ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“ありがたい” と思うこと

2018-08-17 06:39:24 | 雑感
 “感謝” というテーマで何か話せと言われたら、皆さんはどうされますか? 大抵は、お世話になった人、苦しいときに助けてくれた人の話をし、その恩人への感謝の気持ちを述べるのではないでしょうか? 先日のAAのミーティングでは、この “感謝” がテーマでした。

 はるか以前、このテーマで妻に感謝したという話をしたことがあります。連続飲酒から末期状態となった私を病院に連れて行ってくれたのは妻でしたし、その病院を強制退院となった私を専門クリニックに連れて行ってくれたのも妻でした。彼女がいなければ今頃どうなっていたか、この件では今でも妻に頭が上がりません。

 それにもかかわらず、いつも私を小馬鹿にしたような話し方をする彼女にほとほと辟易してしまい、さすがに今では感謝の気持ちも褪せて来ています。時が経つにつれ心も移ろうもののようです。こんなことは、いつも身近にいる人だからこそ却って陥りがちな皮肉なのかもしれません。

 “当たり前” と見做してしまう慢心にも通じることですが、生きた人への感謝の気持ちほど当てにならないものはない、とさえ思えてしまいます。

 ところで、私には妙なこだわりがあります。あくまでも感覚的にですが、“感謝” という言葉は軽い言葉で、“ありがたい”の方が奥の深い重たい言葉だという気がしてならないのです。“感謝” という言葉に感じる、どこか裃を着けているようで鯱張っているところもあまり好きではありません。

 “ありがたい” の語源は「有る(ある)こと」が「難い(かたい)」であって、本来は滅多にないという意味です。これを敷衍すれば、希有なことあるいは不可思議なことにまで意味を広げることができそうです。

 だから、この日のミーティングでも “感謝” を “ありがたい” に置き換えて、しきりに考えていたのは次のようなことでした。断酒前、あんなに傲慢で自己愛の強かった自分、身勝手のし放題でアル症末期となった自分、挙げ句の果てが死の瀬戸際に立たされもした自分、そんな自分が断酒した今では見事に健康を回復して、毎日ゴミ拾いのボランティアをするように成れたのです。こんなことこそ “ありがたい” ことではないのかと。

 敢えて言わせてもらえば、自然治癒力という大自然が授けてくれた仕組みに感謝、あるいは人生の帳尻を見事に合わせてくれた天の力に感謝、ということでしょうか? 私の大自然の摂理信仰は当分変わりそうにありません。



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