『笹尾山砲台』
所属 下関要塞
着工 明治20年10月
竣工 明治22年9月
備砲 28cm榴弾砲1砲座2門×5砲座 計10門
任務 関門海峡『大瀬戸』防備
明治末期に廃止。備砲の榴弾砲は10門の内、6門が対馬要塞に送られる。
時間に余裕がなく、見落としがあるかも知れない場所です。
ざっと確認しながら撮影したんですが、砲座は確認できませんでした。
隅々まで藪をかき分けて探索すれば他にも何等かの遺構が見つかるかも知れませんが、今回はこれからお見せする遺構が全てです。
では。。。
便所跡から・・・
付近には、何かしらの遺構・・・
基礎部が若干確認できますが・・・何があったのかは不明。
通常、砲台入口付近にに便所が設置されますが、便所手前に何かしらの基礎が残ります。その手前を少しウロウロしましたが、門柱等は確認できませんでした。
便所の反対側の石積・・・
通り過ぎた場所より。左手に便所、右手山側に観測所があります。
観測所への通路。
少し荒れてますが、石積はキレイに残ります。
上りつめた場所より右手に折り返すと観測所が見えてきます。
状態は悪いですけどね・・・
観測所下部、付属の指令室・・・土砂で殆ど埋まってます。
ムリすれば入れない隙間ではありませんが・・・時間の都合で遠慮しときましたw
本来、指令室左側に観測所に上がる階段があったと思われますが、土砂で埋まって何が何だか・・・でした。
観測所へよじ登るw
状態は・・・
観測所内、コンクリートの側壁は辛うじて見えますが、下部指令室と繋がる伝声管は確認できてません。
測距儀置き台座は3本柱タイプですね。
観測所より下部指令室を・・・
後・・・この観測所、何らかの理由で回りの土砂がえぐり取られていて、通常では見えない基礎部が確認する事ができます。
災害による土砂流出・・・にしては流出した土砂もないので、開発時に砲座や砲側庫を取り壊した時、観測所も取り壊そうとして掘り起こしたのかも?知れませね。
通常なら絶対見えてない場所。
コンクリートの厚みが半端ないw
そのうち崩落するかも・・・
内部までえぐり取られてます。左側コンクリートは指令室の後壁・・・
本来ならコンクリート上部まで埋まってるんですけどね。こんな光景は初めてです。
と・・・
その①はここまでとしときます。
~おしまい~
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