92歳のパリジェンヌ(字幕版)
サンドリーヌ・ボネール
2017-04-27




この映画になぜか惹かれて最近みました。

なぜか親を亡くす映画を選んでいました。年末から父親と連絡がつかず、心配していたからでしょうか。

元助産師だった92歳のパリジェンヌの尊厳死について描いた映画で、フランスの元首相のご家族が出版された書籍が元になっている話ということでした。



92歳のパリジェンヌは、親族に囲まれた誕生日会で2カ月後に死にたいと宣言します。

家族は動揺します。娘が心配して家に行くと、遺品整理を主人公は始めています。

主人公は高齢になり、体力が弱り、車にも乗れなくなり、杖をついていて、周りに助けられながら暮らしていますが、自立して生きれなくなり、もう人生を終わりにしたいと願っていました。



主人公の申し出は、もちろん抵抗をうけます。

息子は、母親を死なせないよう、自宅の睡眠薬を没収します。

主人公にとって大事な品々を生前に家族へ譲ろうとしても、受け取ってもらえません。

孫はおばあちゃんに家を出て、オーストラリアでサーフィンショップを開く計画を語りにきます。主人公は否定せず聞いています。

娘も、反対して喧嘩していました。



一人暮らしの主人公は歩けなくなり、トイレで倒れて、不審火を出してしまいます。

孫が部屋をペンキで塗り、綺麗な部屋にして、最新式の良い電化製品を取り入れて出迎えてくれます。

しかし、主人公は新しい電化製品より古い使い慣れた家具や電化製品を愛していて価値観が違います。

若い頃、綺麗だった人、有能だった人、スポーツマンだった人が、歳を重ねて美貌や役職や体力を失うほど、老いを痛感されるようです。

下手をしたら、同じマンションの人や孫や娘の命に関わるような火事を起こしたくて起こしているわけでは無いことが明白で、人に迷惑をかけるレベルの主人公の能力低下に苦しみを感じました。



母親を施設に預けた同僚に自殺幇助にあたると批判されながら、娘は母親の自立できず死にたい気持ちを理解して支援し始めます。

母親と沢山の医師を自宅に呼び睡眠薬をまた集め始めます。個人による自殺幇助かもしれませんが、兄以外、批判する人はいません。

母親が亡くなる前に、不倫関係にあった男性に最後に母親が会いに行くのを娘が長距離運転して助けます。兄は、父親を裏切っていた母親を許せないままでした。

母親を助ける娘は、夜には悪夢を見たり苦しんでいました。介護に疲れた娘を夫は理解せず喧嘩になります。母親が入院した病院の看護助手に出会い、連れ出されて運動すると、少しスッキリしていましたが、介護の別れる前の辛さは死を受容する過程に似たものがあるのかもしれません。



主人公が死を宣言してくれたおかげで、娘も孫も死をカウントダウンするまで苦しみながら、濃密に主人公との時間を過ごしていました。

高齢化社会を迎え、そんな尊厳死を尊重することも一手でしょうか。

予め、エレベーターのある自宅に住んでもらっておく。予めトイレやお風呂に手すりをつけ、ユニバーサルデザインにしておく。この家がこうなる前に予め計画しておけることがまだある気がしました。

個人の価値観を尊重すると、最終的に尊厳死という形に辿り着くのかもしれません。



私が高齢の難病患者さんの支援をしているので、この映画をみた日は、尊厳死など許容できませんでした。

身体が動かなくなるとメンタルを病む方も多いものですが、生きのびておられます。だから、老いに耐えられず自ら死を選ぶ人を当初は許容できませんでした。

ただ、自立して生きられなくなり、周りの助けを拒み一人暮らしをするなら、孤独死をするより尊厳死の方がマシでしょうか。よく分からなくなったのです。

周りの助けを拒み一人暮らしを続ける時点で、メンタルを病んでいる可能性もありますが、普通に働く人を精神科病院に入院させるわけにもいかず、そんな人は薬を勧めても飲まないのでしょう。

メンタルを病んでいると自覚され通院されると、社会的尊厳、プライドには関わるかもしれませんが、家族を大事にされて死を迎えられるだろうと思います。そこには、尊厳死ほど故人の身勝手さはないのです。



この映画を見ながら、連絡が返らないものの、連絡するよう頼んだ別の家族や親戚が父親と連絡をとれていれば、という甘い期待をしていました。ただの回避だったでしょうか。

2019年12月31日、風が強い日でした。連絡が取れなくなった父親の様子を見に行くと、父親の自宅で父親は死体になっており、私は第一発見者になりました。両親は離婚して、父親は沢山の知り合いと交流しながらも、一人暮らしをしていました。

私が警察に通報すると、父親は亡くなっていたので救急隊は帰りました。検死が行われると、脳出血で短時間に亡くなっていたことが分かりました。

映画など見ておらず、連絡をとり早く駆けつけたらよかったでしょう。それでも、この映画を見ていて救われた部分がありました。なぜか死に対する心の準備が出来た気がします。合理化かもしれません。



ユニバーサルデザインの家に住み、お風呂場まで室内乾燥機が入り暖かくヒートショック対策をして、野菜をとり健康に父親は気をつけていました。

それでも、あくまで確率論であり、風呂場での脳卒中を防ぎきれないのだと気付かされました。ダメな時はダメ。

同居していても、風呂場には入りにくいので、仮に同居していて気付いても救いようはなかったでしょう。麻痺が残れば働けなくなったかもしれません。

父親の仕事第一の価値観を配慮すると、悲惨な最期でしたが、尊厳死なのかもしれません。

発見は1日以内ではありませんでしたが、冬で湯は冷え、損傷がひどくなく顔も見れたのは救いでした。



いつ亡くなったのか、携帯通話記録、防犯カメラ画像や近所の方々の証言、買い物袋の中のレシートの日時から探りました。葬儀の準備や遺品整理におわれた年末年始でした。

うちの父親も、トイレが近く、癌も経験して障害を抱え始め、子供達は同居や近くに住むことを提案していましたが、断られていました。父親が選んだ家で、好きなものを買い囲まれて、好きな活動をして、最後まで仕事をして亡くなれました。

突然死は故人には幸福だったでしょうか。親族は私が見つけたから良かったと言ってくれますが、もっと早く連絡をとれば、もっと早く駆けつけることが出来れば、という後悔を私は止めれませんでした。

しかし、この映画を見ずに駆けつけていたら、もっとショックが大きかったと思うのです。だから、この映画が生涯忘れられない映画になってしまいました。



きっとバイトにでも出かけている、きっと趣味の釣りだろう、という周りの声をスルーして、父親の家に駆けつけました。

周りに連絡をとってもらうよう頼んでしまったことを後悔しつつ、もう間に合わない、と内心は覚悟していました。

それでも、周りが言うように無駄足であることを祈っていました。家の前に立つと、車があり電気が付けっぱなしでした。もうダメだ、と思いました。

全くダメな娘ですが、これも一つの介護や看取りだったのでしょうか。もっと長生きして欲しかったです。

この映画のように、一言でも感謝や愛情を伝えたかった、と心から反省した年末でした。遺された家族は、こうして、ようやく自分の人生に向き合えるのかもしれません。



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