もう暫く思い出の年賀状を続けさせてください。今回は私の大好きな女優さんの一人、
藤村志保さんです。
彼女は昭和36年(1961)大映に入社、翌年には「破戒」(監督・市川崑)に出演して新人
賞を受賞、雷蔵さんとの共演が結構多かったです。彼女には映画館主のパーティや、舞
台挨拶で九州には良く来てもらいました。実に明るく素直でシンの強い人なので、みん
なから好かれるタイプの女優さんだと思います。お母さんと旅がしたいと、一緒に九州
に入るというのでお手伝いをしたり、お母さんの友人が熊本市の上通りで、お肉屋さん
と食事処をされていて、私まで一緒にご馳走になったこともあります。幼少の時は厳し
く育てられたようですが、あのように仲のいい親子はめったにお目にかからない・・・が私
の印象です。
「妻の日の愛のかたみに」のロケで福岡県柳川市に入り、早く出番が終わって帰京する時
も、一旦福岡に戻り食事やボーリングをしたのも思い出です。
着物姿が多い彼女ですが、スタイルのいい人で、洋服も似合う人であったし、意外にお茶
目なところもあって、私の家の最初の電話番号が「コイニミヲヤク」と読める番号で、我
が家に電話を掛けてきた最初の人でもありました。あんなに元気だったお志保さんですが、
最近は体調を崩していると聞いて心配しています。
代わりに今日のタイトル、藤村志保さんの記憶を少し書かせていただきます。
NHK大河『太閤記』や『三姉妹』での藤村志保さんが印象的でした。自分は小学校3年生、5年生頃ですが、しっとりとして、それでいてきりりとした女性のイメージを演じられる女優さんだったと記憶しています。当時まだ二十代後半に入ったばかりだったことになりますが、存在感がありました。2枚目の写真では山本富士子さんの様な表情にも見えますね。右から2人目の女優さんに見覚えはあるのですか、お名前はどなたでしょうか?
お立ち寄り有難うございます。
大映時代の思い出話が一杯あるお志保さんですが、西舘様からの
ご連絡によると骨が弱っているため外出はしないけれど元気だそうです。
私も安心しました。
写真のお問い合わせは、一番右から酒井京都撮影所長、弓恵子、本郷ちゃん、
お志保さん、私です。