油屋種吉の独り言

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苔むす墓石  その44

2020-05-30 15:42:50 | 小説
 ほとんどの家は造りがわるい。
 川べりに生えている葦で屋根をふき、岸辺
に流れ着いた枯れ木で骨組みをこしらえてあ
る。金具はいっさい使わず、山に生えたつる
で結合部分を縛ってあったりする。
 (ひどい家屋だな。これじゃおれが小さい
頃に秘密基地として作った家とあまり変わら
ない。貴族たちの住まいと比べて、なんてま
あ貧弱なんだろう。それともここはよほど身
分の低い人たちの集落なんだろうか)
 表情の暗い宇一が猫のひたいほどの家と家
の間の露地を、あてどなくさまよっているう
ちにひとりの男にばったりと行き会った。
 軒先に衣類を干してある家のかどを、ひょ
いと曲がったとたんの出来事である。
 宇一は口もとに微笑みをうかべ、彼に向き
あった。
 男は驚いたようで、眼を丸くし、押し黙っ
てしまったかと思うと、ふいにあわわわっと
叫びだした。
 「ちょっとちょっと、すみませんでしたね。
びっくりさせちゃいました」
 宇一はちょこんと会釈してから、
 「いや、こんにちは、いいお天気ですね」
 と声をかけた。
 わけのわからない嬌声こそ、発しなくなっ
たが、男はまだ正常ではない。
 ただぼんやり突っ立ったまま、身に携えて
いた鍬とかごを地面に落とした。
 「す、すみませんね、本当に。突然声をか
けまして。あなたにちょっとお尋ねしたいこ
とがありましてね」
 男はへなへなと地面にすわりこみ、宇一の
ほうを見あげて、両手を合わせ、何やら口ご
もりだした。
 「なむあみだぶつ、なむあみだあぶつ」
 と聞こえた。
 彼が驚くのも無理もない。
 彼とわれでは、身に着けているものがあま
りに違った。
 こぎれいにしているが、男の着物は木綿に
わらじ。頭の上に黒い帽子状のものをかぶっ
ている。
 宇一は髪を七三に分け、汚れてはいるが背
広を着ている宇一。
 ふたりの容ぼうは、あまりに異なった。
 「それにしても、どうしておれを拝むんで
すか。おれは神さま仏さまじゃない。やめて
ください。お願いします」
 宇一がそう言うと、男の声がさらに大きく
なった。
 男は四十くらい、いや、ひょっとするともっ
と若いかもしれない。
 もうこれ以上、異質なものを眼にしている
のが耐えられなかったのだろう。
 男は両目と両耳をふさいだ。
 「おじさん、怖がらないで。おれ、何もし
ないから」
 宇一は彼をなだめようと、両腕を前方に突
き出した。
 それがいけなかったのか、彼はますます興
奮してしまい、地面に尻もちをついた。
 「ぎゃ、はっははは、ひゃあ」
 彼はまるで気がどうかしたみたいで、すわっ
たままであちこち動きまわった。
 「おじさん、おじさん。おれさ、あんたに
尋ねたいことがあるんだ」
 宇一が彼に近づき、なんとかしてなだめよ
うとする。
 だが、すべては徒労に終わった。
 (言ってる意味がわからないんだろう)
 宇一は空を見あげて、ため息を吐いた。
 彼はそのすきをついた。
 からだを横向きにし、地面をごろごろと転
がった。
 抜けそうになった腰が、ようやくもと通り
になったのか、彼は起き上がった。
 「おれ、あんたに何にもしないから。鍬と
背負いかご、忘れてますよお」
 彼は宇一の言葉に耳を傾けようとはしない。
 あわてて走り出し、たちまち、家と家の間
の狭い露地に消えてしまった。
 すぐに追手が来るに違いない、と思った宇
一は大川のほとりに向かった。
 小走りになりながら、自分をふり返った。
 (おれは彼ほど驚かなかったな。ああいっ
た景色、なんとなく既視感があったし)
 過ぎ去ってしまい、今はどこにもない心象
風景を思い起こす。
 渡月橋と思われる大橋の付近で、大勢の群
衆に取り囲まれた。
 不審の眼で見られることくらいは我慢でき
たが、石のつぶてを投げつけられたり、札付
きの悪人どもにこん棒でたたかれそうになっ
たのは論外であった。
 そのあげく簀巻きにされ、大川に投げ込ま
れそうになった。
 しかし、宇一は危ういところを助けられた。
 その助っ人が、しかと、その人であった。
 「もしもし、そんなに急いでどこに行かれ
るんじゃ?そこの人、どこかで道に迷ってお
られるようじゃがな。わるいことは言わない。
ちょっとわしの庵で休んで行きなされ。その
ままどこへ行っても、もとの世にはな、戻れ
ませぬぞ」
 宇一はええっと思った。
 相手のもの言いからすると、占い師の可能
性が高い。
 宇一は立ちどまり、後方を見やった。
 着物をゆるく着こなし、だらしなく胸をは
だけたひとりの白髪の老人がいた。
 そのわきに、見覚えのある少年がいる。
 (まったくなんてちょろ助なんだ、こいつ
は。どこにでも現れてきやがる)
 宇一はあきれ果ててしまった。 
 
 
 
 
 
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