ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ノムさんの評価

2020-02-18 08:43:25 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「世間の評価」2月12日
 元プロ野球選手で監督の野村克也氏が亡くなり、新聞は大きく取り上げました。スポーツ面では見開きで、『ノムさん ぼやきの名将』という見出しが掲げられました。小見出しは『再生工場 野球に革命』や『名捕手 教え子キラ星』であり、評伝のタイトルは『マスク越しの観察眼』でした。
 私はアンチ巨人であり、自らを「月見草」と言った野村氏が好きでした。そんな私は、この記事の内容に複雑な思いを抱きました。記事の見出しや小見出しは、野村氏に対する評価を表していると考えることができます。野村氏は、監督として優れた業績を残した名将であり、多くの選手を育て、または一度挫折した選手を復活させた優れた指導者であるということです。
 もちろん、そうした評価に意義はありません。ただ、記事の中に添えられた野村氏の業績表を見ると、『プロ野球1000勝以上の監督』欄に掲載されている13人の中で、野村氏の通算勝率は5割で最低なのです。一方、打者としての野村氏が残した記録は、通算安打、通算本塁打、通算打点がともに歴代2位となっています。それなのに、打者野村はあまり評価されず、監督野村が評価され、数字が全てといわれるプロ野球界で再生した選手など数値に表れない事柄が評価されるということに、考えさせられてしまったのです。
 私は、どうしても、私自身の長年のテーマである教員評価、学校評価の問題と関連づけて考えてしまうのです。野村氏の監督勝率が低いのは、楽天などの弱小球団の監督であった期間が長いからです。私は、学力テストの結果で校長の業績評価をするという一部首長の発言に対して、学校はその地域によって元々学力格差があり、それは校長の努力だけで解消できるものではないということを繰り返し主張し、異議を唱えてきました。ときには、千代田区と足立区などの具体的な校名まで出して、警鐘を鳴らしてきました。監督としての野村氏を名将と評価するだけの冷静さと見識と度量が、そうした首長にあれば、そんなばかげた主張はなかったはずです。
 また、多くの選手を育てたということを校長に当てはめると、多くの教員を育てたということになります。野村氏が育てた選手たちは、その後多くの球団で活躍し、さらに大リーグにも渡り、引退後はコーチや監督として球界を盛り上げています。これは、必ずしも校長が自分の学校だけという狭い視野に囚われることなく、その市や都道府県全体の教員のレベルを向上させ学校教育を充実させるという貢献をしたことに当たります。しかし、それはその校長が勤務する学校そのものの直接的、短期的な評価には結びつきません。これも、校長の評価を考える際に大切なことを示唆していると思います。
 名選手であり、名監督でもあった野村氏は、教員に例えれば、優れた学級経営や授業をした教員であり、校長としても立派な業績を残した人と言えるでしょう。しかし世間は選手=教員としてより監督=校長としての側面をより高く評価したのです。監督=校長という立場の影響力は大きいということなのです。校長はそれを自覚しなければなりません。

 

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