田中雄二の「映画の王様」

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蓼科の小津安二郎

2018-08-21 10:24:07 | 雄二旅日記

 妻と共に日帰りバスツアー「八子ヶ峰ハイク」に参加。行きも帰りも、おまけに現地でも渋滞に遭遇し、往生したが、やはり高原歩きはいいものだと実感した。

  

 ところで、以前、八子ヶ峰の近くの白樺湖を訪れた際、蓼科(ビーナスロード)で“小津安二郎”の名が記された標識を発見し、今回も車窓から目にしたので、気になって調べてみた。

 標識には「小津安二郎 無藝荘」公開中と記されている。

 蓼科観光協会のオフィシャルサイトによると、無藝荘とは、小津が昭和30年頃から蓼科の別荘として利用していたかや葺き屋根の建物のこと。2003年に、小津の生誕100年を記念し、建物の保全のため、数100メートルはなれた現在の場所 (プール平) へと移築されたのだという。

 小津は『東京物語』(53)を撮り終えた頃、蓼科にあった、脚本家、野田高悟の別荘、雲呼(うんこ)荘を訪れて気に入り、それ以降、仕事場を蓼科に移した。

 そして、晩年の7作品(『早春』(56)『東京暮色』(57)『彼岸花』(58)『お早よう』(59)『浮草』(59)『秋日和』(60)『小早川家の秋』(61)『秋刀魚の味』(62))のシナリオをここで書いたらしい。

 当時の小津と野田、来訪者や蓼科の様子は、雲呼荘に備え付けられていた日記=『蓼科日記』(全18巻)に克明に記されているようだ。

 この他にも、無藝荘周辺が「小津の散歩道」として整備され、小津安二郎記念として毎年茅野市で「蓼科高原映画祭」が開かれているとのこと。『蓼科日記』を読み、改めて訪れてみようか、という気になった。
http://www.tateshinakougen.gr.jp/cinema/

 『小津安二郎をたどる 東京・鎌倉散歩』(貴田庄)と『絢爛たる影絵 小津安二郎』(高橋治)を再読。


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