三島由紀夫論 ③ | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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『虚構の憲法』は、2つの点で、肝心な点をついています。今の憲法を否定したら、何処に返るのでしょうか? 「明治憲法に返れ」という馬鹿がいます。僕の言っていることは、明治憲法に返るのではありません。僕の結論は、慣習法に返ればよいのです。

 

 僕の『三島由紀夫論』は、なかなか良いと思っていたのですが、反応がなくてガックリきました。今は学校では文学論などもうやらないのです。とにかくみんな勉強していないのです。

 だから、コメントが書けないのです。僕が何を言っているのかチンプン、カンプンです。わかるのは、ゴロツキが出てきて「俺も自衛隊に乱入してやろうか」という、そのような奴ばかりです。右翼など、みんなそうです。

 「三島由紀夫が何を考えて、何を思ったのか?」ということを考える人が、もういないということです。考えられないのです。

 三島由紀夫は、文学のテーマとしては最高です。「何故、彼はノーベル賞が取れなかったのか? 何故、川端康成がノーベル賞をとったのか?」というと、三島由紀夫のこがを西洋人には理解できなかったのです。

 ただし、「洒落た文章を書く凄い男がいる」ということまでは、理解できるのですが、三島先生の文学的主張について西洋人は、全くわかりません。僕の『三島由紀夫論』について、コメントがあってもよいと思うのですが、ないのですから、「三島先生は全然理解されていないのだな」ということがよくわかりました。

 三島事件から50年も経つと、時代が乖離しているのです。三島先生の話題は、非常に新鮮で、やったことは、全て刺激的です。三島先生は剣道五段です。だいたい、文士が剣道をやるなど不思議な話です。

 文士はみんな着物にくるまっていて机に向かい仏頂面をして、プカプカとタバコを吸って、如何わしい生活をしていたのです。文士というものは、官能的です。谷崎潤一郎の作品は、「花街に行って、女を見ていて欲情した」という話です。谷崎潤一郎の文学は、だいたいそのような話です。

 三島先生の作品は、そんなものではありません。欲情するとか、しないなどという問題ではありません。人間の持っているツボをピシッと抑えてくるのです。それが僕は好きだったのです。

 例えば、『行動哲学入門』という本もあります。行動哲学の根本は、陽明学です。陽明学というのは、「知ることと、行うことが同じ」ということです。知行合一といいます。知ったことは、行うことです。行うこととは、知ったことです。それを知行合一といい、それは陽明学です。

 三島先生は、行動哲学の基本に陽明学を置いたのです。「俺は、陽明学の人間だ」と思うと、自動的に行動をしていくのです。吉田松陰がそうです。そのものです。「この話はおかしいと思った。矛盾している。では、真っ直ぐ進めばいいじゃないか」と考えたのです。その結果どうなるのか? 殺されるかもしれません。牢屋にぶち込まれるかもわかりません。

 それでも、吉田松陰は止めなかったのです。真っ直ぐ進むのです。あっちに相談したり、こっちに相談していると、人間は行動力が鈍ります。知ったことは、即実行しなければいけません。これは、薩摩の示現流(じげんりゅう)にも似ているのです。

 示現流は稽古着がありません。「何故、稽古着がないのか?」というと、いつでも、どこでも、直ちに行動しなければいけません。「家に帰って、剣道着に着替えて、袴をはいて、道具をつけて、・・・」などということを、薩摩っぽは、考えません。「お前、殺すぞ!」と思ったら、そのまま直ちに殺しに行くのです。袴に着替えないで、野良着のままでよいのです。そんなものをつけている時間はありません。それが行動哲学です。

 そうしないと人間は行動ができなくなってしまいます。「ああでもない、こうでもない、・・・」と逡巡して考えていると、行動はできなくなってしまいます。

 薩摩は徹底的な陽明学です。薩摩藩には、郷中制度があったのです。12歳から23歳の若者が集められて郷中という塾があったのです。そこで、共同生活をしていたのです。

 塾長が西郷隆盛だったのです。あちこちに塾があり、郷中があったのです。一番の人気があったのが、西郷どんです。徹底的に薩摩の教育をしたのです。それは、自宅から通うのではなく、共同で住みこんで教育を受けたのです。

 「知ったことは、行うことだ。行わなければ知ったことにならない。知行合一だ」と言うのですから、怖いのです。気がついたら、もう刀で斬って、首が飛んでいるのです。

 生麦事件の時がそうです。薩摩の殿さまの前を横切った英国人がいたのです。薩摩武士は話などしません。「とりゃあーーーーーー」と走り寄ってきて、首を刎ねてしまうのです。「無礼者!」というのが、知行合一を知ることなのです。薩摩武士は、「無礼者は殺す!」という一直線です。陽明学とは、このようなものです。薩摩は陽明学です。

大塩平八郎も陽明学です。大阪町奉行の与力が反乱を起こしたのです。「知ったことは、行うことだ」と言うのです。「町中の人から米がなくなって飢え死にしている。知ったならば、実行しろ」ということです。大塩平八郎は、屋敷を売り払って、町人のために乱を起こしたのです。その結果、自分は破滅です。そのような結果になっても、悔いはありません。

吉田松陰は、「私は、殺そうとしました」と自分から言ったのです。それで牢獄へ連れていかれたのです。そんなことは言わなければよいのです。吉田松陰は、事実「殺してやる」と思ったのです。思ったから、それを言ってしまったのです。それで死刑になったのです。「それでも構わん」と言うのです。思ったことを実行していくのです。「こうしたら、捕まる」ということは、考えません。真っ直ぐ行くのです。それが陽明学の知行合一の精神です。

三島先生も、それをやったのです。知ったことと、頭で考えていることが隔離していて、行動ができないようでは、その物事を本当に知ったということにはなりません。それを格物致知(かくぶつちち)というのです。

 中国の学問には2つあり、陽明学と朱子学があります。朱子学は、陽明学の反対です。朝鮮は、朱子学です。「大義名分」と言い、屁理屈を述べるのです。「この戦争については、どのような大義名分があるのか? 自分の行動に大義名分があるのか?」ということばかりを考えているのです。

 朱子学というのは、「大義名分」を考えるのです。「あーでもない、こーでもない」と考えているうちに、何もしないで終わってしまうのです。陽明学は違います。格物致知(かくぶつちち)で、直ちに行動するのです。

 偉大な行動をした人は、陽明学の人です。格物致知(かくぶつちち)の最後の人が三島先生です。話は通じません。話が通じないのですから、怖いのです。

 陽明学の人に「話し合いで」という思想はありません。従って三島先生は、暴力肯定です。人間の生存の形態は、最終的には暴力です。相手を戦争で殺すのですから、みんな暴力です。「暴力はいけません」「暴力は止めましょう」などと、最近では言っていますが、暴力を止めたら、朱子学も陽明学もありません。

暴力は肯定しなければいけません。暴力を肯定するということは、「自分も殺される」ということがありますが、相手を殺すこともできるのです。そのような緊張感の中に新しい文化が生まれてくるのです。

 三島先生は、暴力を肯定しています。東大全共闘の討論会の時には、千名くらいいたのです。三島先生は、たった一人で行ったのです。ポロシャツを着て、軽装で行ったのです。でも、ちゃんと仕掛けがしてあって、短刀を持っていったのです。

 「辱めを受けたら、ぶった斬る!」という覚悟があって、一人で行ったのです。「辱めを受けたら、腹を掻っ捌いて死んでみせる」そのような気持ちで行ったのです。後で、東大の全共闘の連中は、「三島先生は、死ぬつもりだったのだ」とわかったのです。

 それが三島事件です。三島先生は、自衛隊に乱入したのです。これが重なってくるのです。同じことです。「三島先生が言っていたことは、全て本当だったのだ」と思えてきたのです。この2つの事件があり、三島先生の言うことに真剣に耳を傾けたのです。

 三島先生は、「真人間にしてやる」と思っていたのです。まず、「日本国憲法は、これでよいのか?」と思ったのです。僕も『虚構の憲法』を書いたのですが、みんな読んでね。これは良い本です。百田尚樹さんが憲法の本を12月に出すと言っていますが、僕の『虚構の憲法』のほうがはるかに良い本だと自信を持っています。

 『虚構の憲法』は、2つの点で、肝心な点をついています。今の憲法を否定したら、何処に返るのでしょうか? 「明治憲法に返れ」という馬鹿がいます。僕の言っていることは、明治憲法に返るのではありません。

 成文法を止めて、慣習法に返るのです。これが、百田尚樹さんの憲法論と違う点です。「GHQに押し付けられた憲法だ」というのは、誰が書いても同じですが、結論が違います。僕の結論は、慣習法に返ればよいのです。

 慣習法に返らなかったら、人間は自由にできません。軍備というものは、敵国が10の圧力をかけてきたら、こちらは15の軍備を持たなければいけません。日本は手足を縛られていて、「お前達は、軍備は3でやらなければいけない」と言われて、「はいはい、僕たちは憲法がありますから、3の軍備しか持ちません」と言うと、敵国は「俺たちは、30の力の軍備を持つよ」と言われてしまうのです。

 そんな縛りは意味がありません。そんなことに縛りをかける奴らは、ニセ人道主義者です。現実は、敵の軍備に対応していかなければいけません。自分で自分を縛ってはいけません。日本人の手足を縛るのが憲法です。政府も縛るけれども、国民も縛るのです。そんな馬鹿な憲法があるのでしょうか?

 では、どうするのでしょうか? 成文法はもうコリゴリです。文章をつくって憲法になどしなくてよいのです。「我が国には立派な歴史がある。日本は歴史こそ憲法である!」と言えばよいのです。

 これが百田尚樹さんに出来るかどうかです。三島先生は、そこまで言わなかったけれども、矛盾を言って「憲法を破棄しなければ、日本はダメになる」と言ったのです。事実ダメになってきています。

 自衛隊の諸君は毒されず、よく頑張っています。今日まで立派な自衛隊をよくつくってきたものです。基礎があれば軍隊はすぐにできるのです。例えば、将校をつくれば、すぐ兵隊は集まります。将校教育をして、将校をつくるのです。

 すると、兵隊は募集すればいくらでも増えます。10万人でも、100万人でも軍隊ができます。いないのは、将校です。この将校教育をきちんとやっていれば、「軍隊を10倍にします!」と言えば、兵隊を集めて軍隊が組織できるのです。

 僕は「自衛隊は本気だな」とすぐに気が付いたのです。何故でしょうか? それは、陸上自衛隊高等工科学校で士官教育を行っているのです。陸上自衛隊高等工科学校は、下士官養成コースです。軍曹や曹長を養成するのが、本来の任務です。そこに、将校教育を行っているのです。

 「その証明は何か?」というと、拳銃を持っているのです。拳銃を持って剣を下げています。それは、将校の格好です。兵隊は、軍刀など持ちません。銃剣を担いで行進するのが兵隊です。

 ところが、陸上自衛隊高等工科学校は、高校生に拳銃を持たせているのです。剣も持っているのです。「これは、やる気だな」とわかるのです。将校がいるので、すぐに軍隊を増やせるのです。アッという間です。

 将校がいれば、兵隊などいくらでも出来るのです。少しも恐れることはありません。教育しないと、将校はすぐにはできません。簡単にはできません。将校を見れば「この軍隊はどのような軍隊か?」ということがわかるのです。

 中国人のようにワイロをもらってやっている軍隊は、絶対に強くありません。中国人は戦争が始まると逃げてしまいます。それを見ていけばよいのです。

三島先生は、自衛隊に体験入隊をして練度を見たのです。それは、一緒に体験しなければわかりません。「これは本物だ。愛する自衛隊の諸君のために」と書いてあります。これは、本当です。

 11月25日は、三島先生の命日でもあるし、吉田松陰の命日でもあります。みんな、忘れないでね。

 

吉田松陰の命日は、安政61027日(18591121日)ですが、三島先生は、11月25日としたのです。

 

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