐えていたひまわりの種が春になって芽吹いて
そして夏に大輪の花を咲かせたんだよ。
- そのひまわりから採った種なのでワホか -
そうね、それをその街に住んでいる皆さんが復興の活動のひとつとして
各地に配ったのが始まりなんだよ。
- すごいでワホな、いろんなところに種が -
これはね、さっきもお話したようにいろんな災害地、、、
新潟県中越地震や東日本大震災や海外にも復興の象徴として贈られているんだよ。
阪神淡路大震災からほぼ2週間後、被災地を訪れ被災者の皆さんを励ます両陛下。
若いですね、お二人ともまだ髪も黒く、ちょうど今の皇太子殿下くらいでしょうか。
精力的に活動されていましたね。
両陛下が活躍されて、平和をいつも祈っていただいた平成が終わります。
その最後の歌会始に思いを寄せたのが「はるかのひまわり」。
未曾有の大災害、時が経っても風化はさせてはいけない、
そういう思いが込められたのだと思います。
こうして年老いていくCooと私と
四季を一緒に過ごし
そして今日この日の朝陽に照らされた北アルプスにかかる雲。
見事な淡いピンクに染められた大地。
一緒に歩く影、伸びる影。
すべての色んな命のバトンとリレーを続けていくためにも
この、自分の住む故郷を大切にしたい、人を大切にしたい。
そう思った鎮魂の朝でした。
ということで
ありがとワホよ
長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
尚、表と両陛下の写真は神戸新聞NEXTからお借りしました。
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いつもホントにありがとう
今一生懸命頑張っているシニアの子、保護犬の仲間達、病気の子
友達みんなへ届け~~~特大元気玉!
日本各地の被災地の皆さんが1日も早く元気に穏やかに過ごせるように。
病で闘う皆さんが笑顔で明日も過ごせるように。
安曇野から今日も明るく願います。