仙台はだいぶ暑さが和らいできたような気がする
朝に蒸し暑くなることがなくなってきました。
このまま少しずつ秋になるのでしょうか。
まだまだ暑い地域の方は体力が落ちませんように
ときどきお話している外猫のまる男の存在。
私が青森実家にいた頃、仲良くしていた子です
ケンカっ早くていつも首回りにケガをしていて、そのわりに雌猫(メス猫)や子猫には優しい男の子でした
まる男の姿を見ただけで逃げて行く雄猫(オス猫)も
もしかしてボス猫だったのかな。
若い頃のまる男はちょっと目がきついけれどツリーに似てるような気が…
体の大きな子で、実家の庭に作った箱状のハウスを憩いの場にしてくれました
ウェットのご飯が苦手らしく、私が買ってきたウェットを表面だけペロペロ舐めて「これ以上は無理だよ」と言うように、じーっとこちらを見上げていました。
まる男なりに気を遣っていたんですよね。
嫌いなものを出されても見向きもしないことはなかったです
私の膝に上がったり抱っこされるのが大好きだったまる男。
年取っておじいちゃんニャンになってもゴロゴロ喉を鳴らして甘えていました
外猫にしては長生きした方なのかもしれません。
晩年、どちらかの目の上に出来物ができてそれがどんどん大きくなったようです。
その頃、私は関東で一人暮らしをしていました。
まる男にとっての最後の秋に実家に帰って抱っこしたら、それまでズッシリと米俵みたいに重かったのがフワッと軽くなっていました。
おまけに秋なのにモコモコした毛が生えずに夏毛のままでいて、「この子はこの冬を越す準備ができないのだ」と察しました。
その予感通りに年が明けた1月末にまる男はお星様になりました。
実家の家族が動けなくなったまる男のお世話をし、庭のハウスにホッカイロを交換しながら入れたり排泄の処理をしていました。
食べることもままならず、好物だった牛乳を水で薄めた飲み物が飲めずに水だけを少し飲むようになり、とうとうその水すら飲めないようになりました。
私や家族に懐いていたとはいえ、元々は外猫です。
死の予感がしてどこかへ行こうとしたのでしょう。
最後に力を振り絞ってハウスから出て(落ちて)、そこで母が「まる男!!」と叫んだらピクピクと動き、それが彼の最期でした。
お骨になったまる男の目の辺りはピンク色になっていました。
人間でも病魔(ガン)に侵されたところはピンク色になると聞いたことがあります。
まる男の目の上の出来物は悪性腫瘍だったのかもしれません。
まる男のエピソードはたくさんあって、当時私達家族を笑顔にしてくれました。
今、まる男の旅立ちを振り返ってみても涙が止まりません。
人間も猫もいつかはこの世とお別れします。
わかっていても愛する人、愛する猫とのお別れは耐え難いものがあります。
そしてまたお星様になった子がいます。
ゆきむら梨江さんの愛する子が旅立ちました。
しょう君はこれまで治療に一生懸命励んできて、最近、体調を崩したことがきっかけで梨江さんは自宅に酸素ハウスを用意しました。
しょう君が点滴治療から自宅へ帰り、酸素ハウスの中で横たわり、その夜でしょうか
静かに息を引き取りました。
梨江さんもしょう君も長年闘病していて、お互いに支え合っていたと思います。
大切なしょう君の旅立ちにただただ驚くばかりで、なんと言葉をかけていいのかわかりません。
しょう君
お別れの記事はこちら → 『しょう君、旅立ちました』
どうか安らかにお眠りください。
心からご冥福をお祈りいたします。
猫ママさんがチャリティコンサートの為にチラシに入れる絵を描いてくださいました
なんて心が温かくなる絵なんでしょう。
猫と人が信頼で結ばれてどちらも笑顔になっている
しょう君もまる男もこんな気持ちだったのかな。
一緒にいたときにこうして笑顔でいられたのなら、幸せな猫生だったのではないでしょうか
「お別れは僕だって悲しいよ…」
そうだよね、一緒に祈ろうね。
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