中高時代に渡米し、それまで見聞きしていた「アメリカは自由の国だ!」というスローガンは現実ではないのだと肌で感じた。
ニューヨーク市内なんて特に、住んでいるエリアによって住んでいるor住める人種が限定されていたし、デリで働く白人はほぼ見たことがない。人種によって階層が区別されている国だと感じた。
人種のるつぼであるニューヨークでもそんな有り様なので、サマースクールでボストンの郊外に行った時なんて、人生で初めて「白い目で見られた」。
友人は黒人だったし、私はアジア人だったから、白人のおばあちゃんからしたらすごい組み合わせだったんだと思う。
今回の事件も、発生して数日経ってようやく元警察官が逮捕された。
抗議デモが起き始めて、ようやく。
もしも警察官が黒人で、殺されたのが白人だったら?
おそらくその場で警察官は刑務所行きだったんじゃないかな。
インスタでもNY Times, time, BCC, UNなど海外メディアや団体、海外のママ達も多くフォローしているので、先週からずっと動向を注視している。
ブルックリンだけじゃなくマンハッタン市内でも大規模な抗議デモがあり、IGTVを見て現場にいるような錯覚に陥った。凄まじい。
暴力に暴力で返すやり方には反対だけれど、人種に関係なく声を上げる多くの人たちがいるということは、アメリカという国の素晴らしいところだと思う。
日本の英語教育には様々な面でモヤモヤするのだけど、その一つが、言語の背景にある文化をセットで知ろうとせずに、言語のみの習得に躍起になっている場合が非常に多いという点。
たとえば今回の事件に対して、「アメリカで警官に殺された数は、実は黒人より白人のほうが多い」という数字を出している記事(おうち英語をされている方)を目にしたのだけど、人種差別は、マジョリティ仕様に作られた仕組みのなかの数字では分からない。
普段はまるで本当に何もないかのように巧みに隠されていて、でも何気ない言動や行動のなかに実ははっきりと表れている。
今回の「Black Lives Matter」に対して、「All Lives Matter」というスローガンが掲げられたのと似た現象かもしれない。
論点のすり替え。
数字や言葉の上では、それがそのまま正しい。それは間違いない。
ただ人種差別という文脈では、正しいとは言えないと思う。
マイノリティから声を奪う「正しさ」。
歌手のビリー・アイリッシュも白人による「All Lives Matter」多用を強い論調で批判してて痛快だけど、黒人の人権を主張するときに否定されているのは、黒人以外の人権ではなく黒人以外(主に白人)が持つ特権。
差別を無くすにはまず自分の持つ特権を意識しなくてはならないと思う。
今回の事件で言えば、白人は白人であることを理由に警官から不当な暴力を受けたり、殺されたりすることは考えにくい。
日本ではマジョリティが自国の人間だから人種差別を肌で感じることは難しいけど、在日コリアンや移民に対する意識について考えたり、女性や障害者に置き換えてみると似た構造が見えてくるはず。
少し前に性教育について何度かpostしたり熱く語っていたけど、流行りの「教科横断的な学び」と一緒で、性教育や人権教育、インクルーシブ教育、平和教育、環境教育などなど○○教育とあえて括られるものの多くは、切り離して語るべきものではなく、相互作用のなかで理解していくもの。
差別の本質は、変わらない。
「子どもと人種について話し合うのに『早すぎる』ということはない。」
これってまさに、性教育について親子で学ぼうとすると必ずどこかで目にする言葉。
そのテーマについて何も言わない、話さないという姿勢は、そのテーマがタブーであると暗黙のうちに認めているのと同じこと。
それこそこの情報社会のなかで、子どもが人種差別的な情報にいつ触れるか分からない。
日本の公教育では(誤解が多いので触れておくと、公教育≠公立学校で行われる教育)、性教育以上に期待できない分野。
その前に、親子で人種について、人間について意見交換をすること。
子どもの思いを知り、親の思いを伝えるという日常の一コマとしていくこと。
島国で、今回の事件も「どこか遠い国の出来事よね、うふふ~」とのほほんと生きているけれど、世界に出れば、私たち日本人も差別される側のマイノリティ。
広い意味での「人間に対する態度」を身に付けさせること。
多様な視点に触れること。
英語を習得することよりも、もっともっと重要なことだと思う。
身の回りの世界だけじゃなく、国際社会に出たときに、わが子が他人を傷つけるような人間にならぬように。
傷つく言葉を投げかけられた時に、毅然と振舞えるように。
人間としての土台をこの幼児期から児童期のなかで、しっかりと築き上げてもらいたい。
今年の学びの柱の一つに、ちょうど「考える練習」を据えている。
私の中では国語×道徳×コミュニケーション力のイメージで、5W1Hを意識して文章を作る、相手が理解できるように説明する、といったことと併せて社会問題や環境問題について自由に意見交換する時間を作っています。
この事件についても今週どこかで触れたい。(実は一昨日くらいから予定に入れてるんだけど、工作と折り紙にいつも時間を削られてるww)
わが家にある人種に関する子ども向けの和書。
一時期、長女がマララに心酔していた時期があり、マララ関連の洋書もいくつかあります。
「世界の子どもたち」は最新版が出ているのだけど、unicefと共同出版のこちらをあえて古本で探して購入。
マザーテレサについては、いずれその列聖への批判を含めて「宗教と科学(医学)」「白人の優越感の充足」といった視点から子ども達と話してみたいという思いで、このリストに入れました。
「偉人」の定義ってなんぞや?とかね。
「あれ?ほとんど白人なのはどうしてだろう?」という質問が、いつか来ることを夢見てます(笑)