「ウソも100回つけば本当になる」と思っている中国と韓国 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

朝鮮人は「せっかく一等国民になったのに、なんとか日本の苗字を名乗らせてくれ」と言ったのです。それで、日本政府は「少しだけなら認める」ということになり、木下や山本などの日本名を名乗ることを許したのです。「創氏改名に殺到する朝鮮人」の写真が残っています。

 

 

 朝鮮人は「日本人が朝鮮人を奴隷にして、女を売春婦にして、拷問して朝鮮を荒らしまくった」とウソをいうのです。日本の軍隊は拷問などしません。拷問をやったのは、両班(ヤンパン)です。

「ケツを出せ! 100打ちの刑だ!」と言って、両班が白丁を拷問したのです。日本を恨んでいるとしたら、両班の連中です。

 両班の下には奴隷がいたのです。奴隷達は両班から解放されたので、喜んでいるのです。両班だけが「喜んではいけない。白丁は両班の奴隷だぞ!」と思っているのです。

 それを日本がやってきて「人間を奴隷になどしてはいけない。奴隷を解放する!」ということをやったからヤンパンは日本を恨んでいるのです。それを忘れないために「日本が悪いのだ」と言っているのです。

 それだけ両班は悪かったのです。米をつくれば米を全て持っていき、娘がいると娘を持っていき、両班はやりたい放題です。白丁を拷問し放題です。これが両班の実態だったのです。

 両班は上級国民なので誰も咎めることはできません。文官と武官の両方を備えていて、法律を持っていたので国民に刑罰を与える権限を持っていたのです。だから、両班と言ったのです。

 大東亜戦争で朝鮮人は、日本軍でともに日本人と戦ったのです。特攻隊の中に朝鮮人は千名もいたのです。高倉健主演の『ホタル』という映画がありました。食堂の女将さんがトメさんです。

 特攻隊で出陣したのは朝鮮人です。大勢いたのです。「俺は特攻隊で死んで、ホタルになって帰ってくる」という話です。戦後、朝鮮人は「朝鮮人の名前をとられた」と言ったのですが、取られたのではありません。

 朝鮮人は一等国民にしてもらったのですが、海外へ出かけていくとパクや、チェなどの朝鮮名を相手が見て、「お前は朝鮮人じゃないか!」と言われたのです。「お前達の日本人というのはウソで、本当は朝鮮人だね」と言われたのです。

 朝鮮人は「せっかく一等国民になったのに、なんとか日本の苗字を名乗らせてくれ」と言ったのです。それで、日本政府は「少しだけなら認める」ということになり、木下や山本などの日本名を名乗ることを許したのです。「創氏改名に殺到する朝鮮人」の写真が残っています。

 全ての朝鮮人ではありません。1%くらいです。その連中は日本の苗字をもらったのです。朴 正煕(パクチョンヒ)は、高木正雄という日本名をもらったのです。最後まで日本名などなかった人もいます。

 それが大日本帝国陸軍の洪 思翊(ホンサイク)中将です。最後まで、「朝鮮出身の日本の軍人だ」と言ったのです。この人は立派な人です。朝鮮人の言っていることは、全てウソなのです。

 朝鮮人は「ウソも100回つけば本当になる」ということを地で行くようなものです。一つのウソが成功すると、「従軍慰安婦だ」「徴用工だ」と、どんどんウソをつくっていくのです。

 それが従軍慰安婦のウソ、軍艦島で強制労働をさせられたというウソ、徴用工のウソです。まだまだ、朝鮮人のウソはこんなものではありません。朝鮮人のウソはいくらでもできます。

 「従軍看護婦に強制的にされた」と言えるのです。軍隊に行った朝鮮人は「強制的につれていかれて軍人にさせられたのだから、お金を払え」など、なんでも言えるのです。

 学校の先生になった朝鮮人も大勢います。「日本の教育など嫌だと思ったけれども、やならいと牢獄へぶち込むぞと脅かされて、学校の教員をやったのだ。慰謝料を払え」とウソを言い、なんぼでもウソができてしまうのです。

 悪人はそのようにウソで貶めていくのです。中国人の今のやり方を見ても、朝鮮人と同じです。やがてはどうなるのかというと、「あの国はウソつきだ。中国人はウソつきだ。朝鮮人はウソつきだ」と言われてしまうのです。これを言われたらもうお終いです。

 ウソで一時逃れはできますが、長い目で見るとウソをつく人間は終わってしまうのです。普通の社会でもそうです。「あいつはウソつきだ」と言われたらもう終わりです。

 誰もその人間と真実の交際はしません。相手はウソつきなのですから、交際する意味がありません。「友情を交わして共に行こう!」というから、初めて契約でも交際でも生まれるのです。相手がウソつきならば、濡れ手に粟です。相手の実体がないのですから、交際はできません。

 このことは『日本人とユダヤ人』という本を書いたイザヤ・ペンダサンは、「実体語と空体語」という話をしています。実体語というのは、中味がある話です。空体語というのは、空に対する言葉ですから、中味がありません。

 空体語と空体語を掛けていくと、どんな話でもできてしまうのです。それは小説だからです。小説は、どんな言葉でも使えるのです。空体語ですから、中味はありません。

 歴史小説にしても中味はありません。歴史小説の人物は、もうとっくに死んでいて誰も知らない人物なのですから、何とでも言えるのです。ヒストリーチャンネルでは、「織田信長は明智光秀に殺されたのではない。羽柴秀吉に殺されたのだ」という説をもっともらしく言っていたのです。

 高橋英樹もその話を聞いて、もっともらしくうなずいているのですが、そんな話は通りません。それもそうです。空体語を使えば、誰でも犯人になってしまうのです。

 実体語は、中味のある言葉です。話というものは、実体語で話していかなければいけません。「あの人が言ったことは間違いない」と言われるようにならなければいけません。

 もし、実体語で間違えた場合は、「間違えました」と素直に言えばよいのです。それをウソでごまかして、またウソをつくのです。そのウソがまたバレて、次のウソをつくので、永遠に「ウソつき」という刻印を押されてしまうのです。するとそのような国家や個人は、誰も信用しなくなってしまうのです。

 韓国や中国はそのような国家です。誰も信用していません。そのような時代にきているのです。ウソを見抜いて、ウソは止めましょう。ウソは100回言ってもウソなのです。

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

 

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137