うさぎくん

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世代

2018年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

先日BSで日本のいちばん長い日をやっていたので録画してみていますが、この映画、よほど史実が頭に入っていないと、次から次へといろんな人が出てきて、誰が誰だかわからないですね。。特に陸軍の若手参謀が錯綜していてよくわかりません。。

映画を見ていて思うのは、この陸軍の若手たちと、それを抑えることになる師団長、軍司令官、陸軍大臣等の対立構図です。おおむね30代前半の若手と、50~60代の幹部がぶつかり合う。この辺が門外漢にはよくわかりません。二二六事件のときも、野中大尉は30代前半でことを起こしています。単に若くて血気にはやる年代だからというのでは説明がつかない。若手に裁量を持たせて成功した企業というのはあるでしょうけど、若手が上を牛耳って、経営陣が統率に苦労する会社というのはあまり想像ができない。。ベンチャーは別として、伝統ある企業で若手が強い会社があったとすれば、それはわりと先進的な会社、というイメージになるのですが。。

彼ら若手の軍歴が始まった、昭和初期以降の軍の雰囲気が影響しているのでしょうか。それとも、この時代の50代は、日露戦争後の軍縮時代の人たちなので、その辺が影響しているのか。いずれにしても、専門家じゃないので何ともわかりません。

いずれにしても、若手の暴走が、昭和以降の軍の在り方に大きく影響したわけです。

それで、そこから少し連想するのですが、先月死刑執行されて話題となったオウムのもと死刑囚たち、彼らが暴走して引き起こした事件も、彼らの多くが30代の初めごろであったという点で少し似ています。さらに言えば、陸軍若手参謀も、もと死刑囚たちの多くも、ともにエリート集団の一部であったという点で似たところがあります。。

もちろん若いからことを誤った、といいたいわけではありません。ただ、なぜ彼らの上の世代が、若手をうまく抑えられなかったのだろうか。二二六事件でも、若手の多くはその罪を許され、それがその後の軍の運営に悪く影響したとされています。

阿南陸軍大臣も、森連隊長、田中大将も、多くの部下に慕われ、軍を統率してきた人たちだといわれています。それでも組織は彼らに、更に難度の高い統率を要求してきたのか、あるいは軍の歴史の積み重ねが、彼らには負い切れないほどの重荷を課してしまったのか、その辺はわからないところです。

 

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