『違い』は悪いことじゃない | あにろぐ〜漫画家・兄崎ゆなのなんやかんや〜

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 漫画家・兄崎ゆなの、あれやこれやと、ぽめたろう♡(犬)

母が餡子が大好きなので

 
私も好きだと思い込んでいたら
 
実は私は
そんなに好きではなかった、と
 
わかったことがありました。
 
 
 
 
伊勢神宮に一人旅で行って
赤福(母の好物)を食べていて
 
「あれ?ちょっと食べれば充分かな」
 
となって
 
「あれ?餡子、嫌いじゃないけど、そんなに食べられないな」
「あ、私、餡子大好きじゃないんだ」
 
体感でわかりました。
 
 
40過ぎてからの衝撃の発見でした(笑)
 
 
 
 
それまでは
自分が
「餡子好き!」
と信じていたので
 
まさか
母の好きの『刷り込み』だとは
思っていなかったのです。
 
 
びっくり。
 
 
 
母がわりと
好き嫌いハッキリしていて
私は
わりとどうでもよくて
 
母に準じていた感じです。
 
 
……いや
待てよ
 
 
私も、好き嫌い、ハッキリしていたのかもしれない。
 
 
 
というのは
 
 
「あなたは我が強い」
「何か言っても聞かないから無駄」
「ママは諦めた」
と言われて育ったので
「相手の意見を聞く、尊重する」
を意識して、
なるべく『自分を弱めて』生きてきたのです。
 
諦めた、って
悲しいからさ。
 
 
 
……と
 
 
母に恨み言を言いたい、ことが
目的ではなく
 
 
たぶん
 
『刷り込み』というと受け身なので
「させられた」感(被害者ニュアンス)が強いんだけど
 
人は小さい頃に
身近な大人や環境に
なんらかの影響を受けて
生きているのだと思うのです。
 
 
だから
 
影響を受けた人や物と
本来の自分が『違った』時
そう気づいた時
 
修正が入るんだと思います。
 
 
その
気づいた時、
修正する時
影響を受けていたものに対し
一度
「やだやだやだーーーー!!ちがってた!これ、私じゃない!」
否定しなければ『違い』を認識できず
 
 
時に
「否定したくない」「否定したら悪い」「否定はいけないこと」
思うあまりに
『違い』を『違い』とはっきり区別しないまま
「まあ、いいか」と受け入れたままなことがあります。
 
反抗期がなかった子供、
みたいなやつ。
 
 
それでいいならいいんだけど
それが『違和感』となって、
しこりになって残っている場合
 
 
どこかではっきりさせて
『違い』を意識してわかる必要があるのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
なんか
 
免疫みたい。
 
 
毒を「やばい!異物だ!」と認識して吐き出す。
抵抗して打ち勝つ。
 
人の体にはそういう機能があるから
 
異物と認識しないと
攻撃しない
異物と認識すると
攻撃して排除できる
 
認識しないで受け入れちゃったら毒にやられる。
 
みたいな。
 
 
・・・感じしない?
 
 
 
 
母の大好物の餡子はそんなに好きではなかったけど
(時々食べたくなるけど)
 
母の大好物のチョコレートは
私も大好物です。
 
 
 
 
母の好きな『犬』は
私も大好きです。
 
でも
母はウエルシュ・コーギーが一番好き
 
私は
ぽめたろうさんが一番好きです。

 
 
『違い』は
ただの『違い』なだけで
 
悪いことではない。
 
 
なんで
「同じ」じゃないといけない、と
思い込んでいたのかなぁ。
 
人間なんてみんな違うし
同じところもある。
それだけのことなのにね。