新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

報道インサイドOUTを聞いて

2018-12-13 08:13:39 | コラム
温和しすぎる(音無)我が国の外交姿勢:

12日夜の20時59分からBS11にそういう番組があったとは全く知らずに件名とした「報道インサイドOUT」を聞いてしまった。「しまった」という言い方は失礼かも知れないが、この番組があったと知らなかったのは迂闊だったしそう表現したまでだ。話題は「従北の韓国に米激怒?米韓同盟消滅の危険性」だった。念の為に申し添えておけば司会者は学習院大学特任教授・岩田公雄氏で、ゲストは武藤正敏元駐韓大使と拓殖大学客員教授の武貞秀士氏だった。聞き応えは十分にあったと思った。

その番組のでの討論の内容も兎も角、聞いていた私があらためて「これでは駄目ではないか」と痛感したことがあった。それは「我が国は政府も国民もマスメディアも諸外国の我が国に対する礼を著しく失した外交姿勢であるか不当なやり方に対して余りにも温和しすぎる」という点だった。私の長い間のアメリカの会社勤務で肌で感じたし実際にそうしてきた経験からも言えるのだが、「論争や対立」を怖れてはならないのだ。

私は何もアメリカ式と言うかトランプ現大統領式にやれとまでは主張しないが「ここで大反撃と反論に出ても失うものはないと決意して(すべきだが)、相手国に真っ向から最大限厳しく言うべき事を言うべきだし、中国がカナダの外交官を逮捕したように直ちに報復手段に訴えよとも言わないが、官房長官の談話程度では相手は蚊が刺したほどにも感じていないだろう」と危惧しているのだ。私は主張すべき事を明確に伝えていないからこそ、トランプ大統領は何時まで経っても「日本から毎年数百万台のクルマが輸入されているのは不当(unfair)だ」と言い続けるのだと思っている。

先頃の韓国大法院の「戦中の朝鮮人労務者」に対する賠償を求める不当且つ条約無視判決についても未だに「遠くで言うだけで何ら具体的に反抗する策を講じていない」ではないか。だからこそ大法院は二の矢で三菱重工業にも有罪判決を出した。武藤正敏元駐韓大使は残る70社に対しても有罪判決が出るだろうと予測されたが、私も遺憾ながらそういう事態に持って行くのが韓国の対日政策だし、文在寅政権の基本的な政治姿勢だと思って憂慮している。

私はマスコミが言うような大統領が大法院と我が国に対する政治と外交姿勢を如何に採るべきかの板挟みとなって沈黙しているのだなどと言うのは「お伽噺だ」と見ている。彼は次から次へと出るだろう70件もの判決を待っているだけで、時と場合によらずとも我が国の当該企業の海外資産なり何なりに差し押さえをかけて、我が国の不当な植民地支配を謝罪せよと迫ってくる辺りが落ちだと思っている。彼にはこうする以外の支持率の維持乃至は上昇の策はないのだくらいに見ていても良いのではないか。・

私の次なる懸念は「DPRKが非核化などに全面的に走ることなとはない」なのである。金正恩委員長に一度くらいトランプ大統領が解散されただけで、彼が改心して全廃することなどは頭から考えていなかったと思う方が無難だとすら考えている。この点では武藤元大使も「トランプ大統領はあの6月の会談で金正恩委員長に甘い(優しいだったか?)ことを言われ過ぎた」と指摘しておられた。

私は「彼文在寅大統領は北向きに傾斜しているのではなく、北一辺倒で遠からぬ将来に(勝手に命名すれば)「高麗連邦共和国」でも建設して金正恩を国家元首に戴く気だ」くらいに考えている。そこには米韓同盟の尊重の精神など極めて薄く、既にそれに反する行動を38度線というかDMZで起こし始めているではないか。それでも文在寅大統領はアメリカとDPRKの仲介役をする気であるようで「DPRKには非核化の用意がある」とトランプ大統領に伝えたというではないか。絶対に信用してはならない相手だ。

私は安倍内閣が文在寅大統領の正体を見抜いておられないとは考えていない。だが、そうだとすると韓国に対する姿勢は如何にも甘過ぎるし、温和しすぎる。彼ら情緒優先国家であり、国民感情優先で無法な手段を講じてくる国だ。日本大使館前に違法に設置した少女像を撤去できないのは「国民感情」と平気で言い募る国家だ。それに対しても我が国が何ら具体策で向かって行かない事を良いことにして、次々と外交ハラスメントを仕掛けてくるのだ。

私はこれまでに2~3度「韓国からやってくる男女のプロゴルファーを締め出せ(ヴィザを出すな)」などと主張した。この程度のことも試みなかったのは「我が国は余りにも何事においても“fair play”を尊重するというか、そうしていれば何時かは天も神様仏様も我が国の正当性を認めて下さるだろう」と考えている政治家と官僚が多いからだと真剣に疑っている。よく考えるべきは「欧米というか白人国の歴史に我が国ような fair play 遵守の精神があったか」という事実だ。“fair play賞を獲って尚且つ勝負に勝ってこそ価値があるのではないのか。



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