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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

中宮寺 ~會津八一歌碑~

2018-10-07 23:38:57 | 文学をたどる
 會津八一の歌碑は、奈良市内の寺院以外にも、法隆寺等がある斑鳩地方にも建てられている。今回は、法隆寺の東院の奥にある中宮寺を訪ねる。
 中宮寺は、国宝の菩薩半跏思惟像や天寿国繍帳で知られる古寺である。円照寺、法華寺と合わせて奈良の大和三門跡尼寺と言われる。創建は、古く飛鳥時代、聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の宮を寺院にしたと伝えられる。現在の寺地に移転したのは江戸時代になってからのようである。中宮寺から、東へほど近いところに中宮寺跡が残っており、近年、歴史公園として整備されている。

 

 法隆寺の東院伽藍の北奥に中宮寺の小さな入り口がある。ここから見える寺院の建物は、門跡寺院らしい古趣を感じる木造の建物が見える。尼寺らしい柔らかな雰囲気が漂う境内になっている。ただ、中宮寺境内は、かなり拝観できるところが少なく、入り口を入って、塀沿いに歩いて、曲るとすぐに、本堂がある。

 

 このコンクリート造りの本堂が、何とも雰囲気を損なっているような気がする。何だろうお寺の本堂というよりも宝物庫、収蔵庫を思わせる建築物になっているところに問題があるのだろう。

 

 そして、この本堂と向かい合うように會津八一の歌碑が建てられている。歌碑には「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかろ の ともしきろ かも」と刻まれている。みほとけとは、菩薩半跏思惟像を指している。ともしきろという言葉が目を引くが、乏しいに加えて、心惹かれるという意味がある。「ろ」は意味のない助詞だそうだ。みほとけのあごとひじに、朝の光がほんのりと指している様子が心惹かれるという意味か?ただ、會津八一が中宮寺を訪れた時は、現在の本堂はまだ建っていない。今の本堂は、昭和43年に建てられたものである。八一が訪れた時は、全然違う建物の中で見たのだろう。朝日をあびて、うっすらとその姿が暗い本堂の中で浮かび上がっていたのだろうか?

 

 歌碑は、細長い會津八一の自筆をもとに造られた歌碑と歌の意味を書いた石碑が仲良く並んである。(あたりまえですね)惜しいことに今の耐火倉庫のような本堂では、この歌の追体験をすることは難しそうである。
 本堂には、国宝の菩薩半跏思惟像と天寿国繍帳のレプリカが飾られている。中宮寺のこのほとけさまは、飛鳥時代の仏像としては、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像と双璧と言われている。躯体が黒いので銅製なのかなと思っていたが、実は木製。のちに保存のために漆が塗られたため黒くなっているそうで、仏像が造られた当時は、鮮やかな彩色が施されていたのかもしれない。

 

 ちなみに本堂では、寺宝や寺院の解説がずっとテープで流れていた。

 

 本堂を出ると、どこか別の所に回るようなこともなく、そのままジ・エンドとなった。案外、あっさりしたものである。

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