「何を愛し続けるか」記事の余談です。マッチーの言葉を聞いて、大輔さんのことを考えて、その次に思ったある人のこと。
そう、羽生くん話です。私どうしても大輔さんと羽生くん、対比して考えてしまうんだよね。
読みたくない人もいるだろうから行空けますね。読まない人はここで抜けてください。
で、すみませんが読む以上は、文章の途中で読むのやめないでくださいね。ちょっと誤解を招きそうな表現をしますが、ちゃんと後でフォローするので、そこまでは読んでください。













マッチーの言葉に思う。
髙橋大輔は、表現することを愛している。これからもずっと、愛し続ける。
そう、彼はそういう人であり、ファンはそういう姿を愛している。

だから、大輔さんのファンのかなりの人たちは、羽生くんの選手としての生き方を認められなかったわけだよなあ、と、私の頭には即座にそういう思いが浮かんでしまったのだ。
羽生くんは表現することを愛していないもん。

はい、羽生ファン反発するよね、分かってます。羽生くんは表現することが好きで、都築先生が指導していた頃から、表現のレッスンになるとものすごい集中を見せていたことは知ってます(「フィギュアスケートとジェンダー」で読んだような記憶あり)。彼が「表現することが好き」なのはわかってます。
ただ「愛してる」わけじゃない。

高山真さんの著作を読んでないのにタイトルの言葉だけ借りるのは失礼かな、と思いつつ、ちょっと使わせて貰えば。
髙橋大輔は表現の世界を探求することにその身を捧げていく人なのである。
そして、羽生選手はそうじゃない。表現の世界を探求したい人が、プログラムの持越しをあそこまでするとは思えない。

羽生選手がその身を捧げるのはフィギュアスケート「競技」であり勝負なのである。
羽生選手にとって表現は、競技の重要なパーツに過ぎない。大事だし重視してるし、氷の上で自分を表現することから充実感を得ているのは確かだけれど、しかし、それだけで充足できるほど愛してはいないと思う。
フィギュアスケート競技>表現の世界、なのである。

文章の途中で抜けないでくださいね、と最初書いたのは。
別に表現の世界を愛してないというのは否定的な意味の言葉じゃないことを分かってほしかったからなんだよね。ちゃんと愛するものがある、ただ、表現じゃない、それを私は言いたかったのである(だからここでなら抜けてもいいですよ~)。



で、続き。
一方で髙橋大輔という人の場合。
おそらく、歌でもダンスでも演技でも納得がいく表現ができればそれでいいのである。ただやってみて、スケートこそが彼にとって一番表現の世界を深く探求できるから戻ったに過ぎない。
表現の世界>フィギュアスケート、なのである(競技という語はあえて抜いてます)


ファンというのは、ファン対象を「選手の理想」としがちである。髙橋ファンは、表現の世界を愛することこそ一流のフィギュアスケート選手だと多かれ少なかれ思ってる。
それにあの時期の絶対王者パトリック・チャン選手も、出来はともかく表現することを重視し、愛し、その身を捧げようとしていたしね。
それが当たり前だと思っていたのではないだろうか。



そこに、そうじゃない羽生選手が現れたのである。表現を好みつつも「それだけじゃない、この競技は」というのを示し、上に立ってしまった選手が。
当時の多くのファンの理想がガラガラと崩壊したのである。そりゃ大騒ぎになるよなあ。

書いてみると長いな。
あの一瞬で思ってしまったことなんだけどね。

羽生くんの技術と表現にこだわるバランスは、「競技に勝つアスリート」として最適なものだった。しかし当時の多数の観客の理想はそうではなかった。
そういう齟齬があったんだろうな、と思ったのである。



そして、おそらく羽生くんの精神は今もそのバランスのままだろうと思ってる。
ただし、技術を追求しようとしても、肉体が付いていかない、そういう時期になっているはずだ。
2014世界選手権が終わった後、某巨大掲示板の髙橋大輔のスレッドで見かけた言葉が私の頭には未だに残っている。「軟骨は再生しない。すり減っていくだけだ。だからジャンプの技術はいずれ劣化する。」

技術と表現の両方を追いかけ、ウェルバランスが取れていたからこそ勝利してきた羽生選手。
しかし現在、そのバランスが一番取れているのはネイサン・チェン選手である。表現が薄いとか羽生くんのファンで言ってる人がいるけれど、もともとこの競技、表現が濃い必要なんてない。
そして羽生選手自身、表現を深めることより新しい技術(4A)を得ることを今現在もモチベーションにしているはずである。

自分の出来る限りで表現の世界を追求してきた町田樹氏の言葉を聞きながら、表現の子としてこれからも生きていくであろう髙橋大輔選手の2014年の演技を見ながら。
最も高い位置に上ったフィギュアスケート選手羽生結弦は、この二人が愛している表現の世界だけでは生きられないんだろうな、なんてことを考えてしまったのである。