本題へ行く前の閑話『秘められたインド』その8(真の占星術) | 『真理への翼』(サイババの導きと叡智)

『真理への翼』(サイババの導きと叡智)

これは『哲学の透視図』を改題したもので、サイババとの体験談、教えを通して「人間とは何なのか?」「死をゴールとした人生に何の意味があるのか?」「真理とは何なのか?」といったものの答えを探究していくものです。

皆さんは、占星術と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか?

 

それは、人の未来に待ち受けている運命を読み解いて危険や災厄を回避させたり、チャンスを手に入れさせて、この世的な地位や名誉や成功を獲得させるためのものでしょうか?

 

それとも、たんに非科学的で愚かな人々を迷わすだけの迷信でしょうか?

 

私には、あなたがたが何を思い浮かべているかはわかりませんが、それでもなお、私には言えることがあります。

それは「たとえあなたがたが今、何を思い浮かべていたとしても、それは真の占星術(学)の本質ではないということです。

 

すべての占い、特にその頂点に位置しているインド占星学、…平たく言えば星占い…は、人の未来に運命として待ち受けている災厄を回避させたり、この世的な富や地位や名誉や、成功を獲得させるためのものではなく、この世の真実・・・、この世を支配している神の法であるカルマの法則がいかなるものであるかを教え、「人と生れたのであれば、何をすべきで、何をしてはならないのか」を教えながら真の救済の扉へと導くものであり、最終的にはヨーガと同じように、「私とは誰なのか?」という究極の命題へと導き、その先にある究極の救済である神との合一へと導くものです。

 

この先は、それらのことをあらかじめ頭に入れたうえでお読みいただければ幸いです。

(人の運命も、この世の出来事も、絶対的なカルマの法則によって運営されているので、占いなどによって未来に運命として待ち構えている障害や災厄を察知して、それを避けて道を切り開いたり、甘い汁を吸おうともくろめば、一時的には成功して現世利益を得たかに思える出来事が起こるかもしれませんが、その先に待っているのは、その不正を新たなカルマの報いとして待ち受けるより破滅的な状況にたたき落とすための運命です。そしてそれは、占いに頼って道を切り開こうとした、すべての人の末路が証明していることでもあります(それは偶然や運不運でそうなっているのではなく、カルマの法則によってなるべくしてそうなってるということであり、この末路から逃れることはできないということなのです。このことを信じずに、この世的な善悪を顧みない努力や権謀術策を弄して悪あがきをするのであれば、その分だけ、その人の未来に待つ末路は悲惨さを増していくことになるだけです)

過去の罪深いカルマが生み出いしている過酷な運命から人を救済するのは、占いによる未来の予知ではなく、心からの神への贖罪であり、それによって神の子としてふさわしい自分に変容することであり、それによってえる神の恩寵です。そして、それを教えるのが、真のインド占星学なのです)

 

ブラントンがマハリシの庵を立ち去る決意をした時、ブラントンのインド探訪の旅は、過酷な環境が与える容赦なき健康の悪化、かき集めていた資金の涸渇、母国から届くスポンサーからの帰国を促すプレッシャーなどによって、幕を引くべき時は否応なく迫っていました。

しかし、そんな厳しい状況の中でも彼は、この世界のどこかに隠されているはずの、秘められたインドの扉を探し求め、それらしい扉があると聞けば、そこへ行って扉をたたくことをまだあきらめていませんでした。

 

そうした探訪のなかで、彼は様々な不思議を行う行者や、卓越した人格を持ち超越的な哲学を語り不思議な力を持つヨーギに出会い、ラーマクリシュナ パラマハンサの在宅の高弟として有名なマスターマハーシャ(霊的な書物として有名な『あるヨギの自叙伝』の著者である、パラマハンサ・ヨガナンダにも強い影響を与えたラーマクリシュナ パラマハンサの在宅の信者。彼は教授であり、ラーマクリシュナ パラマハンサの伝記を書くという使命があったため、他の高弟のように出家することを許されず、在宅の信者にとどまっているよう師に促されていた)とも面識を持ち、意気投合します。

マスターマハーシャこと、マヘンドラナートグプタの画像。

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マヘーンドラナート・グプター

 

ブラントンは、船首がコブラのように彫刻されたジャンク船でガンジス川を下る旅の中でボンベイから来ている商人と知り合います。1930年のインド人で、ムービー映写機を召使いに持たせて旅をすることができるくらいには成功した商人です。

ブラントンは彼を、温厚で、信心深く、気持ちの良い、友好的な人物であると感じて、交流を持ちます。

彼は、自分の人生に重大な影響を与え続けているシュディ・バブという人物の名前を口にします。

そして自分の商人としての成功は、彼の助言のおかげであるとその商人は言います。

「シュディ・バブ、、、それはいったい誰ですか?」

ブラントンは興味をそそられて、そう尋ねます。

相手は、それを待っていたかのように「彼はベナレスで最も有名な占星家です」と告げます。

それを聞いたブラントンはあからさまに落胆し「なんだ、星占いですか」と答えます。

「私がインド出会って来た占星家たちは皆、実に無学な、愚鈍にしか見えない連中ばかりでした。彼らが、人に有益なものをもたらす存在であり得るとは想像できません」

それを聞いた商人は 「ああ、・・・シュディ・バブのような博学な学者と、あなたがお会いになってきたような、あの無知な連中とを混同なさってはいけません」 とブラントンをたしなめます。

「シュディ・バブは、非常に聡明なブラーミンであり、長年にわたってこの問題を深く研究してきた人物なのです」

相手はそう情熱的に告げ、ブラントンは相手のその態度に戸惑いますが、すぐに、相手が、決して非科学的なインド人ではなく、自分より近代的なテクノロジを使いこなしている知的な人間であることを思い出し、彼の言葉に耳を傾ける用意をします。

「ビジネスマンであるあなたが、星占いに自分の運命を託すようなことをおっしゃるのは危険なのではないのでしょうか?」とブラントンが尋ね、相手は「我々の生涯は運命に支配されており、その運命は星の位置によって知ることができるのです」と答えます

「それではあなたは、あらゆる人間の一生と、この世のあらゆることが、この地球から人の想像も及ばないほど遠く離れている星によって左右されているという学説を、全面的に認めるというのですか?」

「そうです。認めるのです」 そしてこう付け加えます。

「行って、自分で確かめるべきでは? シュディ・バブ・があなたについて何と言うか、聞いてみるべきではないのですか?」

 「私は、預言を商売にする連中は信用しないのです」ブラントンはそう告げた後 「しかし、それでも、あなたの言葉は信用しましょう」 と付け加えます。

「その占星家のところへ連れて行ってはもらえませんか」

「いいですとも。明日の午後、ご案内しましょう」

 

翌日ブラントンは、平たい屋根の積み重なりの中に狭い通路をはりめぐらせた、古代風の町に中にある占星家のもとを商人に連れられて訪れました。

辿りついたのは、鎖につながれた番犬が猛烈に吠え掛かる庭の向こうに、花のない熱帯植物物を植えた大きな鉢が並んだベランダを持つ、古びて薄暗くはあるが、14の部屋を持つ、大きな石造りの家でした。その家の住人であるジュディ・バブは、通訳なしに会話ができるレベルに英語を話せたので、ブラントンは、通訳を介さずに直接彼にインタビューすることを希望します。

 

ブラントンが、まず彼に告げたことは 「私はあなたの占星術のお客としてきたのではなく、研究者としてここに来たのだ」ということでした。その上で、料金について尋ねます。

占星家は「私は決まった料金は要求しません」と答えます。

「地位が高く裕福な人は、通常60ルピー払います。他は20ルピーですが、料金はあなたに任せます」

ブラントンは同意し、「私はあなたの占星術の力をテストしたいので、私の未来ではなく、過去について調べ教えてほしい」と告げます。

占星家は同意し、ブラントンの生年月日を基に、何かを、およそ10分間ほど計算した後、椅子の背後にかがみこんで、そこにを乱雑に積み重ねてあった、古びて黄ばんだ書類や、ヤシの葉の古代書の中をひっかきまわした後、古びた細長い紙片を束ねたものを引き出すと、それを基に、一枚の紙に、奇妙な図面を引きこう告げてきました。

「これがあなたがお生まれになった時の天体の位置関係図です。そしてこれらのサンスクリットの原文は、図面の各部分の意味するものを説明しているのです。では、星々が教えてくることを申し上げましょう」

相手は、図面を非常に注意深く調べ、紙片を参照し、彼の人柄にぴったりの、低いっ無感動な声でこう告げてきました。「あなたは、西洋からおいでの文筆家です」

それに続けて、ブラントンの若い頃のことを語り、当時のいくつかの出来事を矢継ぎ早に述べました。

ブラントンの過去について、七つの重要な点をあげ、そのうちの五つは大体当たっていましたが、残りの二つは完全に間違っていました。

その流れの中で、ブラントンは彼について「この男が正直であることは明白だ」と感じます。

そして、「最初のテストにおける、77%の成功は、ヒンドゥの占星学が研究に値することを教えている」と。「それが、驚くに足るものであることを示している」と。

そして、それと同時に 「これが正確な、決して誤りのない科学ではないことも示している」 と。

 

シュディ・バブは続けて、ブラントンの性格について読み取ったことを述べていき、「当たっているでしょうか?」と尋ねます。

ブラントンは、シュディ・バブの口から語られた、自分の過去十年のかなり正確な描写、自分の性格を示すうえでほとんど完全に成功した星占いによる開示を前に、事前に準備していた占星学への批判を沈黙せざるを得なくなっていました。

(彼は後に出版した本の中で、この時にシュディ・バブが口にした彼の預言の一つが、その時は到底不可能だと取り上げなかったが、今、完全に的中していると述べています)

 

彼の未来の預言の一つには、ブラントンが近い将来海難にあい、命の危機に直面するというものがあり、ブラントンはそのことについて尋ねます。

「なぜ木星や金星の位置関係が、私が海難にあうかあわないかということに関係があるのですか?」

それに対して相手は 「本当に私たちの運命を左右するものは星ではありせん。私たち自身の過去です」と告げます。

「遊星は、ただ空に現れている象徴にすぎないとお考えになった方が良いのです」と。

「人はいく度も生まれ変わるものであり、彼の運命は、そのあらゆる過去に原因するものであり、あらゆる誕生について回るもである、という学説を認めない限り、あなた方は決して、占星学の合理的な性質を理解することはおできにならないでしょう。

・・・もし人が、一つの生の中で犯した悪行の報いを免れたとするなら、それは次の人生で彼を罰するでしょう。また、もし彼が善い行いに対するふさわしい報いをその人生の中受けなければ、彼は必ず、次の人生でそれを受けます。

人の魂は、完全になるまでは、この地球に続けざまに戻ってくるという、この学説を認めなければ、様々な人の移り変わる運命は、単なる偶然のなすところとしか思えないでしょう。

しかし、人が死んでも、彼の性格、欲望、思い、および意志は、輪廻転生した肉体に入って、運命として存続し続けるのです。

前世でなされた善行あるいは悪行は、今生、または来世として待つ未来の誕生の中で、それにふさわしい形で報われ、あるいは罰せられるでありましょう。・・・我々は運命をこのように説明するのです。

あなたはいつか海難事故にあい、溺死の危機に直面なさるであろうと私が申しあげた時、それはあなたが前世においてなにか間違ったことをなさったために、神が、眼に見えない審判によって割り当てられたふさわしい運命なのです。

あなたを海難に追い込むのは星ではありません。それは、あなたの過去の行いの避けることのできない結果です。遊星とそれらの位置は、この運命のレコードの役を務めているにすぎないのです。それがなぜかは、私は知りません。

一切は神の力の内にあります。

何一つ、彼を逃れ得るものは存在しません。

もしあなたがもういちどおいでになりたいのなら、この問題についてもう少しお話ししましょう」

シュディ・バブがそう告げ、ブラントンは「わかりました」と答えた後、明日、夕方6時ころの訪問を約束してその日は帰ります。

 

翌日訪れたブラントンを、シュディ・バブは灯油ランプの灯りで迎え、部屋を案内します。

壁際には、蓋の空いた箱がびっしりと置かれていて、中には、書物と書類が詰まっていました。

箱の置かれていない床には、むき出しの書類と、ヤシの葉の原稿の束と、年を経て表面が色あせてしまっている書類が所狭しと置かれていました。

「この家には14の部屋があります。それら主に、サンスクリットで書かれた古代の写本で満たされています。ですから、一人暮らしをしていてもこのように大きな家が必要なのです」

シュディ・バブが告げ、ブラントンを他のいくつかの部屋に案内します。

ブラントンは彼の案内で部屋から部屋へと歩き回り、すべての部屋で同じ光景を見ました。

ブラントの目には、すべての部屋の書類やヤシの葉の原稿の束、古文書たちが手の付けようのない混乱状態にあるように見えましたがシュディ・バブはそんなにブラントンに 「自分には、どこに何があるのかちゃんとわかっているのです」 と告げます。

ブラントンは『この家には、ヒンドゥスタンの叡智が集め尽くされているように見える』と感じ始めます。

『インドの不思議な伝承の多くが、これらの古代の筆写本や、サンスクリットの書籍の、ほとんど解読できない項の中に含まれているのであろう』と。

「私は持ち金のほとんどすべてを、これらの写本や書籍を買うのに使ってしまいました。この中の多くが非常に珍しいものでして、私にとっては高価でした。だから今はたいそう貧乏しているのです」

シュディ・バブが告げ 「これらはどのような問題を取り扱っているのですか?」 とブラントンが尋ねます。

「人生と神の神秘を取り扱っているのですが、その多くは占星学に関係のあるものです」

「失礼を承知で申し上げるのですが、こんなにたくさんの書物を相手に、どうかあまりのめり込まないようにしてください。初めてお目にかかった時、私はあなたの顔色の青さにショックを受けました」

(ブラントンは、この家で初めて彼の姿を見た時の印象をこう書いています。「私は人と言うよりも、むしろ幽霊の国から来たのように思える男を見る。未だかつて、私はこれほどまでに青ざめた顔いろの人を見たことがない・・・」)

それに対して彼はこう答えます。

「それは別に、驚きになるようなことではありません。ただ6日間ほどものを食べていないだけのことです」

ブラントンが、心痛に満ちた驚きの表情を見せると、シュディ・バブは 「それは金の問題ではありません。毎日来て私のために食事の世話をする女が、病気で来られないだけのことです。今日で、六日目になります」

「それでは別の料理人を呼べばいいではありませんか」

そう告げるブラントンに、シュディ・バブは軽く首を振って 「いいえそれはできないのです。私の食事は、低い階級(カースト)の女に作らせることはできません。そんなことをするくらいなら、一か月でも食べないでいる方がましです。私は、自分の召使いの健康が回復するのを待たなければなりません。しかし、彼女は一両日中には戻ってくるでしょう」と説明します。

「なぜそんな迷信的な階級の制約で、面倒な思いをなさるのですか。そんなものより、ご自分の健康の方が、ずっと大切ではありませんか」

そう告げるブラントンに対してシュディ・バブは、静かな口調で 「これは迷信などではないのです」 と告げます。

「あなた方の、西洋の科学はまだそれを発見していないかもしれませんが、あらゆる人が、磁気的な影響力を持つエネルギーを放射していて、すべての食事は、それを調理するものの影響力を取り込んでいるのです。そしてそれは、それを食べた人の内部に入ってきて、想念や霊性に不可避な影響を与えるのです」

「何という奇妙な理論だろう!」

ブラントンはあきれますが、シュディ・バブは 「しかしそれは本当のことなのです」と告げ、自分が占星学と神の神秘との研究に没頭することになった、ある一身上の出来について話した後 「私が、自分の最大の研究、ブラフマー・チンタの書物を取り上げたのはこの時です」 と告げます。

「それは、どのような書物なのでしょう?」

ブラントンが尋ね、シュディ・バブは 「題名は《神の瞑想》、または 《ブラフマーの探究》、あるいは 《神の知識》 と訳しても良いかもしれません。書物の全部を集めれば数千ページにもなりますが、私が研究しているのはその中の一部だけです。それを集めるのさえ二十年近くかかりました。インドの様々な地域にある、様々な代理店を通して少しづつ入手したのです。十二の大きな区分があり、それらがさらに細かく分かれているのです。主な題目は、哲学、占星学、ヨーガ、死後の生、およびその他の深遠な問題です」

「その書物の英訳本があるかどうか、ごぞんじですか?」

「私は聞いたことがありません。この書物のことを知るのは、インド人でさえ極まれです」

「それは、いつ書かれたのですか?」

「それは数千年前に、賢者ブリグによって書かれました。彼は太古に生きていた人で、インドに存在するヨーガとは全く違ったヨーガの方法を教えています。あなたは、ヨーガに興味を持っているのではありませんか?(筆者注釈・インドの預言書と言えば、日本ではアガスティアの葉が有名ですが、西洋ではブリグの預言書と言うものも有名です。アガスティアの葉は、自分の預言書を捜しに来た人の親指の指紋を重要な手掛かりの一つとして預言書を捜しますが、ブリグの預言書は、預言を求めて館に到着した時の、その人の影の長さを重要な手掛かりとして預言書を捜します)

シュディ・バブはの突然の指摘に、ブラントンは驚いて、「なぜそれが分かるのですか?」 と尋ねます。

シュディ・バブは、答える代わりに、ブラントンの誕生日を基に作ったホロスコープを取り出し、その時の惑星の配置を示す象形文字と黄道帯の間に鉛筆を動かしながら 「あなたのホロスコープは私を驚かせます。ヨーロッパ人のものとしては異常なものですし、インド人のものとしても普通ではありません」 と告げます。

「それは、あなたがヨーガを学ぶ優れた傾向をお持っているであろうことを示し・・・また、あなたが賢者たちに愛され、彼らがあなたを助けるであろうことを示しています。それでもあなたは、御自身をヨーガだけに閉じ込めず、他の神秘的な哲学にも精通なさるでありましょう」

シュディ・バブはそこで言葉を呑み込むと、ブラントンの目を、その目の奥にある何かを覗き込んででもいるかのように見つめた後、何かの啓示でも伝えるような口調でこう告げてきます。

「あなたのホロスコープは、あなたが悟りのほとんど一歩手前まで来ていらっしゃり、したがって私の言葉も必ずお耳にとまるであろうことを示しています。私は、喜んで私の知識をお伝えしますに。もしブラフマー・チンタの法を実践なされば、あなたは教師をお持ちになる必要はありません。あなた自身の魂があなたの教師となるでしょう」

「あなたは、思いもかけぬことをおっしゃる」

ブラントンは奇妙な成り行きに戸惑いそう告げます。

「私は、私が知ったところのブラフマー・チンタの知識をあなたに教えようとしています。しかし、誤解して欲しくないのは、だからと言って、私があなたの師になろうとしているのではないということです。なぜなら、ブラフマー・チンタでは、師となりえるのは神のみだからです。ブラフマー・チンタも学べば、神が我々の師となって我々の内に宿り、導いてくださいます。ですから私を兄弟とみて、霊的訓戒者と見ないでください。教師を持つ人々は、自分の魂を忘れて師に頼りすぎるのです」

「それでもあなたは、御自身の魂の代わりに、占星学の導きに頼っていらっしゃる」

ブラントンの言葉にシュディ・バブは 「違います!」と告げます。

「もはや私は、自分のホロスコープなど見たりはしません。実は、何年も前に、それを破って捨てました。・・・私はすでに・・・、自らの内に光を見出しました。ですから、もはや、占星学に導きを求める必要はないのです!しかし、まだ闇の中を歩いている人々はそれに助けられます。私は、自分の生命を完全に主の御手にゆだねました。未来や過去を全く気にしません。主がおつかわしになるものは何であれ、かれの思し召しとしてそれを受けます」

「もし悪人に殺されそうになっても、それを神の意志としてお受けになるのですか?」

「どのような出来事にあっても、完全にかれを信じます。いつかはあなたもやはり、未来を無視して、それに対して無関心におなりになるでしょう」

「そうなるまでには・・・」

「その変化は必ず来ます」

「確信なさるのですか?」

「はい。あなたは、ご自分の宿命を逃れることはできません」

ブラントンは、これ以上このことについてシュディ・バブと議論することは不毛であると考えて、話題を変えようとしましたが、相手の確信を持った意志により失敗し、かれは最終的にこれを学ぶことになります。

しかし彼は、後に出版した本の中ではそれを具体的にマスターする方法について一切触れていません。

それについて彼はこう注釈しています。

『私はそれの内容を記そうこうとは思わない。密林の隠遁所か、山奥の僧院だけに適するこの行法を一般のヨーロッパ人が取り上げる必要はないし、それは危険であるもあるからだ』

 

「この教えの究極の目的は何ですか?」

「神聖なトランス状態です。その状態に入ると、我が内に不死なる神の生命が生きているという超越的な悟りを得ます。対象は消え去り、外部世界は消滅したように思われます。自分は肉体ではなく、目に見えない内なる霊こそが、真実の存在であることを見出すのです。それの至福と平安と力とは、彼を圧倒します」

「それが自己暗示の深い結果ではないとの確信はおありなのですか?」

「真実は誰にもわかりません。・・・しかし、母親が子供を産んだ後、その経験を回顧して『あれは自己暗示にすぎなかったのではないか』などと考えることがあるでしょうか。そして、その子供が自分のそばで成長していくのを見ながら、その存在を自己暗示と疑うようなことがあるでしょうか? 霊的覚醒という大仕事は、凄まじい体験としてやって来るものですから、決して忘れられません。それは、その人の一切を変えてしまうのです。人がこの状態に入ると、一種の真空状態が心の中に作られ、神・・・あなたはこれに興味をお持ちにならないようなので、霊とか、より高い力と言っても良いのですが、・・・それが入って来て、その真空を満たすのです。このことが起こると、人は、絶対的な幸福感に満たされ、圧倒されます。かれはまた、宇宙全体に深い愛を感じます。その時の彼は、肉体的には、他の人の目にはトランス状態にあるだけでなく、死んだように見えるでしょう。もっとも深い状態に達した時には呼吸も完全に止まってしまうからです」

「危険ではないのですか?」

「いいえ。私はしばしば聖なるトランス状態に入り、常に出たいと思うときにそこから出ることができます。それは素晴らしい経験です。宇宙として外に見ているものを我が内に見るのです。それだから私は、学ぶ必要のあるものはすべて、自分の魂から学ぶことができるのです。私がこれを完全にお伝えした後は、外部の教師は不要です」

「あなたは、師に学ばれたことはないのですね」

「ありません。ブラフマー・チンタの秘密を発見して以来、師は探したことがありません。それでも偉大な師たちが時々向こうからやってきました。・・・神聖なトランスは実に偉大なもので、人がその中にある間は、死も彼を捕まえることが出来ません。ヒマラヤのチベット側には、このブラフマー・チンタの道を完全に体得した何人かのヨーギがいます。彼らは山奥の洞穴に隠れ住み、そこで最も深いトランスに入っています。その状態では脈止まり、心臓も動かず、血液も流れず、見た人は死んでいると思うでしょう。しかし、眠っているのではありません。彼らは、私たちと同じように完全に目覚めているのです。内なる世界に入り、そこでもっと高い生活をしているのです。心は肉体の束縛を脱し、全宇宙を自己の内に見ています。いつか、そのトランスから出てくるでしょうが、その時には数百年が経っているでしょう」

ブラントンは彼の言葉を聞きながら、心はこう考えていました。

『こうしてまたもや、私はこの、人間永世の信じがたい伝説を聞いている。これは東洋の太陽の下を旅する限り、どこまでもついてくるものらしい。だが、私がこのような伝説的な人の一人でも追い詰めて、面と向かい合うことがあるのだろうか。また、チベットの荒涼たる風土の中で育ったこの古代の魔法を、西洋が発見して、科学的、心理学的に認めることがあるのだろうか?・・・わからない』

 

ブラントンは彼からブラフマー・チンタの授業を教わった最後の日、家の中にばかり籠っているシュディ・バブを外に連れ出し、ガンジス川に向かってベナレスの街を散歩に出かけることに成功します。

そこでブラントンが観たものは、神にも人にも運にも見捨てられたような人々の、あまりのも貧しい様です。

ブラントンは、十分な食べ物と着物、宿およびその他の必要な物の多くを持って生きている自分の幸せを思って身震いします。それと同時に、それらの不運な人々の哀れな目つきが心からはなれず、罪悪感すら覚えます。

『この貧しい乞食たちがボロ以外のなにも持っていないのに、何の権利によって私はこんなにも多くのルピーを欲しいままにしているのか。もし誕生の時に、何らかの事故や運命の気まぐれによってあの中の一人に生まれていたとしたら』 ブラントンはそう考えて暗澹とした思いになります。

『誕生の時の単なる運によって、一人の人間をぼろを着せて道端におき、もう一人には絹の長衣を着せてこれを向こう側の宮殿に住まわせる。偶然とい言うこの神秘の意味はいったい何なのだろう⁉人生は本当に深い謎だ。私には理解できない』

ブラントンの心の憂鬱を察したかのように、シュディ・バブがガンジス河のほとりで足を止め、彼を近くの木陰に「ここに座りましょう」と誘います。

そして、インドの悲惨な国情を弁解するような口調でこう口を開きます。

「インドは貧しい国でして、人々が生気を失っています。イギリス人はある長所を持っていますから、神はこの国のために彼らをこの国におつかわしになったのだと思います。彼らが来る前は、法律や正義が無視されて世の中が物騒でした。私はイギリス人にもっとここにいてもらいたいと思います。私たちには彼らの協力が必要なのです。ただ、力ではなく、友情を持って助けてほしいと思っているだけです。しかし、両民族の運命がおのずから成就するはずです」

「ああ、またしてもあなたの運命論だ!」

「誰が神の思し召しを無視することができますか。昼のあとには夜が来、夜のあとには昼が来る、民族の歴史も同じことです。大きな変化が世界を襲います。インドは怠惰と無為に沈んでいましたが、やがて再生への願望と野心に満たされるようになるでありましょう。ヨーロッパは実際的な活動に燃えていますが、その物質主義の力は衰え、もっと高い理想の方に顔を向けるでありましょう。アメリカにも同じことが起こるるでしょう。その変化の中で、この国の哲学や霊性の教えは、西洋に向かって大波のように押し寄せるでしょう。学者たちはすでに、サンスクリットの聖典のあるものを西洋の言葉に翻訳しました。しかしインドやチベットの奥地の洞窟の書庫には、まだ多くの文書が隠されています。それらもまた、世界に知られるようになるに違いありません。遠からず、インドの古代の哲学と内面的知識が西洋の実際的な科学と結合する時が来るでしょう。私はそうなることを喜んでいます」

ブラントンはそれには答えず、ただじっとガンジス川の水面を見つめていました。流れは奇妙なほど静かで、水面は陽光に淡く光っていました。

「神は全能です。人も民族も、自分で招いた運命を避けることはできませんが、苦難の間をを通して加護があり、重大な危険から救われることさえあるでしょう」

「そのような加護は、どのようにして得られるのですか?」

「祈りによって、・・・神に向かうときの子供のような性質を保つことによって、また、口先だけでなく心の底から神を想うことによって・・・。幸福な時には、神の恵みとしてそれをお楽しみなさい、苦労が来たら、それはまさに自分の内なる病をいやす薬のようなものだと思いなさい。神を恐れなさるな!彼は慈悲そのものでいらっしゃるのですから」

「では、あなたは神は遠い存在だとお思いにならない」

「ええ」

「あなたは、運命、宗教、および占星学のあなたの学説を独特の形で織り交ぜていらっしゃる」

「なぜですか。…これらの学説は私が作ったものではありません。太古からこの国に伝えられてきたものです。運命の巨大な力、我らの創り主への崇拝、および天体の影響の知識は、最も古い時代からすでにこの国の人々によって知られていました。彼らは、西洋の人々が想像するような野蛮人ではなかったのです。今世紀が終わる前に、西洋人も、これらの見えない力がどんなに真実のものであるかを、あらためて発見するでしょう」

「西洋人にとってそれは、極めて難しいことのように思えます」

ブラントンがそこにとどまれる時間は終わり、彼を新たな旅路へと追い立てていきます。

ブラントンは、おびただしい蟻の襲来に悩まされて寝付けず、蟻の這い寄るベッドを抜け出し、椅子に避難して座ったまま一夜を明かしながら、ベナレスの占星家の運命論的な哲学のことを思い返します。

そして思います。

『われわれは操り人形にすぎず、運命という糸にぶら下がり、見えない手の命令によって前後左右に動いているのだ、などということを聞くことを西洋人の誰が喜ぶだろうか。私は、軍隊を率いてアルプスを越えて華々しく進軍する前のナポレオンが、宣言したあの注目すべき発言を覚えている。「不可能? 私の辞書にそんな言葉はない!」 彼はそう言ったのだ。…しかし私は、ナポレオンの全生涯の記録を繰り返し研究したので、それと同時に、彼がセントヘレナで書いた不思議な文章も思い出すのである。あそこで彼の巨大な頭脳は、過ぎし日々の上を幾度も駆け巡り、こう書いていたのだ。

「私は常に運命論者であった。天空に書いてあることは・・・・。私の星は輝きを失った。私は、手綱が私の手から滑り落ちるのを感じたが、どうすることも出来なかった」 こんな逆説的な、矛盾した信念を持つ男がこの神秘を説くことができたはずがないし、また、かつてそれを完全にできた人があるかどうか疑わしい。おそらく人間の頭脳が働き始めて以来、この問題は、あらゆる人々によって論じられてきたものであろう。私はあの占星家の驚くほど正確なホロスコープの解読を忘れてはいない。時折そのことを思い出して、ついには、この東洋の宿命論の愚かさに自分もかぶれてしまったのかと怪しむ。』

 

ブラントンはその数日後に、ベナレスから数百マイル離れた町で、ベナレスで暴動が起きたというニュースを知ります。

その暴動はヒンドゥ対ムスリムというのもので、いつもつまらぬもめごとから始まり、略奪や殺傷のために偽の宗教的口実を欲している悪漢どもに利用されて暴動と化していくものでした。

ブラントンの耳に残虐な殺戮のニュースが入ってきて、否応なく占星家の安否が気になりますが、連絡を取る手段はありませんでした。郵便配達人が恐れて、その町に入ることを拒否していたからです。

暴動が鎮圧されるのを待って、電報を打つとシュディ・バブから 「主の加護により、何事もなく無事であった」 と言う返事が返ってきました。

 

 

サイババ様は、「人は何も身につけない裸で生まれてくるのではなく、神によって首に一つの花輪を掛けれて生まれてくるのだ」と仰っています。

その花輪とは、前世のカルマで作られた花輪です。

時がたつとその花輪の花は、一つ一つカルマの報いと言う実を結んでいきます。

それが、運命を形作っていくのです。

 

サイババ様の御言葉

『何を達成するにしても、人間は自然を頼りとするしかありません。

 自然は誰か、個人の所有物ではありません。

 自然は神のものです。 

 神の恩寵がなければ、誰も自然の恩恵を楽しむことはできません。

 この真実に気づくことなく、傲慢と自惚れから自然の開発に手を出している人たちがいます。

 これは極めて誤った考えです。

 人間が神の許可を得ることなく、世界で何かを成し遂げることはできません。

 神はすべての基準です。

 ところが人間は何でも自分でやっているという慢心でいっぱいです。

 この思い上がりこそが、人が破滅する原因であり、満たされない気持ちと失敗の原因です。

 現代人は、神を忘れて、自然に依存して自分の人生を築いています。

 これは嘆かわしい過ちです。

 まず自然の根本的な支えである神に信仰を置き、それから自然が提供してくれるものを楽しまなければなりません。

 神への信仰は人間にとって第一に必要なものです。』

 1989年6月25日 サイ大学の学生への御講話より抜粋

 

『近頃、自然が災害という形で反旗を翻しているのを目にします。

 それは人が自然の資源を搾取する際に、あらゆる限度を無視しているからです。 

 豪雨、干ばつ、地震、洪水、・・・これらは人間の貪欲に対する反作用です。

 科学の進歩を理由に、科学者たちは世界の幸福を考慮することなく、ますます利己的になっています。

 科学者たちは(自分たちの間違った行いによって)自然を報復に駆り立てているのです。

                     (中略)

 幸不幸は自分の振る舞い(カルマ)のせいであって、他の何のせいでもありません。

 人はこのことを信じることができないでいます。

 清らかな行いによって、あらゆる幸福と、自分の望む快適さを得ることができます。

 もし心の安らぎを望むのであれば、自分の欲望を限度内に抑制しなければなりません。

 行き過ぎた欲望を制限しないせいで、人々は狂ってきています』

 1995年5月25日ブリンダーバンにおける夏期講習のご講話より抜粋。

 

『皆さんは、目に見えるものだけが真実で、それ以外は真実ではないと言います。

 皆さんは自分を苦しめる過去のカルマを積み重ねてきました。

 しかしそれは目に見えるでしょうか?

 目に見えないことや、触れられないものを否定するのは愚かなことです。

 木があるとします。

 科学者は目に見える、果実、枝、葉、等々、すぐに目に見えるものを見ます。

 しかし、霊性は目に見えない根を見ます。

 根がなければ、どうして枝があり得るでしょうか?

 枝と根ではどちらが重要ですか?

 同様に、目に見えない力は目に見える森羅万象の存在基盤です。

 私たちがこの世界を見たり経験したりするのは、ひとえにその力によるものです』

 1955年5月20日午後ブリンダーバンにおける夏期講習より抜粋

今回の記事は以上です。

ではまた。

サイラム <(_ _)>