ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

昨日ソフトバンク京阪京橋にスマホの修理を出しに行き代替機に。ひとつ残らずすべてのデータを移し替えてもらいました。2時間かかりました。

2020-07-02 21:12:00 | 山本隆雄関連

カメラがつぶれたので、昨日、ソフトバンクショップ京阪京橋に持っていきました。

2時間かけて、スマホアドバイザーの人にすべてのデータを移し替えてもらいました。

午後3時からの予約で、終了したのが、午後5時です。

昨年9月、ハワイ旅行の時、ベットから床にスマホを落とし、カメラがつぶれたので、修理に出して、ここで、データの移し替えをしてもらって以来です。

スマホアドバイザーの人が名刺を出した時、私も名刺を出しますが、日コン連企画株式会社の日コン連企画 という社名は、孫正義さんが、名付けたものであると、前回、言ったのをアドバイザーの人は、覚えていました。

そのため、丁寧に、今回、すべてのデータを移し替えくれたわけです。LINEのトークもすべて移し替えてもらいました。

現在、孫さんとつながりはありませんが、ソフトバンクでは、日コン連企画を特別に扱ってくれる傾向を感じます。

たとえば、画面やボディが割れたスマホを修理に出しても、無償でなおります。
ソフトバンクショップ日本橋の店員たちが、驚いていたことがあります。
よく、無料でなおりましたね。ラッキーですね。と。

昨年のカメラの故障も、無料でなおりました。

ソフトバンクの携帯、代理店に頼まれて、大量に契約します。いわゆる寝かし携帯です。
よそは、社員10名で、10台契約しても、審査に通らないのに、日コン連企画は、社員1名で、75台契約しても、審査に通る。
ソフトバンクの営業の人も驚いている。絶対、孫さんとのつながりで何かありますよ。と代理店営業の人から教えられていました。

かつては、ソフトバンクの部署と何かあれば、社員名を挙げて孫社長に文句を言っていました。
すると、しばらくして、責任者が飛ばされていました。大阪から名古屋に飛ばされた人を見て、私が言ったからこうなったのだなぁと悪いなぁと思ったこともありました。
そのような事が、言い伝えで、ソフトバンク社内にあるのかなぁとも考えてしまいます。
いちばん、露骨だったのは、出版局長の窓際左遷。
もともと、日コン連企画は、ソフトバンクの出版企画をするために生まれた会社です。孫正義さんの提案で作りました。
孫さんが、毎月、40万円をソフトバンクから支払ってくれるようにしてくれました。
孫さんと二人で、甲は・・、乙は・・の契約書をああでもない、こうでもないと言って作りました。
孫さんは、何百億円の商談でも、5分で決めてハンコを押すだけなのに、契約書を草案から作るのは初めてと言っていました。
そうやって、出来た契約、成果を出さなかったということで、出版局長が、3か月で、破棄してしまいました。
すると、出版局長は、1か月後、人事異動で、ソフトバンク社史編さん室長に。
露骨すぎます。そんな部署がそれまでなかったのに、新たに作って、室長に。
出版局長→社史編さん室長。そのお方は、プライドがあるので、1か月後に、退社しました。

その後は、日コン連企画は、ゲームソフトハウスとして、ソフトバンクに、商品をおろしてもらっていました。
ソフトバンクのうちの営業担当は、社内の人間が孫社長と会うには、1か月前までに、アポを取っておかないといけないのに、
山本さんなら、明日から東京に行きますんでと言って、明日のアポが取れるってうらやましいと言っていたのが印象的でした。
箱崎の本社の最上階。孫さんと会うために、待合で待っていると、近くにも、カバン持ちを従えた大会社の社長さんらしきものが待っていました。
でも、トップの孫社長と会うのは、私なので、その大会社の社長さんは、それより下の地位の人と、会うんだろうなと思ったのを覚えています。

そんなソフトバンクで、現在でもいる人で、私と当時親しかったのは、宮内さんです。当時は、課長でした。京都府立大学卒と言っていたのを覚えています。
現在、ソフトバンクの社長をしていたと思います。

マスコミ関係やIT企業の社長が、ソフトバンクのパーティに招かれ、孫社長にあった時、山本隆雄を知っているかどうか、興味本位で聞く人がいます。

20年くらい前は、しばらく間を置いて、孫さんは、「彼は元気にしていますか。」と言ったと伝えられています。
昨年、学生時代の私を知るIT企業の社長が孫さんに聞いた時には、「その話はいいです。」と言って、手を横に振って、拒絶したと伝えられています。
世間では、拒絶されていると言って笑いものになっていますが、逆の見方をすると、孫さんは、まだ山本隆雄を知っているという事になります。

ちなみに、私は、婚約破棄を2回していますが、1回目は、結婚式の案内状を送った後でした。その招待状は、孫さんにも送っていました。
孫さんからは、欠席に〇がついて、戻ってきたのを覚えています。

 

 


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