新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカのアジア向け輸出が振るわない理由(ワケ)

2020-11-27 15:16:01 | コラム
ロッキー山脈が経済圏を別けているので:

私がこれまでに何度か述べてきたことで、アメリカの経済圏をロッキー山脈が東側で70%、西側が30%に別けてしまっている。このロッキー山脈の存在が更にアメリカの太平洋沿岸の諸国というか、東南アジア向けの輸出を困難にしているのだ。簡単に言えば、ロッキーの東側の州から山を越えて西海岸の港(例えばカリフォルニア州ならばサンフランシスコかロスアンジェルスで、ワシントン州ならばシアトルという具合)に製品を輸送するのは物理的に困難でありコスト高を招き、国際市場における競争能力を低下させるのだ。

従って、アジア向けの輸出には立地条件としてはワシントン州、アイダホー州、カリフォルニア州等が有利なのだが、残念ながらこれらの州には有力な輸出産業が少なく、僅かにワシントン州やオレゴン州からの林産物や紙パルプ製品や飼料用の干し草、アーカンソー州のポテト等の一次産品が主体となってしまうのだ。この辺りを嘗て上智大学経済学部の緒田原教授と語り合った際に「何だ。それではアメリカは日本にとっては植民地のような存在ではないか」と言われてしまった。「そう言われて見れば、そうだな」と痛感した。

ではロッキー山脈の東側の多くの州からに我が国を含めたアジア向け輸出は、どのようにして実行されているかを解明してみよう。敢えて山を越えて行かない方法を選ぶのである。その際は製品をトラック乃至は貨車輸送で、メキシコ湾というかガルフの港か、いっその事東海岸のジョージア州サバナに向けるとは既に述べた。そう言うのは簡単だが、輸出する為には海上輸送用のコンテイナー(containerだが、カタカナ語は「コンテナ」だ)が必要になる。ここに問題があるのだ。

例えば、アーカンソー州やテキサス州という内陸の工場から輸出しようとすれば、西か東か南の何れかの港から輸入の荷物を運んでくるか、あるいは空のコンテイナーを運んでこないことには、話が始まらないのだ。ところが、内陸の地域に何らかの活発な輸入品の需要があれば良いのだが、そうでない場合は遠くの港から輸送費をかけて空のコンテイナーを運んでこなければならないのだ。これではコスト高を招く。代替案は何れかの港向けの貨車輸送だ。これとても時と場合によっては空の貨車を手配しなければならないこともある。更なる代案が最もコストが高いトラック輸送だ。

細かいことを言えば、貨車輸送は工場で製品を詰めた後で貨車に乗せる際の扱いを丁寧にしないとその際の衝撃で微妙な機械類などには傷がつくことになるのだそうだ。輸送中にも揺れるのだそうだ。しかも港ではまた荷下ろしがあるので、更に危険度が増すと聞かされてきた。屁理屈を言えば海上輸送でも揺れるし、コンテイナー船からの見下ろしでも揺れるという事もあるとか。

そこで、アメリカ式の大量生産でコストを抑えてある製品だから輸送コストをかけても競争力があったとしよう。それでも未だ難問が残るのだ。それは製品が出来上がってから輸出港までの内陸輸送に時間がかかる上に、海上輸送が西海岸から我が国までの2週間と較べれば大回りをするか、パナマ運河を経由になるので航海日数が1週間以上余分になって、船便の都合次第では納期に間に合わない事態になりかねないのだ。換言すれば、アジアの需要家か輸入業者は納期に余裕がある製品しか輸入しないことを選ぶのだ。

ここでの問題点は輸入品の決済は出港した時点で請求されるので、輸入者の金利負担も西海岸よりも大きくなるのだ。しかも、アメリカからの高高度工業製品は概ねロッキー山脈の東側の企業からとなるので、この点は決して有利とは言えない条件となるないのだと聞いている。であるからと言えばそうなるが、嘗ての一次産品会社のウエアーハウザーがアメリカの対日輸出の会社別実績で何年間かボーイング社に続く2位だったというようなことになってしまうのだ。

ここで視点を変えて経済的というか品質面を考察してみよう。アメリカという市場は俗に言う「売り手市場」や「買い手市場」という類いの表現が当たらず「生産者市場」と看做す方が適切だと思っている。即ち、近代のアメリカの製造業は第一に「生産効率」に重きを置いてきたので、大量生産・大量販売に指向してきた。これを解りやすく言えば「市場の需要に合わせるのではなく、製造するのに最も効率が高い設備とスペックを採用して、消費者に『我が製品最高なり。これを買え』と押しつけているのと同じ方式」なのだ。

中間の需要家も消費者も「商品がその機能を果たしてさえくれれば、それで十分満足だ」という物の見方か考え方をしているのだ。即ち、我が国のように芸術的な外観や見てくれを追及はしないのである。しかも、往年は大量生産のお陰で価格的にも十分競争能力もあり、世界的に通用していた。ところが、そこに自動車産業に見られたように我が国からの安定した品質と美観を備えた新興国からの製品が入ってくるに至って、アメリカの製造業の地位が低下し、何時の間にか空洞化が始まり、非耐久消費財等における中国を主体としたアジアからの輸入に席巻されたのだ。

私の知るところではないアメリカの輸出品には、航空機や戦闘機やイージス艦等々の物があるが、民間向けでは矢張りボーイング社の旅客機が群を抜いていたが、今やその世界も大きく変わってきた。一般の商品ではアメリカの製造業には未だに「相手国の需要に合わせる」という方向にはないようだし、労働者の質の向上も未だしの感が消え去っていない感がある。例えば、「ヨーロッパでは皆右ハンドルの車を作っているのだが、デトロイトは」などと言いたくもなるのだ。

これ以外にも、1994年にUSTRのカーラヒルズ大使がいみじくも指摘された「識字率や初等教育」の問題点が、移民が増えてしまった結果で、未だに解消できていないという問題点も秘めている。更に言えば、このままアメリカの大統領が替わってしまった場合に、トランプ大統領が習近平に強硬に押された農産品の輸出などが何処まで実行できるかという問題も生じかねない。穀物のような一次産品の取引では勿論製品の質も関係するだろうが、私は政治案件ではないかと思っている。バイデン氏が何処まで中国に迫れるのだろうか。最早ロッキー山脈の問題ではないようだ。



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