ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

旧式蛍光灯のような “気づき”

2018-11-30 06:10:42 | 雑感
 日課になっている市役所通いの帰り道でのこと。翌朝の起き抜けに食すフルーツサンドを買いにコープに寄ってみました。これも日課となっています。最近はフルーツサンドが人気らしく、売り切れの場合がよくあります。

 中に入って直ぐ目に付いたのが、弁当・おにぎり売り場のタラコが “特価” という表示でした。その安さに釣られ、数あるおにぎりの列から目当てのタラコを探し出し、つい声を出てしまいました。
「安い! これにしよう!」

 私の方は独り言のつもりだったのですが、思案気に佇んでいた同年輩(60代?)のオバちゃんがすかさずそれを聞きつけて
「一人だけだと、・・・何にするかも決められなくて、・・・たとえおにぎり1個でも食べてみれば十分なのよネ。それでも、やっぱりそれだけじゃわびしいのよ・・・。」
「失礼ですが、賑やかだった頃と比べるからそうなるんでは? おにぎり1個でも十分だったら、それでいいんじゃないですか。」
「以前はこんなことで悩むなんてなかったのよ。やっぱり一人って、何故かわびしいのよネ。」

 私はフルーツサンドの方が気になっていたので、
「私は、やっぱり2つ買おう!」と、おにぎり2個をカゴに入れるとそそくさとその場を離れました。

 後になって、彼女は伴侶を最近亡くしたばかりの寡婦なのでは? それも急な死だったのではないかと気づきました。
「(ひょっとして、連れ合いを亡くしたばかりですか?)」そう切り返して話を聞いてあげればよかったかなと悔やまれました。

 長年夫婦として連れ添った伴侶が急に亡くなったのなら、その喪失感や虚無感はいかばかりか容易に想像がつきます。それぞれの生い立ちの違いから様々な諍いや葛藤があったでしょうし、「死んでしまえ!」と思ったこともあったのでは? そんな思いが過ぎりました。

 伴侶を亡くすということは、譬えとしてはちょっと筋違いなのですが、ある意味定年退職と似たようなものとも思えました。

 在職中、仕事が嫌になって退職しよう思ったことが再三あった私でしたが、いざ現実に定年退職となって柵(しがらみ)が解けてみると “空白の時間” に苦しむことになりました。

 喪失感と虚無感から何もやる気が起きなくなり、朝から発泡酒の酒浸りとなって生活リズムを崩してしまいました。挙げ句の果てが死の淵にまで行ったのです。

 彼女も、そんな柵(しがらみ)が解けて “空白の時間” に苦しんでいるのでしょう。そんなときには何としても生活リズムを崩さないことが肝要です。

 そのためには、誰かに自分の苦しい胸の内を語り、黙って聞いてもらうことが何よりの薬になります。そして、自分自身に正直になり、自分の思い通りにやってよいのだ、と自分自身で気づきさえすればいいのです。そうなればシメタもの、生活リズムの立て直しも見えてきます。

 と、エラソウに悔やんでみても後の祭り、まだまだ旧式蛍光灯のような“気づき”で相変わらず機転の利かない私でした。



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