私たちは普段、善悪というものを判断する時
見たままや常識という枠の中で判断を下すことが殆どですね?
ですが、それが必ずしも真であるという証明にはなりません。
例えば、立派な肩書きがあり身なりも整った人物がいて、多くの取り巻きに囲まれていたとしても
その人物が善人であり、尚且つ幸せであるという証明にはなりません。
ニュースで話題になった政治家や省庁の役人、宗教関係者などを連想されると分かりやすいかもしれません。
そして、常識というものは国や地域が異なれば全く受け取り方が違うものになってしまうもので、他から見れば悪政だと感じても、当の人民にとっては当たり前の事で疑いもしないということもあります。
自他共に国のトップの都合次第で変わってしまう可能性があることを歴史を辿ってみてもうかがい知ることができます。
常識や文化の違いがあり、政治的には上手くいっていない国同士でも、スポーツや音楽や踊り、映画などを通して個人的なレベルにおいては感動し、尊敬の念を抱く方は少なくありません。
それらの感動は単にその方達がテクニック的に優れているから起こるのでしょうか?
披露に至るまでの、そこに掛ける強い想い、見えていない努力や共に苦労してきた周りの関係者の思いなど様々な背景も含めてを見ている側、聴いている側が感じるからこそ多くの方に大きな感動をもたらすことが出来るのだと思います。
常識という国や時代が変われば変化してしまうものより強い思いが人の心に深く響くのですね。
我が師より託していただいたRAUSというものは
、不調の原因となる澱んだ粒子を身体や心を癒すものへと変換する唯一無二の力です。
身体の痛みなどは、言われたその場で改善されて驚かれることもしばしばある程の素晴らしいものです。
その力を一般の方へと伝授という形で広めさせていただいているのですが、このRAUSという力はただ不調を癒す手段としてのものではありません。
この力をツールとして人の心を正しく育てることこそを本来の目的としております。
人の心を育むものは体感での気づきと行動というものです。
そこには自分が思っている常識を覆されることも多々ありますが、普遍の道理を用いて真の答えを導き出していきます。
それが在り方(心)を成長させることに繋がっていきます。
間違った正義や間違った在り方は自分のみにとどまらず周りへの悪影響にも発展していきます。
強い思いがあったとしても、得意、不得意があったとしても使い方が分からない。使い道を間違えている等では、本来の在り方から外れてしまいます。
えみさんのブログでは、ニュースなどを見て皆さんが同じく思うことなどを題材にして在り方を書かれています。
師は『気持ち一つ』ということを弟子の私たちに仰しゃいます。
これは心を正しい方向に導くという活動をしている私たちに公正を伝えるものが公正から外れてしまっては本末転倒、忘れるな!という戒めの言葉として受け止めている言葉の一つですが
力を使うもの、人に何かを教えるものに偏見や驕りがあってはいけない。
すべては責任のある言動を取りなさい。
気持ち一つという思いの意味は責任というものと遠いものではない。と。
教えてくださるのは、道理。
心が無ければ道理というものからかけ離れてしまい、それさえ気づこうとしなくなるものです。
先程も書きましたが、常識というものは消して普遍的ではありませんし、どこの国にも通づるとは限りません。
自分達の利権を守ることが優先されるものが多くありますが、道理というものは国や時代や地域が違えども すべてにおいて普遍のものです。
誰かとわかり合うことや互いに思いやる気持ちは普遍でないといずれは すべてが滅ぶことに繋がってしまいます。
悲しいことに、その心が衰退しているのは確かなこと。
RAUSは心の衰退に警鐘を鳴らし、正しい心を育む為にあるものです。
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自分以外の為にRAUSの力を使用してこそ、その循環を促進し自らの不調を早く手放すことが出来ることを体感を通して学んでください。
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RAUSとは どんなもの?
👇下の動画にてRAUSの波動を感じていただけます。
嘘だらけの この世界を
嘘だらけだった自分を
真実に塗りかえる為に
RAUSはあるのです。