三島由紀夫と川端康成 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※川端康成『伊豆の踊子』(吉永小百合と高橋英樹)

 

日曜日の夜、BS1で「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」というテーマの番組が放送されていました。大変面白いテーマであるけれども現代の人々は、まず関心がないと思います。三島由紀夫と言われても今の若い連中は、ピンとこないのではないでしょうか? 現代人の若者とは全然違う世界です。川端康成でも、ピンとこないのかもしれません。

要するに文学というもののピントがずれてしまっていて、現代人が求めているものではないのです。わけのわからない芥川賞作家など、とんちんかんの文学が多いのです。三島由紀夫のような筋の通った文章は誰も書けないのです。

三島由紀夫の文章は、旧仮名遣いです。「僕は最後の文士かもしれない」と言っていたのです。川端康成の文章も非常にキレイです。このような文章は、誰ももう書けません。そうではないかと思います。

人間関係がドロドロとした推理小説など、文学ではありません。夢がありません。希望もありません。では、何があるのかというと絶望があるのです。本来の文学はそうなのです。夢があり、希望があり、絶望があるのが文学です。

僕は高校2年生までに、ほとんどの文学全集を読んでいます。「何故、文学者はこんなに自殺をするのだろうか?」と思ったのです。芥川龍之介、太宰治など、文学者は自殺者が非常に多いのです。やはり、人生に絶望しているのです。

文学者は人生に絶望しているから文学の世界に絶望ではないものを求めているのです。文学は架空の世界、フィクションの世界です。現実の自分が絶望した人生と、フィクションの世界を作って、穴を埋めてバランスを取っているのが文学者の生き方ではないのかと思うのです。

日本の文学者の中の最高峰が、川端康成と、三島由紀夫です。文士と言うのですから、やはり文章がしっかりとしていないといけません。しかも、旧仮名遣いでピシッと書いています。現代人はもしかしたら、三島由紀夫の文章が読めないかもしれません。

この2人の文章は、学校の国語の教科書にもなるのです。それだけきちんとした文章なのです。この2人を見ながら、僕はこのように考えていたのです。

「三島由紀夫は凄い人だな。物事の本質をズバリと見抜く人だ。こんなに物事の本質を見抜く人はまずいないであろう」と思ったのです。これは、どのような文章からそのように思ったのかというと、三島先生は、このように言われていたのです。

「俺の文学に惹かれて、俺のところへ来た人間はダメだよ」と言っていたのです。文学はフィクションです。「フィクションの中味に惹かれて来ました」と言われても、答えようがありません。

「文学ではなく、俺は人間として生きているのだ。文学とは、自分にとっては仕事なのだ。そう思っているのだ。お金も稼がなければいけないし、そのように思って書いているのだ。色んな作品があるけれども、全てダメだ」と言うのです。

僕もそのように思って、読んでいたのです。三島由紀夫は、エッセイが優れているのです。どんなものがあるのかというと、『愛国者』『文化防衛論』『太陽と鉄』『行動学入門』があります。もっと砕けたものでは、『不道徳教育講座』という作品があります。

これは本当に面白いのです。この中には、たっぷりとエッセンスが入っているのです。この『不道徳教育講座』が僕の愛読書になっていたのです。10年くらい読んでいました。「くだらない」と言えば、くだらないのですが、真理がちりばめられているという作品です。勉強になったことが沢山あります。

このようなエッセイの中に三島由紀夫の本当に言いたいことがあるのです。フィクションの中にはありません。そのように僕は思います。

あとは、文学者の資質の問題です。「三島由紀夫は文学者として何を考えていたのか?」ということがわからないと、三島先生のことはわからないのです。三島由紀夫の文学のテーマとは、一体何でしょうか? これは、他の作家には全くありません。西洋にも三島先生のような文学者はいません。三島先生は、オリジナルの文学者です。

「生と死」というテーマが三島由紀夫のテーマです。これを考えた作家はいません。「死」を説いた作家はいます。だけれども、「生と死」を同時に取り上げた作家はいません。「生と死」とは、人生の大テーマです。

人生の大テーマとは、お金持ちになることでもないし、欲望を叶えることでもありません。「生と死」から、誰も逃れることはできません。みんな、この法則から逃れることはできません。

この「生と死」について、どのように生きたらよいのでしょう。人間はやがて死ぬのですが、「どのように生きたらよいのか?」という重大なテーマです。この「生と死」の問題に真っ向から取り組んだ文士は三島由紀夫の他にはいません。

川端康成が取り上げたのは、美しさです。彼は美しいものが好きなのです。この番組の中で言っていましたが、川端康成が表を歩くと、女の子がついてくるのです。それも、何人もついてきて、ゾロゾロと大勢ついてくることになるのです。

誰一人も追い返さないで、お茶屋に入ったりして、みんなでゾロゾロ歩いていたのです。「川端先生は、本当に美しいものが好きなのだなとわかった」と言うのです。

これは、『伊豆の踊子』にしても、女性のかわいらしさ、美しさを表現していて、何となく感じる慕情なども表現しています。愛とか、美しいとか、だいたいその辺が川端康成のテーマです。

三島先生は、「生と死」がテーマです。この2人テーマは、全然違うのです。しかも、「生と死」という大テーマに取り組んで、解答を与えた作家は過去にいません。三島由紀夫は自殺ではなく、自決です。自らの「生」に決着をつけたのです。

これも三島由紀夫の「生と死」という哲学からきているのに違いありません。三島由紀夫いわく「熟成された文明というものは、生の文明と死の文明があるのだ」。みんな生き甲斐あることだけに注意しているけれども、生き甲斐というものがあっても、死というものがどんどん遠のいていきます。死に甲斐ということもあるのです。「この死に甲斐について考えてみる必要があるのではないのか?」と言われたのです。

この理論で言うと、「出来るだけ長生きするようにと病院で寝たきりになり、注射を打たれて、ベッドにくくりつけられて死ぬのが一番嫌だ」と言うのです。では、どのような死に方があるのでしょうか? 

三島由紀夫は「人生の一番血気盛んな時期に、自らの使命を感じて、命を懸けて死することが一番良いことではないか?」と言っているのです。「特攻隊で死んだ青年たちを「お可哀想に」という人がいますが、僕はそうは思わない。彼らは最高の幸せという境地の中で死んでいったのだ。最高に幸せだったのだ」と言うのです。

このようなところに三島由紀夫は、非常に興味をもっていたのです。『殉教』などという小説もあります。死に甲斐をもった生き方です。だいたいみんな病院送りになってベッドの上に横たわり管を通されて、「1日でも長生きしよう」と思い、皆様にご迷惑をおかけして、生きているというのが現状ではないのでしょうか。

三島先生は、そのようなことは嫌なのです。「そんな人生は嫌だ」と自分で決着をつけるのです。「何に向かって自分を鍛えていったらよいのか?」というと、その頂点を決めて「このくらいの時に逝こう」と決めたのです。

三島由紀夫は、「西郷隆盛の生き方が男として美しい、最高の生き方だ」とも言っています。西郷隆盛は49歳で死んだのです。実際は50歳だと思ってよいのです。「西郷さんは50歳で美しく死んだのだけれども、これは限界であろう」と言っていたのです。

西郷隆盛が50歳以上生きて、55歳になったり、60歳になると、死にざまもなくなるから、50歳でいいだろうと思ったのです。「45歳でいいだろう。これはまだ美しい部類だろう」と言っていたのです。

これは、現代人にわかるわけがないのです。みんな生きることしか考えていません。死ぬことばかり考えている奴は、もう死んでしまい、いなくなっています。やはりわからないのです。この2つがわかれば、この問題は解けてくるのです。

生き方もあるけれども、死に方もあるだろう。生き甲斐もあるから、死に甲斐もあるのです。この最高のものを選ぶのです。武士の切腹は、死に甲斐です。武士は決して人に殺されるものではありません。武士は、自分で死ぬのです。

それを周りが介錯をして手伝うことはあっても、根本は自分で決着をつけるのです。切腹は名誉ある決着です。打ち首とは違います。「生と死」とは、そのような問題です。(②に続く)

 

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