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ますお父さん になった日のこと

2018-09-23 17:26:57 | 10代20代30代
僕が記憶を失ったのって

もう半年前だろうか、

いや、2か月ほど前だったかもしれない


薄れる記憶の中で


あれば幻だったのだろうか?とも思う


僕は山本一郎、45歳、同級生の妻と高校生の息子がいる。

でもこの愛で満ち足りた生活を送っている僕が

ほんの半年前は

「ますお」と呼ばれ、全く見ず知らずの家族の父親になっていたのだ。



今日はそのはなしをします。


その日は雨が降っていました。

会社に遅れそうなので、

近道をしようと、

いまだ区画整理のされていない戦前の街並みがごちゃごちゃ残る

細い住宅街の道を突っ切ることにしました。

そこの地区は何度も再開発の話が盛り上がったのですが

北陸に訪れた不況の波はそのたびに再開発をとん挫させ、

いつしか住民は投資を控え、郊外に移り住み、細街路と人の住まない木密住宅だけが残り

戦前には栄えた地区の全体を廃墟化していったといううわさでした。

わたしは、自転車通勤ですから、道が細くたって、一方通行路だって、かまいやしません。

空家の増えたその地区は住人も走る車も少なく

もはや足を踏み入れる人もまばらです。


なんだか見慣れない風景だなと思い

方向を確かめようとノンストップで

広見に出た瞬間でした

いきなり小型車にはねられたんです。

走り去るワゴンRの残像が

意識とともにフェードアウトしていきました…


意識が戻ると

日本家屋のチャノマに寝かされていました。


たいそう美しいが、片足を不自由そうにひきづって歩く

幸薄そうな女性がいました。

「意識が戻ったのね。

だいじょうぶですか。」


「ここはどこでしょう?

私はなぜ?私は?」

私は事故で軽い脳震盪をおこしたときから

記憶をなくしていおりました。


「あなたは私の家の前で倒れていたので、

とりあえず娘と一緒に家の中へ運び込んだのです」

小学校4年生 作本芳子と書かれたランドセルがありました。

芳子と思しき、女の子が心配そうに私の顔を覗き込んでいます。

はにかんだ笑顔は目が合うとはづかしそうに、うつむきました。



記憶が無いというのは不思議なものですね。

とりあえず運命に身を任すしかないという

他力的な心境になります。

看病も心地よかったせいか、

女の作る飯が煮物と焼き魚中心で、すこぶるおいしかったせいか、

体が運命に甘えたせいか、

起き上がるまで一週間くらいかかりました。

8日目の午後、近くを散歩しましたが、

全く町並みは見たこともありません。

携帯電話もなく

会社名や自分の家族も思い出せないのです。

情というものは不思議なものです。

どうやらこの家族には父親というものはいないらしく

芳子が生まれて間もなく

実の父親が家を出て行ったらしいのです。

徐々にお互いを自然に受け入れていくのが分かりました。

芳子は生まれて初めて

父親のような歳の大人の男と接して

興奮していました。

いろんな会話を通じて

父と娘の回路をすざましいスピードで埋めていったのです。


学校でいやなことがあったとか

外国はたのしいか

などいろんな話をしてきます

わたしとの会話は

彼女に何か母親からは得られないもの

たとえば



大人になるって楽しいことなんだ

孤独は怖いものではない

など私の大局観や

世界感に

魅了されていったのです


ぶらぶら過ごしているうち10日ほど建ちました

芳子が学校から帰ると


ボール投げや

コマ回しや

トランプなどをして遊びました


やがて不思議なことに

芳子は私を

ますお父さんと呼び始めました

父親の名前がますおだったのか

居間に池田益男のリトグラフが飾ってあったので

それから来たのかわかりません。


しかし名前なしじゃあ困るので

わたしも「ますお」という名前と父親という地位を

受け入れることにしたのです。


開発の機運から覚め、再開発から取り残された


木造二間の平屋・仕舞屋で

親子二人は生活保護を受けていました。


芳子はいつしか寝るときは

私の布団にもぐりこんでくるようになりました。

最初は手を絡ませ

はづかしそうに足を絡ませ

最後は安心して寝息をたてました。

ひと月ほどたったころ、

芳子が寝たのを確信して、

女の方が私の傍らに身を寄せるようになりました。

優しく抱き寄せると

安心したのか胸に頬を寄せてきます。

やがて足を絡め、

舌をを絡め、

愛を確かめ合うようになりました

とうとう

本物の親子になったんだなと感じていました。


そんな幸せだった家族ごっこは


突如、終わりを告げました。

妻と息子が私を探し出したのです。

「おとうさん」

大きな声で路地の数メートル先に立つ

妻と息子の姿を見て

自分の記憶がよみがえったのでした。


振り返ると、芳子が女の背中にさっと隠れました。

泣きべそをかいていました。

遠ざかる私の背中。

振り返ると、

親子が小さくなっても


まだ立っていました。




さて、私は日常生活に戻り、

自転車で会社に行き、

管理職として部下に指示をだし

バリバリ働いております。

家族も仕事も順調で充実しております。

だけど心の一部が欠けているかのようです。

そう、僕をますお父さんにしてくれたあの親子のことです。

気になっていました。

時々、再開発が予定され、時代に追い越され、取り残された木造長屋密集街を

私はあえて通ってみるのです。

ですが

あの親子の仕舞屋を

どうしても見つけることはできないのです。

そういえば、最近あの地区は再開発がきまったとのうわさを聞きました。

北陸新幹線開業効果とアベノミクス低金利政策で

比較的駅に近いあの地区も地価が上昇しており

地上げ屋も暗躍し始めているとのうわさでした。

親子を見つけられないは

そのことと関係があるのでしょうか

そして時々思うのです

本当は私は誰の家族で、誰の父親なのだろう

そして父親という役割は

一つの家族だけでもないのではではなかろうか

そんな感情にとらわれては見たものの

あれはもしかしたら

別の家族3人で暮らしたあの生活は

私の歪んだ願望であったかもしれず、

現実のものではなかったのかなとも思うのです。


















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