終戦記念日について思う ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 僕の知り合いにNという人がいて、いろいろと聞いた話です。実はこの人はGHQに雇われて、日本人を摘発した人です。終戦当時の飛行機乗りが、このような職業に就いたのです。日大教授のTは、元特攻隊員なのに戦後の仕事は、GHQの手先となって日本人を告発したのです。

 「ここにこんな変な本があります。非常に危険です」と英文に訳してGHQに報告したのです。その日本人をGHQが処分するという流れがあったのです。Nは、その仕事に携わったことを後悔しているのですが、その人は人格が崩壊していました。

 「日本人を売る」などということをしていたら、どこにももう人格などありません。口先だけで誤魔化して、ヘラヘラしていたのです。Nは面白い人で、僕の会合に予科練の格好をして「捧げ銃!」をやったら銃がバラバラに壊れてしまったのです。

 Nは、特攻機に乗ってマフラーが風になびいている写真をもっていたのです。「貴方、終戦当時軍歴は6ヶ月しかないので、ゼロ戦に乗れるわけがないでしょう」と僕が指摘すると、「エッヘッヘッ、バレたか」という顔をしていました。こんな人がいたのです。

 もう一人は日大教授で湘南工科大学の学長までやった人です。そのような連中が集められて、GHQの手先として日本人を告発した組織があったのです。

 それも悪いのですが、最も悪いのは、アメリカです。これを日本人は忘れてはいけません。アメリカは正義の味方ではありません。どうして戦争になったのでしょうか? 様々な理由がありますが、単純に見ればよいのです。

 カリフォルニアの日本からの移民が苛められて財産を没収されて、日本人は土地が持てなくなったのです。石油はあげない、鉄くずの配給も停止、ルーズベルトとシナ人の陰謀により、どんどん日本は追い込まれていったのです。

 日本は戦争をするように追い込まれていったのです。これが事実です。日本は世界を征服するためにした戦争は一度もありません。GHQは、「お前達は世界征服を企んで戦争をしたのだろう。だから日本が悪いのだ」と言ったのです。事実は全く違います。日本は防衛するために戦争をしたのです。

 日本には石油も来ない、鉄くずも来ない、アメリカ移民の財産も取り上げられてしまったのです。現在、北朝鮮が締め上げられていますが、あれよりもっと厳しいことをアメリカは日本にやったのです。それによって日本人は立ち上がらずを得なかったのです。

 しかも、海軍にはスパイが大勢いたのです。何故、スパイがいたのかというと、簡単です。海軍は薩摩閥です。薩摩の連中しか偉くなれないような雰囲気があり、地方から行った人間は馬鹿にされたのです。

 山本五十六は長岡藩です。長岡藩は河合継之助と共に最後まで戦った藩です。完全な朝敵です。朝敵の中から海軍に入っても、苛められたのだと思います。軍人だから「俺は苛められた」などとは言いませんが、苛められたのだと思います。

 海軍は海外へ行って、駐在武官をやります。駐在武官としてアメリカの大使館にも入っています。その時に「どうぞ、パーティーにおいでください」と誘われて、パーティーへ行くと、女もあてがわれてしまうのです。

 山本五十六は博打好きです。アメリカで博打・女をあてがわれてしまったのでしょう。山本五十六は、「帝国海軍など滅びればよい」と思ったのでしょう。「山本五十六は、帝国海軍を勝たせようと思っていた」などというのは、間違っています。

 「やがて世界はフリーメーソンによって一つになるのだ。私はフリーメーソンの人間であるから、フリーメーソンに忠節を誓う。本当の世界平和を達成するためには、日本海軍などは邪魔になるのだ。一旦、叩き潰して世界を一つにしなければいけない」という信念があったのでしょう。だからフリーメーソンに入ってしまうのです。

 だから日本は負け戦です。「どんどん負けるように、日本軍が滅びるように」とやったから負けたのです。開戦当時の海軍の兵力は米軍よりも上だったのです。まともに戦争をすれば日本は勝てたのですが、海軍の中にスパイを入れられてしまったので、海軍は負けてしまったのです。

 日本の暗号は全てアメリカに筒抜けです。日本は宣戦布告の文章を「30分前に合衆国に出してくれ」と大使館に送っていたのですが、それを受け取る大使が遊びに行っていなかったのです。

 そんなことがあるわけがありません。わざと出さなかったのです。出さなければ、日本が不意打ちをかけたということになり、アメリカ人は怒ります。そうではありません。アメリカは、全て戦争準備をしていたのです。大使館員もフリーメーソンだったのです。

 だから、日本が不利になるように宣戦布告の文章を出さなかったのです。日本は卑怯なことは、一つもありません。宣戦布告を30分前に出していたのです。ところが、その大使たちは戦後、偉くなって出世したのです。

 山本五十六は、死んだと言われていますが、「ハワイで生きていた」という説もあります。時限爆弾をかかえて戦争をするように仕組まれて、海軍にはスパイが埋め込まれていたのです。

 陸軍にスパイを入れるわけにはいかなかったので、大陸で勝っていたのです。日本が戦争に負けた原因は、何回も僕が書いている通りアメリカの反則勝ちです。ハーグ陸戦条約において、「武器を持たない市民を殺してはいけない」という条約があります。それをアメリカが破ったのです。

 東京大空襲・大阪大空襲・名古屋大空襲を仕掛けて、日本人の無辜の市民を皆殺しにしたのです。それによって何百万人の人間が死んだのです。これはハーグ陸戦違反です。そして日本に2回も原子爆弾を落としました。原子爆弾は、庶民を狙うものです。広島と長崎に原子爆弾を落としました。これも違反です。

 日本が戦争を止めたのは、「これ以上戦争を続けると日本人が皆殺しになる」ということを天皇陛下が恐れられたのです。陸軍はまだまだやる気充分ですが、これ以上戦争を続けたら、アメリカはまだまだ原子爆弾を落とす計画だったのです。こんなことを続ければ、日本人がいなくなってしまいます。「どうしても戦争を止めざるを得ない」というのが、天皇陛下の御聖断です。それは正しかったのです。

 陸軍には「戦闘しよう」という連中がまだ大勢いたのです。日本本土の戦争をやったのは、沖縄だけです。まだまだ本土決戦をやる方法はあったのです。「大本営を長野県の地下にもってきて、本土決戦をすれば絶対に負けない」という連中もいたのです。

 東京を爆撃できるようにしたのが、硫黄島の戦いです。硫黄島では、栗林中将以下、22,786の軍人が入り、穴を掘ったのです。硫黄島は火山島ですから穴の中は40度です。アメリカ軍は海がまっ黒になるほどの艦隊で押し寄せたのです。110,000大軍団です。日本軍は戦車もありません。穴の中から大砲を撃って戦ったのです。

 それだけの大軍勢と戦って死傷者の数は、日本軍18,375名、米軍26,038名と米軍のほうが多いのです。このような戦いを日本列島でやったらどうなったのでしょうか? 米軍は攻撃できません。日本軍の死傷者のほうが少ないのです。

 内部に引きずり込んで日本列島を穴だらけにして戦ったら、負けたとは言えません。何回も書いていますが、陸軍は200万人の軍人が無傷で中国大陸にいたのです。連戦連勝の軍隊が200万人もいたのです。こんなに戦力があったのです。航空機も1万機はあったのです。戦艦もあったのです。部隊の軍人は、みんな優秀なのですから負けません。主戦派は「日本民族が半分になってもやるべきだ。やらなければ日本民族の明日はない、戦闘続行!」ということを考えたのです。

 「天皇が終戦の詔勅を出すらしいけれども、出させるな!」とチラシを配り、『地球で一番長い日』という映画にもありましたが、随分争いがあったのです。あれは、終戦です。「米軍の反則によって、皆殺しにされる」という危機感を抱いたのが昭和天皇です。「これはやむを得ない、終戦する。終戦すると大変な目に遭うだろう。だが、私は覚悟している。堪えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、頑張ろうではないか。終戦の後を頑張ろうではないか。馬鹿にもされるであろう。不法な裁判も行われるであろう。」ということがわかっていたのです。ですから「堪えがたきを耐え、日本が繁栄するように頑張っていこうではないか」ということが、天皇陛下の御心です。(②に続く)

 

 

昭和天皇

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。

 朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

 そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

 朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

御署名(裕仁) 御印(天皇御璽)

 

 

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