毎日のできごとの反省

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対日戦の動機に関する疑惑(2)

2019-11-25 19:58:25 | 大東亜戦争

 本稿については、以前に書いた。しかし、間違いと気付いたことがあるので、修正する。それは、米国の対日独以前に全く反戦運動がなかった、ということが明白な間違いである、ということである。米国内の反戦運動については、「リンドバーグ第二次大戦日記」で書いていたから気付いていたはずなのにあまりに迂闊であったことを反省する。このことを含めて改定する次第である。また、以前は第二次大戦が始まった(欧州において)時点からの記述であったが、もっと遡ることにする。その方が米国の動機がより明らかになると考えるからである。さて本論に入る。

 通説は、米国政府が日本を挑発し、対日戦を開始した動機は裏側からの対独参戦である、とされている。つまりドイツによって崩壊しそうになった英国を救うためである。ルーズベルト大統領は、既に始まっていた欧州戦争への参戦を嫌う米国民に対して絶対に参戦しないことを公約して3選を果たした。そこでドイツと軍事同盟を結んでいる、日本に最初の一発を打たせることによって国民を引っ張ろうとした、というのだ。

 

 この見解に小生は以前から疑問を持っている。歴史年表を見てみよう。歴代米大統領政権についても付記した。

 

・明治19年3月~大正2年3月・・・マッキンリー、セオドア・ルーズベルト、タフトの共和党政権

・大正2年3月~大正10年3月・・・ウィルソン民主党政権

・大正10年3月~昭和8年3月・・・ハーディング、クーリッジ、フーバーの共和党政権

・大正11年2月・・・ワシントン軍縮条約署名、主力艦等の制限

・昭和4年3月・・・フーバー大統領(共和党)就任

・昭和5年4月・・・ロンドン軍縮条約署名、巡洋艦以下の制限

・昭和6年9月・・・満洲事変

・昭和7年3月・・・満洲国成立

・昭和8年3月・・・F.D.ルーズベルト大統領(民主党)就任

・昭和12年7月・・・北支事変勃発

・昭和12年10月・・・FDRの隔離演説

・昭和14年7月・・・日米通商航海条約破棄通告

・昭和14年9月・・・第二次大戦開始

・昭和14年11月・・・中立法を修正し武器禁輸を撤廃

・昭和15年9月・・・英領に海軍基地を租借し、英国に駆逐艦50隻を供与した。

・昭和16年1月・・・年頭一般教書演説でルーズベルトは、独裁者の戦争を非難し、米国が安全を脅かされていると訴えている。

・昭和16年3月・・・武器貸与法を成立。大々的に英ソに武器援助を開始。

 

 以上であるが、日米の動きは大正末からピックアップした。明治以降の米大統領の系譜を示したのは、政権と政策との関連を示すためである。軍縮条約は、米国の軍事政策との関連があるので示した。ワシントン条約では主力艦の制限と同時に、四ヶ国条約が結ばれたのに伴い日英同盟が廃棄されたために、軍縮では日本は不利は被らなかったと言われているが、日英同盟廃棄によって、日本は対米関係が不利になったとされる。

 

条約の締結は共和党政権であるが、時間的にその準備はウィルソン民主党政権によって準備されていた、と考えるべきであろう。ロンドン条約では巡洋艦以下の補助艦艇の制限では、実は、米国が第一次大戦中に連合国支援のために、主として駆逐艦を短期間に大量に製造していたことに関連する。これが艦齢二〇年を過ぎ、更新しなければならない時期にきていた。

 

従って、数量制限をしたとしても、米国は更新のちょうどいい時期となる。一方、特に元々日本は条約以前に逐次新型に更新していたから、制限の枠内で新造できる駆逐艦などの量は僅かとなる、というわけである。ちなみにロンドン条約は共和党政権下である。うがち過ぎた見方かも知れないが、セオドア・ルーズベルトやフーバーの共和党は、結果から見ると、反日的なことが明白なウィルソンやFDRの民主党政権よりましであったことがしれる。

 

条約においても民主党政権下では政治的に重大な日英同盟廃棄、という結果となっている。駆逐艦の更新などというマイナーな話は政治家より、軍人に関心があったであろう。ただし、更新された新駆逐艦には、日英と異なり主砲として高角砲兼用の、両用砲を備えており、後の航空戦においては大きな役に立っている。これはあまり戦史でも語られることは少ないが、大きなポイントであると小生は思う。

 

閑話休題。この時系列で明白なのは、米国が日中関係に本格的に干渉するようになったのは、満洲事変が契機だったのではなく、北支事変、すなわち支那事変以降であることが注目される。それも、FDR政権以降である、ということである。渡辺惣樹氏の著作によれば、フーバー前大統領は、隔離演説こそ「ルーズベルトがその正体(尻尾)を見せた事件だと考えている*(P72)」というのである。

 

江戸幕府と結んだ条約の改正版である、日米通商航海条約を破棄通告したのは、第二次大戦の勃発の寸前である。これは隔離演説の実行の始まりであった、と言えるだろう。この例は米政府が第二次大戦と関係なく、厳しい対日政策にシフトしている事の証明である。これらの一連の行動を見れば、米国民が真珠湾攻撃まで対独参戦に反対していたなどと言えるのだろうか。米国は民主主義とジャーナリズムの国である。国民は参戦国に対する武器援助が厳密には国際法の中立違反の事実上の参戦であること位知っている。

 

野党はそれを口実に大統領の公約違反を非難することができるのだ。第一次大戦で米国参戦のきっかけとなったドイツの無制限潜水艦戦は、英仏などへ米国が援助したことももひとつの原因となっている。だから英ソなどへの武器援助がこの点からも戦争への道であることは国民もジャーナリズムも承知していたはずである。しかしマスコミがこの点を突いて一連の政府の対応を非難したり、反戦運動が強まった形跡もない。既に米国政府も国民も参戦する心構えが出来ていたとしか言いようがない。

 

 今の小生の疑問は既にここにはない。米国政府の本当の意図は対日戦自体だったのではないか、と言う事である。対日戦は対独参戦のおまけどころか、たとえ欧州で戦争が始まっていなかったとしても、機会を見て日本との戦争を望んでいたのではないか、と言う事である。鍵は支那大陸にある。日本は日露戦争以後深く満洲に根をおろしていた。欧州諸国も支那本土にそれぞれ根拠地を持っていた。一人米国だけが大陸への確実な手がかりがなかった。門戸開放などと言うのはアメリカ得意の綺麗な言辞であり、俺にも支那に入れろ、と言う事に他ならない。そもそも西海岸に到達してアメリカ大陸にフロンティアを失くした後、日本を開国させハワイを併合した目的は支那大陸であった。日露戦争後鉄道王ハリマンが南満州鉄道の共同経営を提案したのもその一環である。

 

 そして日本は支那事変をきっかけに泥沼のような戦争から抜けられないでいた。主戦論を唱える陸軍軍人ですら、本音は一撃で支那政府を降伏させようというものであって、このような長期の消耗戦は望んでいなかったのである。支那事変の長期化は蒋介石や毛沢東の裏でソ連とドイツも深くかかわっていた事は既に色々な研究で明白にされている。更に米政府の中枢にいたコミンテルンのスパイもかかわっていたのであろう。

 

大陸に利権を持つ日本を追放するには消耗戦で日本を衰弱させ、「門戸開放」の実現が可能だったからでもあろう。支那政府の暴虐に決然と反撃する英米に対して、妥協的対応を続ける幣原外交はかえって支那政府と接近して英米の利権を犯そうとする試みに見えたであろう。既に満洲に権益を確立した日本が、今度は平和的に支那本土に進出しようとしているのだと見えたのかも知れない。

 

 アラン・アームストロングという米国人が書いた「幻の日本爆撃計画」という本がある。他のコラムでも紹介したが重複をいとわず再掲する。これによれば1940年頃から、蒋介石の提案した日本爆撃計画を米政府は本格的に検討し始めた、と言うのだ。これをJB-355計画と言う。もちろん公然と米空軍が実施するのではなく、戦闘機と爆撃機を国民党政府に貸与してパイロットは空軍を「自主的に」退役した米軍人が義勇兵として参加する、というものだ。参加の規模は時期によって変化するが最大の計画は戦闘機350機と爆撃機150機と言う真珠湾攻撃をはるかに超える規模のものすらある。攻撃対象は日本の主要都市と、工業地帯である。このような大規模な空襲が実施されていれば世界中に米政府に関係が無い、義勇軍だという発表を信じる愚か者はいない。

 

この本には米国のある会社がこの計画のために八二名のパイロットと三五六名の技術者を雇用した事があると書かれている。つまり一機の飛行機には整備等の要員が四人強必要となるのである。さらに軽爆撃機としてもパイロットは一機当たり五名程度必要となる。こうして計算すると先の計画に必要な人員は一六〇〇人となる。更に後方支援要員や指揮官党が必要となる。これはそんな膨大な規模の計画なのである。米政府が実行できなかったのは、英国に爆撃機を廻す必要があったため計画が遅延し、実行する直前に真珠湾攻撃が起こってしまったためであるのに過ぎない。

 

この計画の一部として一〇〇機ほどの戦闘機とパイロットおよび支援部隊が一九四一年一一月に派遣され、フライングタイガースとして支那大陸での対日戦に参加した。これはその次に送られてくるはずの爆撃機が真珠湾攻撃によって送られてこなくなって宙に浮いて戦闘機だけが活動した結果である。計画は梯子を外されたが実行の最中だった証拠である。これは米政府が本気であったことの証明である。対ソ戦のために動員された「関特演」が中止されたのとはわけが違うのである。

 

 それどころではない。「一九四一年の秋には、日本爆撃計画はアメリカの活字メディアで広く報じられていたからだ。」とさえ書かれている。その例として、ユナイテッド・ステーツ・ニューズ誌、ニーヨーク・タイムズ紙、タイム紙の報道の概要が紹介されている。これに対して米国内はどう反応したか。国民や野党は戦争をしないと公約して当選したルーズベルトを怒涛のように非難したであろうか。今日の目で見てもそのような反応は何も起こらなかった事は明白である。

 

なぜ誰もそのことに疑問を持たないのであろう。その答えは、米国民は欧州との戦争に「若者を送り直接戦闘に参加する事を望まなかった」のであり、日本との戦争は許容していた、と言う事でしかあり得ない。確かにルーズベルトは「裏口から」欧州の戦争に入ろうとして、日本に最初の一発を撃たせようとして、現にラニカイと言う米海軍籍のぼろ舟を太平洋に遊弋させた。だが対日戦に関しては明らかに自ら最初の一弾を撃とうとすることも実行しつつあった。繰り返すがフライングタイガースが現に大陸に派遣されたように、その計画は幻ではなく、実行途中であったのだ。

 

 なぜ欧州での戦争は嫌い、日本との戦争は許容されるのであろうか。アメリカは国際法に関しては、英国のように律儀な国ではなく、正義感と言うものが国際法の原則を超える事がある国である。日独に対して「無条件降伏」を要求するというチャーチルですら反対した国際法無視の行動をとった国である。だからレンドリースをして事実上の参戦をしても、兵士さえ送らなければ中立は守られる、という「中立法」の修正さえしたのである。その背景にはドイツの英国征服と言う恐怖に怯えると同時に第一次大戦でヨーロッパの諸国が膨大な戦死者を出したことを知っている、と言う事であろう。つまりヨーロッパに派兵すれば大量の若者が犠牲になる、と言う事を考えたのである。その苦肉の策が中立法の修正であったから世論は容認したのである。

 

 この本と同様に「オレンジ計画」と言う本の著者も日本に対する強度の偏見の持ち主である。この本には米国が恐れていたのは、意外なことに日本の海軍ではなく、陸軍であったと書かれている。日露戦争で精強なロシア陸軍を破った記憶があったのであろう。事実、機械化が遅れている日本陸軍でも戦略が良ければ米軍は苦しめられる、と言う事は太平洋の戦いでも証明されている。海軍はマシン同志の戦いだからワシントン、ロンドン条約で兵力差があった日本海軍は敵ではない、と考えたのであろう。元々の工業力の差に加え、支那事変で疲弊した日本は米国より建艦能力が遥かに劣ると推定したのも正しい。すなわち米国は地上戦を戦わなければ良く、海軍力と空軍力で日本を屈伏させればよい、と考えたとしてもおかしくはない。それにはいきなり本土空襲と言う手段は最短である。

 

 アームストロングによれば、・・・日本が“大量殺戮兵器”を保有していたことは言及に値する。日本は中国人絶滅を目論んだ戦争で炭疽菌と腺ペストを使用した。また、核兵器の製造に実際に取り組んでいたのである。

 

 この言辞だけでいかにアームストロングが偏見に満ちた人物か分かる。日本は支那事変に引きずり込まれたのであり、核兵器を実際に製造したのはアメリカである。自ら大量破壊兵器を開発使用したのには眼を瞑るのだ。だが問題はその次である。

 

第二次大戦終了時の国際連合結成の前の時点では、国際法は、一国が切迫し、かつ即時に起こり得る敵国からの攻撃の危険に対して取る先制軍事攻撃を認めている。・・・ブッシュ大統領はアメリカ国民に対しても国際世論の陪審に対しても、イラク政府が大量殺戮兵器を保有していたと納得させるに足る証拠を提示した、と万人が認めているわけではない。・・・しかし、イラク政府は二〇〇一年九月一一日の合衆国本土における同時多発テロに関わっていたと主張する者もいるのである。この分析の下では、イラクは”悪の枢軸“の一部であり、アメリカの報復攻撃-先制攻撃ではないとしても-を受けて当然だった。

 

更に別の箇所では、

 

JB-355が予定通りに実行されていれば、それは日本に対して中国でさらなる資源を消費することを強いる手段を、アメリカその他の連合国に与えることになり、その結果、日本の真珠湾奇襲は阻止されていたかもしれない。アメリカと中国による対日先制爆撃が一九四一年一一月初旬に始まっていたとすれば、アメリカ陸海軍は非常に高度の警戒態勢を敷いていたはずだ。・・・真珠湾攻撃から、あの奇襲と言う要素が取り除かれていた可能性は大だっただろう。

 

 つまり計画が実行されていれば、実行の時期によっては真珠湾攻撃は中止せざるを得ないか、反撃にあって失敗するかしただろうということだ。米国の防空能力は高い。完全な奇襲ですら、約300機の攻撃に対して、およそ10パーセントに当たる、29機を撃墜しており、特殊潜航艇は全艇が撃沈されている。わずかの損害と一般には書かれているが、実際は10%もの損害を受けたのである。日本本土爆撃では奇襲ではなく本気で迎撃したにもかかわらず、撃墜率は3%にも満たなかった。

 

アームストロングが言うように真珠湾攻撃が失敗した可能性は大である。イラク戦争を引き合いに出したのは象徴的である。著者は日本本土先制爆撃によって、日本軍はイラク軍のように緒戦でまたたくまに敗退したはずだと言いたいのである。しかも米国は国際法上も先制攻撃の権利があったとも言いたいのである。つまり長期の支那事変によって、日本は米国の一撃でもろくも敗退すると思われたから米国の朝野は、欧州戦争と異なり戦争を忌避していなかったのである。

 

イラク戦争を見よ。機械化部隊の快進撃でほとんど損害もなく短時間でイラク軍は降伏した。大量破壊兵器が無かったのではないか、などと非難されるようになるのは、正規戦が終わって親米政権ができたのにもかかわらず、ゲリラ戦で正規戦の何十倍もの被害を出すようになったからである。一撃で倒せる日本との戦争は、支那大陸と言う新しいフロンティアを求める米国の朝野にとって望ましいものであった。

 

もちろんこれは仮説である。しかし米軍による日本爆撃計画が公然と大手マスコミによって報道されていたにも関わらず全く反対運動が強まらなかったことを説明するにはそれしか考えられない。計画は厳重に秘匿されていたのは確かである。それにもかかわらず公然と報道されたのは故意にリークされたとしか考えようがない。そしてリークしたのは世論の反応を見たかったのである。さすがに世論によって国策が動く米国である、と言ったら皮肉になるのだろうか。

 

ひとつ思う。日本人が中国人の絶滅を企画していたなどと言うでたらめを、まともな米国人が普通に思うのは、米国人がフロンティアとして支那大陸を支配したいのに、それが日本人の妨害でかなわないのがくやしいという思いの表れなのだろう。つまりアームストロング氏は米国人の思いを、中国人絶滅計画と言う妄想に投影したのである。

 

参考文献

*誰が第二次大戦を起こしたのか・草思社


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