チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繫ぐもの  248

2019年10月17日 10時37分40秒 | 日記
大嘗祭の本を出版する事になった12月末
事の起こりは
池本敬子さんと仰る日本の古代史や伝統文化に詳しい方から
「斎服を調達していただけないでしょうか?」
というメールをいきなり頂き「なぜこの私」と思いとにかくおあいした

話を聞いて納得。今から2年前のこと
上皇陛下が譲位を表明された年の9月だった
徳島の美馬市木屋平に植えられる大麻の繊維で織った「あらたえ」が、大嘗祭に使われる。その布の管理と布を調進する御殿人(みあらかんど)が古代からこの地を統括する三木家(忌部)であり、当主の三木信夫氏が「あらたえ」を持って宮中に上がるまでの数々の神事にお召しになる「斎服」を作るということであった

平成の大嘗祭の時、昭和の「あらたえ」を調進した三木さんの祖父が着用した「斎服」が見当たらず、急遽三木さんはモーニングを着用して神事を行ったが、釈然としないものがあり、今回は伝統に則ってきちんとしたいと思われたようだ

その話が来るまで私は無知に等しかった
「三木さんのところで大麻を作り忌部神社の巫女さんたちが機織りして宮中に調進なさるらしい」
この程度の知識でしかなく、三木さんのオタクには何回かお邪魔をしていて、大麻が植えられたという畑に降りて足袋を脱ぎみんなで踊ったりしていた(無知にまさるものなし)

改めて大役をいたいた時、「本来の桑、蚕、糸取り、機織り、砧うち」をやり遂げて、絹の伝統をしっかり後世に残すことに専念しようと思った
この本来の布づくりのできる方は私の知っている範疇では一人しかいない。一世一代の口説きをし、品質改良をしていない桑、江戸時代の蚕、糸取り、機織り、近代国家になった明治以降の手法はすべて却下

つまり天皇陛下は万世一系、布も古代から続く手法で作ることを目的とした

布は完成度の高いものができる予想はついたが、なぜ徳島の美馬市木屋の三木家の畑でなかればいけないのか、それはこの場所が「高天原だから」という研究に2年かかって納得。今回の一連の神事の全てに立ち会われた「安間信裕」氏と共著

10月31日 大阪中央公会堂で二人の講演がある 14時から 参加費5000円
申込み 06-6781-2815 丸十呉服店



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 着物が繋ぐもの 247 | トップ | 幼子のお空の話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事