伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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長崎の鐘と思い出

2020-11-30 19:10:09 | 音楽

あぁ音域が狭くなった

高い音が出ない・・・

と発声練習を兼ねて食事の支度をしながら

長崎の鐘を唄っていたら(朝ドラの影響)

 子さんキーが高すぎるよ・・・それじゃ誰も唄えないよ

と言われたので

早速ネットで調べたら唄っている歌手のかたの音程は皆低音から始まってい

る。

そうだよネ

そうでないと最後が出ない・・・音域の広い歌だったんだ

と納得。

もう昔の自分ではない。

試しにいつもの演歌を唄ったら普通に声が出た。

声が出ない・・・は私の思い違いだったのだ?

コロナ禍で

少し脳が????

由紀さおり姉妹の長崎の鐘が一番良かった

さすがお姉さん音大の声楽科を出ただけあって

伸びのある美声で感心した。

島津亜矢も声をおさえて唄っていたが

やっぱり

長崎の鐘は演歌歌手よりもクラシック歌手のほうが

良いようです。

小学生の頃よくこの歌を唄いながら家路に着いたものである。

国道から左に30分ほど山道を登り一山越えた所が我が家だった。

樺太からの引揚者の親はこの地が終の棲家になった。

開拓者として入植し

後年父が山(造材)で成功して駅近くに家を建てたが・・・。

この30分の道のりが私の全ステージだった。

毎日がワンマンショウで草も樹も鳥も川も雲も太陽も、ちっこいスター子ちゃ

んの観客でありじっと、見守ってくれていた。当時の私はそう思っていた。

この歌も私のレパートリーの一つだった

6曲位唄い終えるともう家が見えはじめ直線コース

ニャンコのミケちゃんが私の声を聞いて迎えに来てくれた。

中学になった時は頭の中は空想で一杯だった。

小説のまねごとをして、今は亡き親友の冨美ちゃんと交換し合った時もあっ

た。

夢見る夢子さんだった。

毎日の国道から30分の山登りも苦にならなかった。

 

この自然が今の自分を育んでくれていたのだと思っている。

幾度も人生の苦境を乗り越えてこれたのも

この時の自然が私の中に息づいていたのではないか・・・

と思う節も多々ある。

長くなるのでこれで

お・し・ま・い

昔話にお付き合いしていただいてありがとうございます。

毎度登場・・・小学生の私と姉と母

の作品より

 

 

 


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