『真理への翼』(サイババの導きと叡智)

『真理への翼』(サイババの導きと叡智)

これは『哲学の透視図』を改題したもので、サイババとの体験談、教えを通して「人間とは何なのか?」「死をゴールとした人生に何の意味があるのか?」「真理とは何なのか?」といったものの答えを探究していくものです。

サイババ様の教えは、誰かを自分の信者にするためのものでも、他の宗教の信者をヒンドゥー教徒にするためのものでもありません。


それは、もし相手がキリスト教徒であれば、時の流れの中で失われた真に正しいキリストの教えを説き聞かせることによって、より良いキリスト教徒として生きていけるような導きを与えるものであり


相手が仏教徒であれば、真に正しいブッダの教えを


イスラム教徒であれば、真に正しいコーランやムハンマドの教えを


ヒンドゥー教徒であれば、真に正しいヴェーダやヴェーダーンタの教えを授けることによって


より良い仏教徒、より良いイスラム教徒、より良いヒンドゥー教徒としての信仰と、信仰に支えられたより輝かしい、価値ある人生へと導くものです。


そのためサイババ様の下には、世界中から、あらゆる宗教に属する人たちが訪れてきますが、サイババ様の教えを受けたことによって改宗した人はほとんど存在しません。


少なくともサイババ様は 「それは望ましいことではない」 と禁じておられます。


したがって、サイババ様の帰依者たちの中にも、その周辺にも、マインドコントロールや、布教といったものは一切存在していません。


存在するものはただ一つ、神の愛と、人類を救済するための 『真理の教え』 だけです。



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 月日が経つのは早いもので、気が付けば、ほぼ1年2か月ぶりの更新となってしまいましたが、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?

 私はそこそこ元気にやっておりました。

 

こんなにほったらかしにしているブログなのに、皆様に忘れ去られることもなく、こんな感じで

                     ↓ ↓ ↓

 

 未だに毎日誰かにアクセスしていただいていること、非常にありがたく、感謝しています。

 

 完全にブログを放置していた1年2か月の間、実を言うと、ただ単に怠けていただけではなく、あることに挑戦していました。

 

 何に挑戦していたかというと、kindleでの電子書籍出版です。

 

 

 皆さんは、Amazonが運営しているkindleというネット書店で、誰でも自由に自分の書いた本を電子出版することが出来ることをご存じだったでしょうか。実は、出来るんです!

 しかも、無料で。・・・という話を聞きつけて、挑戦していた次第です。!(^^)!

 

 途中、あまりに何をどうすればいいのかがわからなくなりすぎて、一時的にノイローゼになりかける瞬間はありましたが、250円のハウツー本一冊とネットでの検索だけで、何とか乗り切ることができました。

 

 とはいうものの、そうやって出版した本が多くの人に読まれるかと言えば、そんなうまい話はあるわけもなく、一般論で言えばこうした個人出版の本はほとんど売れることはありません。

 なにしろ、kindleで配信されている本の総数は200万冊を超えていて、最も少なそうなジャンルである「科学・テクノロジー」のジャンルでも、2015年のデータでは配信書籍が9,784冊あり、今はその時から総数が7倍になっていることから考えると、出版しても全く売れないということも十分考えられるのですが、それでも、書店流通型の自費出版をしようと思えば150万円程度が最低ラインとなるのに、無料でAmazonが運営しているkindleというネット書店で販売できることを考えれば、一冊も売れなかったとしても、リスクはゼロに等しく「やらない手はない」と考え、自分のようなネット弱者でも一人で出版までこぎつけられるのか?という不安はありましたが、とりあえず挑戦していたしだいです。

 

そして11月24日12:01にkindleから出版できた本がこれです。

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 なぜこんな本を書いたのかというと、このテーマを通して一人でも多くの人に伝えたいことがあったからです。

 

 この本を通して何を伝えたかったかというと

皆さんは今までの人生の中で、相対性理論や量子力学やビッグバン理論といった物理学の話に興味を持ったことはないでしょうか?ということでありなんとなく興味はあるけど、そうしたことについて書かれた本を読んでも、どうせ自分には難しすぎてわからない(もしくは面白くない)ものだろうから…と、最初から決めつけて、それについて知ることをあきらめていたりはしないでしょうか?

 ということです。

 

 そして『もしそう考えているのであれば、そうした人に向けて書いた本があるので、それにチラッとでもいいので目を通してみて、本当に現代科学が成し遂げてきた原子や宇宙についての発見が「自分にとっては難しすぎてわからないもの、面白くないものかどうか…」を確かめてみてください』ということです。

 

 kindleの電子書籍には『試し読み』という機能があって、誰でも本の一部(私の本で言うと第一章から第三章まで)は無料で読めるので、ちょっとだけでも読んでみて、その結果、もしあなたが少しでも「面白い」と感じたのなら、それはあなたがこうした現代物理学の発見を、数学的には理解できなくても、形而上学(哲学)的には理解できるということを意味していて、このまま読み進んで行けば、その後に紹介されていく量子力学やビッグバン理論などへの理解は深まっていくことを意味しています。

 

 以下に、この本の内容の一部を、使用できる文字数の範囲内で紹介していきますので、お付き合いいただければ幸いです。

 

(2023年2月5日追記→この電子書籍は、全体の構成を変え、大幅に加筆、削除、修正し、タイトルも変えて出版しなおすために昨夜販売停止にしています。存在そのものを削除したかったのですが、それは不可能だったため、とりあえず販売停止にしました)

 

 まずは冒頭の第一章から。

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第一章 宇宙とは何なのか?
      ☆      ☆
 例えば皆さんが今、晴れた日の屋外にいて、空を見上げることができたとします。
 そこには、昼間であれば雲や鳥や太陽などが、夜であれば月や星たちが見えるはずです。何の不思議もない話ですが、もし今、太陽か星のいずれかが見えていたとしたら質問があります。

 それは「あなたが見ている太陽や星たちは、今この宇宙に存在しているのですか?」というものです。
 皆さんが何と答えるかはわかりませんが、正しい答えは「それは、誰にもわからない」というものです。
 何の話かというと、簡単な物理の話です。

 

 私たちが太陽や星を見ることができるのは、太陽や星の光が私たちの目へ届いているからです。
 光には速度があり、私たちと太陽や星たちのとの間には距離が存在しています。光の速度はおよそ秒速30万キロメートルで、地球と太陽の距離はおよそ1億4960万キロメートルで、星たちとの距離はそれ以上です。

 これらのことが私たちに「何を教えているか?」というと、私たちの頭上に輝いている太陽や星たちは、私たちが見ているその瞬間の宇宙に存在している太陽や星たちではなく、光の速度と太陽や星たちまでの距離から計算して、太陽であればおよそ8分19秒前に存在していた過去の太陽であり、一万光年離れている星なら一万年前の過去の宇宙に存在していた星だということです。

 なので「今あなたが見ている太陽や星は、今この宇宙に存在しているのですか?」という質問に対しては、全ての人が「それは、誰にもわからない」と答えるしかないのです。

 しかも、相対性理論に従えば光速を超える伝達速度は存在しないことになるため、今後どれほど人類が科学を発達させていったとしてもそのことは変わらず、人類が知ることのできる太陽の情報は永遠に「8分19秒前のものであり続け」一万光年離れた場所に存在している星の情報は永遠に「一万年前のものであり続ける」ということになるのです。

 「そんな話どうでもいいわ!」と言われてしまえばそれで終わってしまう話ではありますが、何となく、奇妙な感じがしてくる話ではないでしょうか?

 その奇妙な感覚は「もし太陽が今、突然宇宙から消滅したら私たちはどうなるのだろう?」と考えると、さらに増してくるかもしれません。

 なぜなら、もしこの瞬間に太陽が宇宙から消滅したとしても、私たちの生きている世界から太陽は消滅せず、8分19秒の間は私たちの誰一人そのことに気づくことができないまま、すでに宇宙から消え去っている太陽に照らされながら生きていくことになるからです。
 そして、8分19秒後に私たちの世界から太陽が消え去ります。
 どうでしょう、結構奇妙な感じがしてきたのではないでしょうか?

 私たちは何の疑いもなく、自分が見ている通りの世界が、自分の目の前に実在していると思っています。
 しかし、それは違うということです。

 

                (中略)

 

『夜空に輝いている星たちの一つ一つは、その星までの距離に比例した過去に存在していた星たちであって、私たちが見ているその瞬間の宇宙に存在している星の姿ではない』ということは、現代の天文物理学にとっても極めて大きな問題を生むものとなっています。
 その一つには、ハッブルの法則に及ぼしている影響があります。

 ハッブルの法則とはエドウィン・ハッブルが1929年に発表したもので、簡単に言ってしまうとそれは、地球から観測できる銀河のほとんどが地球から遠ざかっていて、その後退速度は銀河までの距離に比例するということの発見であり、銀河までの距離と赤方偏移の大きさとの間にある比例関係を数式化したものです。

 これを足掛かりにしてハッブルは「宇宙は膨張している」という宇宙論を提唱し、天文物理学はそこからさらに「今の宇宙が膨張しているのであれば、時間を巻き戻すように過去に遡っていけば宇宙は収縮していくはずである」という考えに至り、ビッグバン理論へと発展していきました。

 現在の宇宙の年齢は138億年と推定されていますが、これはハッブルの法則から導き出されたものです。このように、ハッブルの法則は現代宇宙論の基礎となっているのですが、その一方では、現代宇宙論を危機にさらすような大きな問題を抱えていたりもするのです。
 ハッブルの法則の何が問題になっているかというと、数百万光年程度の比較的近い距離にある銀河に適用するのであれば何の問題も発生しないのですが、それよりはるかに遠い銀河に適用すると、銀河までの距離が遠くなればなるほど観測結果がこの法則に従わなくなるのです。

 普通に考えれば、このことはハッブルの法則が間違っていることを示していることになります。では、ハッブルの法則が根本的なところで間違っているのかと言えばそういうわけでもなく、問題は全く別のところにあると考えられているのです。

 その問題とは、遠く離れた銀河の本質が、距離的に遠く離れている銀河ではなく、時間的に遠く離れている過去の銀河(宇宙)だということです。

 宇宙はビッグバンによって誕生し、それ以降138億年もの間膨張し続けて現在のような宇宙になったと考えられています。そして、ハッブルの法則の中に用いられているハッブル定数は宇宙の膨張速度を表す数値です。

 そこで問題となってくるのは、数千万年前、数億年前、数十億前、百数十億年前…といった過去の宇宙と現在の宇宙の「膨張速度が同じなのか?」ということです。観測結果は違うということを示唆していますが、そうなってくると、現在の宇宙と過去の宇宙の膨張速度がどう違うのかを正確に突き止める必要が出てきます。

 ところが、これが非常に厄介な問題なのです。今のところスッキリと解決できる未来は見えないほどに…。

 ハッブルの法則が論文として発表されたのは1929年です。ハッブルはこの法則を、18以上の(一説には24の)渦巻星雲を観測することで得たデータをもとに導き出しましたが、その時点では、渦巻星雲が私たちの銀河系の外に存在している別の銀河であることすらまだわかってはいませんでした。

 星雲自体が星の集団(銀河)ではなく、ガスや塵などの星間物質が集まって輝いているものだと思われていた時代の話で、ハッブルがその時観測していた範囲内にある宇宙では、彼の見出したこの法則は完璧なものだったのです。

 私たちは、夜空に輝いている星たちや天体望遠鏡越しに撮影された天体写真を見て「これらの銀河はどれくらい遠くに存在しているものなのだろうか?」と考えます。
 昔の科学者たちもそう考えました。
 それで何の問題もありませんでした。

 それが問題となってきたのは、光の速度が不変であることを明らかにしたアインシュタインの相対性理論以降です。

 それによって私たちは「距離というものは、地球上にある常識的なもので考えるならば、誰もが自明として思い浮かべたり理解したりできるものだが、宇宙レベルの話になってくると、その理解や定義は根本から崩壊していくものであり、宇宙レベルのスケールにおいて、○○万光年離れた場所について考えようとすれば、それは自動的に○○万年過去の世界についての話に姿を変えてしまうものである」ということを知らされました。

 これだけでも、相当に驚くべきことですが、20世紀にはこれよりも遥かに信じがたい、驚くべき、この宇宙に隠されていた「存在の秘密」を次々と発見してきたものがあります。

 それは、量子力学です。・・・(以下略)】

 

 

…第一章の紹介を終わり、第六章の紹介に移ります。

                👇

第六章 プランクのエネルギー量子仮説とアインシュタインの光量子仮説
      ☆      ☆

(略)・・・アインシュタインがプランクのエネルギー量子仮説と出会ったとき、彼はまだ物理学者の誰にも知られていない無名の存在でした。そんなアインシュタインに、20世紀最高の理論物理学者として羽ばたいていくための翼を与えたのが、プランクの量子論でした。
 

 アインシュタインにとって1900年は、数学と物理の教員資格試験に合格したうえでチューリッヒ連邦工科大学を卒業した年です。この時アインシュタインは、大学の研究室に残って物理学者としての道を進みたいと思っていましたが、大学には残れず、就職も決まらないまま追われるように卒業しています。


 研究室に残ることができなかったのは、物理学部長に嫌われていたためだと言われていますが、大学に残れなかったアインシュタインは、保険の外交員、臨時の代理教員や家庭教師などのアルバイトで食いつなぎながら、ひっそりと一人部屋で物理の研究を続けていました。今でいうなら物理オタクという肩書しか持たない境遇です。
 
 1902年、こうした苦境を見かねた友人の父親の口利きで、アインシュタインはベルリンのスイス特許庁に3級技術専門職(審議官)として採用されました。これによって生活の基盤ができ、研究の時間を持つことができるようになっただけでなく、特許申請書類の中のさまざまな発明理論や数式を知る機会を得ました。

 はっきりした記録は残っていませんが、アインシュタインがマックス・プランクのエネルギー量子仮説を知ったのもこの時だと推測されます。
 それから3年後の1905年、26歳になったアインシュタインは書き上げた一つの論文を母校のチューリッヒ連邦工科大学に提出します。

 その論文は特殊相対性理論について書かれたものでしたが、博士論文としての条件を満たしていないとして受理されませんでした。

 そこで彼は、同時に書き上げていたもう一つの論文を再度提出しました。
 その論文は『熱の分子論から要求される静止液体中の懸濁粒子の運動(後に「ブラウン運動」として知られるようになった現象)について』という、原子の実在性を証明するもので、これは受理されました。これは後に「それまで原子の存在を認めるのに消極的だった物理学者たちに原子の存在を認めさせた」といわれている傑出したものです。


 この年のアインシュタインはさらにもう一つ論文を発表しています。それは、プランクのエネルギー量子仮説を光にも適用することで光電効果がなぜ起こるのかを合理的に説明した論文で、結果的にこれが最も評価され、全く無名だったアインシュタインの名を物理学界に知らしめただけでなく、プランクの提唱していたエネルギー量子仮説にも光を当てることになりました。

 アインシュタインといえば相対性理論が有名ですが、ノーベル賞は相対性理論ではなく、光電効果がなぜ起こるかをプランクの量子仮説を光に応用して説明した《光量子仮説》の業績に対して与えられています。

 一説によれば、アインシュタインのノーベル物理学賞対象理論には相対性理論を推す声もあったようですが、この時点では、相対性理論の中で予言されている現象はまだ何一つ確認されておらず(相対性理論の中で予言されていた現象が確認されたのは、1941年の時間の遅れの実験によってだと言われています)物理学理論というよりも形而上学的な印象が強かったため、反対の声も大きく、受賞の対象からは除外されたと言われています。


 この年アインシュタインが提出した3つの論文はすべて、現代物理学の基礎となる傑出したものであるため、この年は「奇跡の年」と呼ばれています。

 以下は、アインシュタインがプランクのエネルギー量子仮説を光にも適用することで「光電効果がなぜ起こるのか」を説明した《光量子仮説》についての解説です。

 古代から光は哲学者や自然を研究する人々にとって大きな関心の的であり、光の本性については「波動説」と「粒子説」の二つが存在し、常に対立していました。
 18世紀まではアイザック・ニュートンが粒子説に基づく光モデルを提案していたことから、光の本質は粒子であるという考えが優勢に立っていました。

 

 しかし、19世紀の初頭にトマス・ヤングとジャン・フレネルがWスリットを使った実験によって、光が回析と干渉を起こすことを証明したことから、一転して「光は波である」という考えが支持されるようになりました。さらに1865年には、ハインリッヒ・ヘルツが、光が電磁波の一種であることを実験で確かめたことから「光の本質は波である」ということがほぼ確定しかけていました。
 しかしこのあと、光を波と考えると解決できない現象が発見され、それによって、事態は再び混沌としてきました。それが『光電効果』で、以下のような現象です。

 まず、箔検電器の上に亜鉛板を乗せてマイナスに帯電させ、箔を開いておきます。次に、亜鉛板に赤色と紫色の光二種類の光を、それぞれ別に当ててみます。すると紫色(特に紫外線)の光ならどんな弱い光でも亜鉛板から電子が飛び出して箔が閉じてしまうのに対して、赤い光では、どんな強い光を当てても箔は開いたまま(つまり電子がはじき出されないまま)なのです。この現象は、光を波だと仮定することによっては説明できません。
 この現象を「光は波として振る舞うと同時に、エネルギーを持った粒子(量子)としても振る舞う」と仮説を立てることで説明したのがアインシュタインなのです。

 光が粒子(光子・光粒子・フォトン)としても振る舞うと仮定した場合、光は同じ粒子の集合したものではなく、一つの光が虹の7色に分かれるように、様々な種類のエネルギーを持った粒子の混合したものであると仮定することができます。そう考えた時、赤い色の光と紫色の光では波としての波長や振動数が違うように、粒子(量子)として持っているエネルギーも違うと仮定できます。
 そしてその時、赤い光の粒子の持っているエネルギーは弱く、紫色の光の粒子が持っているエネルギーは強いと仮定すれば、赤い光をいくら亜鉛板に当てても、それは柔らかいスポンジで出来たボールをぶつけているようなものなので、亜鉛板の電子を弾き出すことができないのに対して、紫色の光の粒子は固い金属でできたパチンコ玉のようなものということになるので、ほんのわずかを当てただけでも電子を弾き出してしまうという仮説が成り立つのです。

 この仮説は物理学界の注目を浴び、この業績によってアインシュタインは1921年にノーベル物理学賞を授与されているのですが、この2年後の1923年、ルイ・ド・ブローイによってさらに衝撃的な仮説が発表されます。


 それは《物質波》と呼ばれるもので、アインシュタインの唱える「光は波として振る舞うと同時に粒子としても振る舞う」という仮説が正しいのであれば、その逆もまたあり得るはずだというもので、「物質もまた、粒子(物質)として振る舞うと同時に波(非物質)としても振る舞う」という理論です。

 これは、常識的に考えるならば、誰もが「あり得ない!」と思う仮説です。なぜなら私たちは未だかつて誰一人として、現実の世界で、物質でできたものが波として振る舞っている現象など一度も見たことはないからです。

 もしすべての物質が波としても振る舞ったとしたら、道行く車のすべては、直接ぶつからなくてもすれ違っただけで、互いに作用しあって大混乱になるはずだし、私たちが見て体験している世界は全く違った世界になっているはずです。
 
 しかしそうしたことは、現実の世界のどこでも起こっていません。

 それは、この物理学理論が間違っているからではなく、そうした現象は、原子や電子のように、物質が小さくなればなるほどはっきりとわかる形で起こり、逆に、私たちの目に見えるほど大きな物質にまでなってしまうと、まったく確認できないほど小さくなってしまうという自然の法則に支配されているからです。
                         (中略)
 したがって、こうした量子力学の仮説の奇妙さは、物理学やそれを読み解く形而上学を離れた日常の世界では一度も問題になっていません。

 しかし、原子エネルギーや、電子や量子などを使ってハイテク機器やハイテク技術やハイテクインフラを生み出し、運営していこうとするのであれば、これが基礎理論となるし、この宇宙や、私たちという存在の本質が何であるのか?「…この宇宙はなぜ生まれ、何のために存在し、どこへ行こうとしているのか?」というようなことを知りたいと考えるのであれば、何より重要な問題となってきたりするのです。

 「すべての物質は、物質でありながら同時に波としても振る舞う」というド・ブローイの物理学理論が正しいことは、電子や光子(フォトン)を使ったWスリット実験によってはっきりと証明されているため、誰にも否定できません。

 ド・ブローイは、この業績によって1929年にノーベル物理学賞も授けられていますし、それ以降も、さらに精度の高い実験によってその正しさは確認され続けています。したがって、物理学的に言えば「正しいのか、間違っているのか」という議論の余地はありません。どんなに納得がいかなかったとしても、正しいと受け入れる以外にないものです。

 しかしそれでもなお、大きな問題が残ります。

 それは「物理学の実験だけに目を向ければ『物質は、物質でありながら波としても振る舞う』ということを認めなければなりませんが、形而上学(哲学)的には、それがどういうことなのか?何を意味しているのか?を記述することもできないし、理解することもできない」ということです。

「物質の本質は、物質であると同時に波(非物質)でもある」**←**言葉で書けば簡単ですが、これがどういうことかを理解したり、説明できたりする人がいるでしょうか?  いないのです。・・・(以下略)】

 

 

 

 …量子力学に関する思考実験で最も有名なのは「シュレーディンガーの猫」です。

 なので、第六章の紹介はここまでにして、次は第十章「シュレーディンガーの猫」の紹介に移ります。

              👇

第十章 シュレーディンガーの猫
      ☆       ☆

(略)・・・ホーキングが「シュレーディンガーの猫の話を聞くと、私は自分の銃に手を伸ばしてしまう(注釈・そう主張する相手を思わず殺してしまいたくなるという意味か、自殺してしまいたくなるという意味のどちらかだと思われます)」という言葉を残しているように、すべての科学者にとって解決不能な混乱と煩悶の種となっています。


 なぜなら、その思考実験が描き出しているものは、常識的にはあり得ないものであるにもかかわらず、量子物理学的には「正しいものだ」と考えざるを得ない説得力を持っているからです。

 これから『シュレーディンガーの猫』の詳しい解説に入りますが、この思考実験に登場するのは、猫と、中の猫が見えないように猫を閉じ込める金属製の箱、平均して二時間に一個の原子が崩壊する放射性元素、原子が崩壊するとそれを感知してシアン化合物の入ったビンを割ってしまう装置の四つだけです。


 この思考実験に進む前に、皆さんが知っておかなければならないことは、平均して二時間に一個の原子が崩壊する放射性元素を一定量置いていた場合、その放射性元素の中の最初の一個がいつ崩壊するかは、完全に確立としての偶然に左右され、一時間が経過した時点で最初の一個が崩壊している可能性は完全に50パーセントだということです。


 したがって、一時間が経過した時、箱の中の原子が崩壊してシアン化合物の入ったビンが装置によって割られて、中の猫が生きている確率と死んでいる確率は半々であり、中を見ない限り誰にもわかりません。

 以上のことを踏まえたうえで、いよいよ思考実験の説明に入ります。

 この思考実験に難しいことは何一つありません。ただ、一時間が経過するのを待って箱を開け、中の猫が死んでいるか生きているかを調べるだけでいいのです。
 しつこいようですが、一時間が経過した時、箱の中の放射性元素が崩壊している確率は50パーセントです。もし崩壊していれば中の猫はシアン化合物のビンが割られて死んでいるし、崩壊していなければ猫は生きていることになります。
 その二つの可能性を決定するのは50パーセントの確立の中にある偶然だけです。どのような方法を使っても、人為的に箱の中の放射性元素を崩壊させたり崩壊させなかったりすることはできません。したがって、箱の中に閉じ込められている猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けて中を見ない限りわかりません。これが、この実験の意味しているもののすべてです。

 みなさんはこれを読んで、この実験の中にある「いったい何が問題なのか?」お分かりでしょうか? 
 たぶん分かっている人は少ないと思います。もし予備知識なしにわかっているのなら、その人は、この問題に関する限りにおいては、アインシュタインやシュレーディンガーやニールス・ボーアと同じレベルの天才だということになります。

 この思考実験が量子物理学者たちに突き付けている問題点をはっきりさせるために、この思考実験の鍵を握っている放射性元素を使った装置を、量子力学を全く無視して使うことのできる別のものに変えてみることにします。

 この思考実験の中に設けられている、放射性元素の崩壊を感知してシアン化合物の入ったビンを割る装置は、一時間が経過した時、50パーセントの確率で猫の生死を決定するものなので、その装置の代わりに、一時間が経過した時一枚のコインを箱の中で転がし、表が出たらシアン化合物のビンを割り、裏が出ればシアン化合物のビンを割らないという装置に変えても、一時間が経過した時、中の猫が生きている確立と死んでいる確率は50パーセントで全く変わらないことになります。そしてその実験でも、猫は外からは中が見えない金属製の箱に入っているので、箱を開けてみない限り、中の猫が死んでいるのか生きているのかわからないという点も全く同じです。

 だとすれば、この二つの実験の間に、何か本質的な違いはあるのでしょうか?

 実を言うと、実験結果だけを問題にするのであれば、この二つの実験の間に本質的な違いはありません。この二つの実験では、どちらも一時間後に箱を開けて中を見た時、半々の確率で中の猫が死んでいたり、生きていたりするだけです。したがって、問題の核心はそこにはありません。

 この思考実験の中で、誰にも解決できない問題となっているものは、箱を開けて中の猫を見た時ではなく、箱の中の猫を見ていない時、つまり箱を開けて中の猫を私たちが見る直前の箱の中の猫が「どうなっているか?」にあるのです。
 もっと厳密に言えば、箱を開けて中を見る直前だけではなく、誰にも見られていない状態でその箱の中にいる猫が過ごしている1時間の間のすべてにおける猫の状態が「どうなっているのか?」にあるのです。

 それは「誰にも見られていない猫」言い換えるならば「いかなる観測も受けていない状態の猫」ということなので、それがどうなっているかを物理的な実験によって確かめることはできません。できるのは、思考実験による理論的な予測だけです。

 ちょうど一時間が経過し、まだ誰にも見られていない時、箱の中の猫がどうなっているのかについて考えてみましょう。
 まず、箱の中でコインを転がして猫の生死を決める装置の方から考えてみることにします。
 私たちはまだ箱を開けて中の猫を見ていないので、猫が死んでいるのか生きているのかはわかりません。しかしそれは、私たちが知らないだけで、中の猫の生死は決定しています。つまり、コインのどちらの目が出ていても、中の猫は、生きているか死んでいるかのどちらかだということです。

 次に、シュレーディンガーが量子力学のコペンハーゲン解釈に異を唱えるために持ち出してきた、放射性元素を使った思考実験について考えてみることにします。この場合も、箱を開けて中の猫を見た時、中の猫は死んでいるか生きているかのどちらかです。そして、箱を開けて見ない限り、中の猫が生きているのか死んでいるかはわかりません。ここまではコインを使った実験とまったく同じです。
 違うのはここから先です。

 コインを使った実験では、箱の中の猫を誰も見ていない時点でも、箱の中の猫の生死は決定しています。ただ、私たちがそれを知らないだけです。
 しかし、放射性元素を使った実験では、全く違うことになります。放射性元素を使った実験では、箱の中の猫は私たちの誰かが中の猫を見ない限り(誰かに観測されない限り)、自分が生きているのか死んでいるのかを量子力学の理論上決定できないことになるのです。

 どちらの実験でも、私たちは、箱を開けて中の猫を見なければ、中の猫が生きているのか死んでいるのかを知ることはできません。コインを使った実験の時は、それがただ単に、私たちがそれを知らないだけなのに対して、量子力学の実験においては猫そのものが、私たちに見られない限り《生きている自分》と《死んでいる自分》のどちらとしても存在できないことになるのです。
 ではどのような状態で存在しているかというと、放射性元素が崩壊してシアン化合物のビンが割られた結果死んでしまった自分と、放射性元素がまだ崩壊していないため生き続けている自分を、確立という霧の中に50パーセントずつ溶かし込んだような状態で存在していることになるのです。

 この結論を盾にシュレーディンガーは「しかし、猫は同時に生きていたり死んでいたりできない。だから量子力学に対するコペンハーゲン解釈は間違っている」と攻撃してきたのです。**「人が見ていようが見ていまいが、どの時点をとっても、箱の中の猫は《生きている》か《死んでいる》かのどちらかであるはずだ」**と。
 しかしそれに対してボーアは 「いや違う!」 と告げてきました。

「量子力学においてそのような言明は意味をなさない」

 これはもっと分かりやすいように言い換えると「それがあなたの理性や常識に照らし合わせてどれほど納得のいかないおかしなことであったとしても、それが量子力学という自然科学の到達点に描き出されている原子モデルや宇宙モデルである以上、文句を言ったところで科学的には何の意味も持ち得ない」ということです。

 なぜならそれは、見事なまでに実験結果と一致した理論であり、テレビやコンピューターに不可欠な集積回路の機能を完全に支配する理論であり、私たちの社会に提供され続けている、すべてのハイテク機器や、現代医療、化学、生物学のすべてを基礎理論として支え続けているものだからです。・・・(以下略)】

 

 

 

 

 …第十章の紹介はここで終わり、次の第十一章の紹介に移ります。

第十一章 宇宙の起源・ビッグバン理論                            
      ☆       ☆
 ビッグバン理論を数学的に支えているのはアインシュタインの一般相対性理論で、観測データを物証として支えているのは「ハッブルの法則」です。

                     (中略)
 ハッブルの法則とは、簡単に言ってしまうと「宇宙は膨張している」ということの発見と、その数学的な証明です。ハッブルは宇宙が膨張していることを、実際に天体を観測することで発見しましたが、この業績はハッブル一人で成し遂げられたわけではありません。ハッブルの発見は、ハッブル以前になされた、二つの大きな天文学的業績の上に打ち立てられたものです。

 話は1910年代のアメリカに遡ります。

 1910年代、アリゾナ州のローウェル天文台に僅かな給金で雇われて星雲をスペクトル観測していた天文学者がいました。ヴェスト・スライファーです。
 スライファーは、20年以上にわたって40以上の渦巻星雲を観測し、これらの星雲の発している光のスペクトル線のすべてが赤のほうにずれていることを見出しました。
 これは、光のドップラー効果による赤方偏移と言われる現象で、観測された星雲がとてつもない速度で地球から遠ざかっていることを示しています。光は波の性質を持っているので、観測している天体が地球から遠ざかっていた場合、アインシュタインの一般相対性理論に従えば空間が引き延ばされることによってすべての光の波長も引き延ばされることになり、それによってスペクトル線が赤の方にずれるからです。

 スライファーは、独自の計算によって星雲が地球から遠ざかっている速度を毎秒300キロメートルと算出し、このことをアメリカ天文学会で発表しました。

 この発見に、天文学者たちはスライファーをスタンディング・オベーションで迎えましたが、この時はまだ誰もそのデータが意味するものは理解していませんでした。その原因は恐らく、スライファーの観測データの中に、アンドロメダ星雲が地球に近づいているという、もし宇宙が膨張しているとすればあり得ないものがあったためだと思われます。

 ちなみに、アンドロメダ星雲が地球に近づいていたのは、アンドロメダ星雲が地球の銀河系と同じ銀河グループ(局部銀河団)に属していたため、宇宙全体の膨張によって遠ざかる力よりも、銀河同士の重力によって引き寄せあう力が勝っていたためだと考えられています。しかしそれがわかるのは後の話です。

 もしこの時の天文学に、星雲までの距離がある程度正確に割り出せる手段があったならば、アンドロメダの青方偏移と他の星雲の赤方偏移の原因が全く違うもので、宇宙は膨張しているという可能性に気づく天文学者もいたかもしれませんが、星雲が銀河であることもわかっておらず、星雲までの距離も計測出来ていなかった以上、当時の天文学者がこの時点で宇宙の膨張に気づくことは不可能でした。

 それでも、スライファーの「地球から観測できる星雲のほとんどが遠ざかっている」という発見に強い興味を示した天文学者がいました。それがハッブルです。


 しかし、宇宙が膨張しているという発見は、スライファーの発見だけでは不可能です。なぜなら、スライファーの発見だけでは、それぞれの星雲の後退速度に違いがあることはわかっても、それぞれの銀河までの距離が全くわかっていないため、それぞれの星雲がバラバラな動きをしているようにしか見えず、宇宙そのものが膨張しているという直感を与えてはこないからです。

 宇宙が膨張しているということの発見には、これに加えてそれぞれの星雲までの距離の割り出しが必要になってきます。これがあって初めて、地球から遠い銀河ほど速い速度で遠ざかっているということがわかり、「宇宙が膨張している」という宇宙論につながっていくからです。

 このことからもわかるように、天文学において遠くの天体までの距離を測定することはきわめて重要なのですが、非常に難しく、この時点ではまだ視差を利用した三角測量によって距離を割り出していたため、数十光年離れた天体までの距離しか測定できませんでした。しかしこれではいくら天体を観測しても、宇宙が膨張しているという証拠は得られません。ハッブルの法則やビッグバン理論の誕生には、その距離を少なくとも数万倍にする必要がありました。そして、日の当たらないところで秘かにその手段を発見していた天文学者がいました。


 その天文学者は、ヘンリエッタ・リービットという女性です。


 リービットの業績がなければハッブルの法則もなく、ビッグバン理論もありませんでした。そういう意味で彼女は、天文学をその後の宇宙論へと導いた偉大な天文学者だと言えます。
 
 しかし、天文学の世界にそれほど大きな業績を残している彼女ですが、その存在は驚くほど知られておらず、天文学者としての人生も、正当な評価も扱いも受けられないまま一生を終わるという不遇なものでした。

 リービットは、ハーバード大学を卒業していますが、人文学の授業を中心に履修していて、天文学に関しては4年時に始めて講義を受けただけで、天文学者としての資格は何も持っておらず、なおかつ病弱で卒業後に患った髄膜炎で聴覚障害があったことなども原因して、天文台に努めてはいても、そこで天文学者としての研究に携わることは許されていませんでした。

 そうした事情もあって、リービットについてはあまり多くの資料は残っていませんが、わかっている限りでいうと、1892年にハーバード大学を卒業し、翌年、母校の天文台で天文学を学びながら働く無給職員(主な仕事は天体写真などのデータ整理をする計算手)になっています。その後、女性計算手は男性に比べて作業が正確なうえ、給料も安く抑えられるという理由から、星の等級を記録する作業や、写真データから変光星を探し出し、カタログに記録するという仕事をまかされるようになりました。

 そんな境遇の中で彼女は、やりたいけどやらせてもらえないことには一切執着せず、自分に出来ることだけを極めることで道を切り開いていきました。


 彼女はまず、自分に与えられた事務処理の中で取り扱うことのできる天体写真乾板に注目し、その中から変光星を探し出す作業を始めました。そして彼女はその作業によって、最終的に、当時発見されていた変光星の半数に当たる2400個以上を発見するという偉業を成し遂げたのです。

 さらに彼女は、そうして発見した変光星の中の、小マゼラン星雲内にある25個の変光星に着目しました。それらの変光星はすべて一つの小さな星雲内にあるので、地球からの距離を考えた時、すべての変光星をほぼ同じ距離にある星として取り扱うことができるからです。つまり、見た目の明るさだけで25個の変光星の絶対等級(明るさ)が確定できるのです。この25個はすべて、絶対等級が比較的大きく、変光周期が2~50日と短いという特徴を持つケフェイド変光星でした。

 リービットは1908年、自らが発見した変光星についての論文を『ハーバード大学天文台年報』に発表しました。リービットのこの論文は彼女が生きている間は注目されませんでしたが、彼女の死後、その重要性(彼女のテクニックを利用することで、遠く離れた星雲などの天体までの距離を割り出すことが可能になること)がわかり、天文学者を20世紀最大の発見へと導いていくことになりました。

 しかし、それほどの業績を残しているリービットですが、生きている間は天文学者としての最低限の扱いさえ受けることができないような不遇な人生でした。

 リービットの最大の不幸は、上司に恵まれなかったことです。リービットの上司であるピッカリングは、彼女の優れた天文学者としての能力は認めていながらも、彼女の能力を利用するだけで、最後まで天文学者としての地位や仕事は与えず、自分のデータ整理をする助手としてしか扱いませんでした。

 そんな彼女を天文学者として正当に評価し、重用する人との出会いはピッカリングの死後に訪れました。以前からリービットの変光星の研究に注目し、自分の研究に助言を求めたりしていたハロー・シャプレーがピッカリングの死後、ハーバード大学天文台長に就任したのです。
 シャプレーは1921年に天文台長に就任するとリービットを母親とともに天文台の近くに住まわせ、天体測光の責任者にしています。

 しかしそれでもリービットの天文学者としての人生は報われませんでした。彼女は不運にも、シャプレーという理解者を得、やっと天文学者としての道が開かれようとしたその年に胃癌になり、そのまま世を去ったのです。

 シャプレーは彼女の死を悼み「リービットに代わってその仕事を引き継ぐ能力のある人はいません」と追悼文に記し、その業績を「天文学への偉大な貢献」と称えています。

 また、同僚の女性天文学者(全米科学アカデミーからヘンリー・ドレーパーメダルを受賞した最初の女性)アニー・ジャンプ・キャノンはリービットの葬儀から4か月後、天体観測所のあるペルーへ向かう蒸気船の上から南半球の星空を見て「大マゼラン星雲はなんと明るいのだろう。見るたびに、かわいそうなヘンリエッタのことを思わずにいられない。ヘンリエッタはこの星雲をどれほど愛していたことだろう」と日記に綴っています。

 リービットの死後、リービットの見出したテクニックを用いて18以上の(一説には24個の)渦巻き星雲をスペクトル観測し、それぞれの星雲までの距離と、それぞれの星雲の赤方偏移から遠ざかっている速度の違いを導き出し、それによって得た …ほとんどの星雲が赤方偏移を示すだけでなく、星雲までの距離が遠いほど赤方偏移が大きいということ、赤方偏移を示すすべての星雲の動きはバラバラなものでなく、きわめて規則的な、宇宙の中心から外に向かって吹き飛ばされてでもしたかのような、あるいは、宇宙という一つの風船が、天文学的なスピードで膨らんでいるかのような、統一的なものである… というデータから「宇宙は膨張している」という宇宙論に至り、天文学のヒーローとなったのはエドウィン・ハッブルです。

 ハッブルの偉大さは、観測した銀河のすべてが地球から遠ざかっているだけでなく、地球からの遠く離れている銀河ほど遠ざかる速度は速くなっているという観測データから「宇宙は膨張している」という考えに至ったことです。

 もし皆さんがもしハッブルのように、自分が観測したすべての銀河が地球から遠ざかっているということを発見したとしたら、それによって「宇宙は膨張している」という考えに至るでしょうか?

 おそらく、そうはならないと思います。

 なぜなら、観測した銀河のすべてが地球から遠ざかっているだけでなく、地球からの遠く離れている銀河ほど遠ざかる速度は速くなっているという現象は、まるで地球が宇宙の中心であり、すべての銀河が地球から遠ざかっている現象のように見えるからです。つまり、地動説の再発見です。

 しかし、地球は宇宙の中心ではありません。(というか、人類は宇宙の中心がどこか知りません)だとしたら、地球から観測されたすべての銀河が地球から全方向に遠ざかっているという現象の意味しているものは何なのでしょう?

 この問いに対して皆さんならどういう答えを出すでしょうか?

 実を言うとこの“宇宙にあるすべての銀河が地球から遠ざかっている”という現象こそが、宇宙が膨張しているということを裏付けているものなのです。

 もちろん、だからと言ってそれは地球が宇宙の中心であることを意味していません。実を言うと、すべての銀河が遠ざかっているという現象は地球に限ったことではなく、宇宙に存在するすべての星から周りの銀河を観測したとしても同じように起こっている現象なのです。これがビッグバンによって生み落とされた宇宙の特徴なのです。

 ビッグバンによって生み落とされたこの宇宙においては、どの銀河のどの星から観測したとしても、その星から観測することのできるすべての銀河は、その星を中心として全方向に遠ざかっているのです。このことを明らかにしたところに、ハッブルの偉大さがあります。

 なぜそのような現象が起こるかというと、わかってみれば簡単な話で、ビッグバンとは何かが爆発したことによって物質(銀河など)が宇宙空間を飛び散っていくような現象ではなく、時間と空間でできた閉ざされた世界(宇宙)が物質(銀河など)を形成しながら均等に膨張していく現象だからです。

 これを理解するためには、とりあえずボール状の何かをイメージし、そのボールの大きさの宇宙が、地球の大きさに膨らんでいく過程を思い描いてください。
 そのボールの中の空間には無数の銀河が存在しています。その銀河の一つに地球があり、他のすべての銀河との間に、それぞれ距離を有しています。

 ボールの大きさの宇宙が地球の大きさに膨張した時、ボール大の宇宙の中にあったすべての銀河と銀河の距離、星と星の距離は、ボールと宇宙の大きさに比例して拡大していることになります。つまり、どの銀河のどの星から観測しても、周りに存在している星や銀河までの距離は広がっていて、それを時間の経過の中で観測すれば「遠ざかっている」という現象になるのです。

  このことに気づいたハッブルは、1929年、20世紀で最も重要な天文学的発見とされる「膨張する宇宙」の証拠を添えて「宇宙は膨張している」と発表しました。・・・(以下略)】

 

 この本は十四章からなっていて、各章の見出しは以下の通りです。

二章 宇宙の本質

三章 唯物論と量子論

四章 科学者と神

五章 量子力学概論

六章 プランクのエネルギー量子仮説とアインシュタインの光量子仮説

七章 客観的実在という幻影

八章 量子力学を支配するコペンハーゲン解釈

九章 「物資は波としても振る舞う」~二重スリット実験の衝撃

十章 シュレーディンガーの猫

十一章 宇宙の起源・ビッグバン理論

十二章 死とは何なのか?

十三章 進化論

十四章 形而上学が描き出していく神の全体像

 

 なお、kindleで販売されている電子書籍は購入しても、PCやスマホなどにそれを読むためのソフトをインストールしていなければ、読めません 購入した電子書籍を自分のPCやスマホなどで読むためには、それを自分のPCやスマホなどに表示させるための無料ソフトをダウンロードしてインストールする必要があります。

 なので、以下に、そのソフトを手に入れるリンクを添付しておきますので、それをクリックして、表示されたkindle提供のソフトを無料でゲットしてください。購入とありますが、これはシステム上の表現の問題で、実際は無料です。

 (なお、試し読みだけなら、こうした手続きなしに読めます。)

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本のリンクです。

   ↓

宇宙を読み解く: 宇宙はなぜ存在し、なぜ生命は生まれたのか? | ムラリー | 物理学 | Kindleストア | Amazon

 

ちなみに、11月24日に出版した私の本は、kindleに表示されている物理学のジャンルでの《売れ筋ランキング》では今のところ最高順位が 58位で 今日(12月2日)は108位 だったので「ほとんど売れていないが、全く売れていないわけではない」といったところのようです。私のようなセルフ出版の場合、本の宣伝を一切していないため、本の存在そのものが知られておらず、本の存在を知ってもらう手段がこうしてブログで告知することくらいしかないので、とりあえず、こうして告知している次第です。

 

 

サイババ様の御言葉です。

 

『神は、近くにいるものにも遠くにいるものにも、大きいものにも小さいものにも、万物の中に存在する中核です。

あなたの意識を最大限に広げなさい。実を言えば、意識には全く限界などありません。それは、分割払いや、現金払いをしてできることではありません! そうです。

それは、瞑想や、ジャパ〔マントラや神の御名を繰り返し唱えること〕や、ナーマスマラナ〔神の姿を想いながら神の御名を唱えること〕を通じて、あなたに内在する至高の権威者を絶えず憶念することによってもたらされる、内面の変容を通してのみ可能です。

あなたが一たびその権威者を自らの身に顕現させるなら、あなたは自分の周りにいる気落ちした人や困窮した人たちの間で、奉仕と向上に役立つ道具になることができます。

 

神性は、ハートの中で芽吹き、意識の中で育ち、人間のあらゆる精神的、肉体的活動の中で花開きます。

しかしながら、神聖原理はあなたの体験を超越しています。

なぜなら、あなたは自分と全く同じ原理を持っている他者に最善を尽くす準備ができていないからです。

与える準備ができた時、あなたは受け取る資格を得ます。それまでは、無理です。

 

IAS〔インド行政官〕やIPS〔インド警察官〕等々、高い教育を受けた人々の中にさえ、老いた両親を助ける者など滅多におらず、せめて自分が味わっている快適さのわずかでも両親に与えようとする者もほとんどいません。

皆、自分の生活レベルを確保することに夢中になっています。

どのくらい長くその生活レベルに留まれるのでしょうか? 

多くの人に、苦痛や悲しみ、不満や嘆きを与えながら、巧妙に小賢(こざか)しく手に入れた一切に別れを告げなければならない日が、必ずやって来ます。

両親、年長者、困窮している人々への奉仕は、それに関係したすべての人に喜びと満足を与えてくれます。

徳と正義は、最後の審判の日に、あなたに有利になる証言をしてくれます。

銀行預金も、所得税申告も、あなたのために証言してくれることはありません。

 

最後に、次の注意点を話して終わりにしたいと思います。

自分の運命に対して、動揺したり、ためらったり、疑いを抱いたりしてはなりません。

自分の実体を悟ることを渇望しなさい。

その渇望そのものが、あなたに着実な努力と、あらゆる障害物を取り除く神の恩寵を授けてくれるでしょう。

他の人々の手本となりなさい。

実際の体験から生じた根拠もなしに、あれこれアドバイスをしてはなりません。

他人の欠点を探さずに、自分の欠点を探しなさい。愛し、協力し、助け、奉仕しなさい。

これが、村のサティヤ・サイ・ユニットのリーダーとしての、あなた方の第一の義務です。』

 

☆2014/01/01

1979年3月28日・場所:ハイダラーバードのシヴァム

テルグ正月の御講話より

 

 

今回の記事は以上です。

 

みんな幸せになりますように。

サイラム<(_ _)>