日本の国柄を破壊しようとする勢力と、私たちは断固戦わなくてはならない。立憲民主、共産、社民の三党は去る3日、「夫婦、夫、妻」を「婚姻の当事者」、「父母、父、母」を「親」にすることで、結婚や家族に関係する言葉を、性中立的に改正する法案を提出した。法律で同性婚を認めるにあたって、家族における男女の性差も否定したのである▼それが通ってしまえば、「父」も「母」も使うことができなくなる。童謡の「ふるさと」に出てくる「如何にいます父母」というフレーズも死後と化すのだ。サトウハチローの詩集「おかあさん」も差別を増長するとして、教育現場では取り上げられなくなるだろう▼なぜ家族が維持されてきたかについて、高山岩男は保守主義の立場から論じている。「過去の良きものを保守するのは、何も過去のものであるからではない。過去のものであるが、同時に過去現在未来を通じても良きものである。即ち永遠に価値ありと確信するが故に、これを保ち守るのである」(『哲学とは何か』)▼「過去の良きもの」が家族であり、父と母を同列に扱うのではなく、それぞれの役割を認めなければ、子供たちは混乱する。時代の趨勢に背を向けてはならないが、急激な変化によって混乱することは避けなくてはならない。家族を解体した後のことを、立憲民主、共産、社民の三党は考えているのだろうか。
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出席者の一人だった作家の黄宗英は2002年に発表した文章でこのやりとりを紹介し、『震えを感じた。思い出すと血のめぐりが変になる』と振り返っている。
毛沢東は分かっていたのだろう。魯迅が生きていれば、将来、その批判精神は共産党政権にも必ず向かってくるであろうことを。そして、共産党はそうした魯迅を許さないことを。だから、毛沢東は、あくまで過去の人物として魯迅を評価し、利用し続けた。」(『林彪事件と習近平』・古谷 浩一)
「1950年代の中国では、・・・毛沢東の大躍進運動によって農業が壊滅的な打撃を受け、膨大な数の餓死者が出た。(中略)
こうしたなか、(共産)党の指導者たちは表向きは共産主義をストイックに唱えながら、自分たちは特権を利用して、庶民の暮らしとはかけ離れた優雅な生活をこの避暑地(北戴河)で送っていた」(同上)
同じ頃、「中国共産党幹部の子弟たちは、北京にある寄宿制の小中学校で学んでいた。北京大学や清華大学のある学園地区にあって、敷地は20万㎡、校舎の延床面積は3万5千㎡という広大なもの。庭園、果樹園、動物園、給食用のミルクを供給するための牛舎。さらにシャワー室やプールなども完備しており、当時としては世界有数の近代的な学校だった。」(矢板 明夫)
そこには少年・習近平もいた(文化大革命で父親が失脚する前)。
1965年にソ連共産党の病院で治療を受けた児童向けの詩人、コルネイ・チュコフスキーは、「共産党中央委員会の家族は、自分たちのために楽園を建てたが、他の病院のベッドにいる人たちは、飢えて汚れ、まともな薬すらなかった」と日記に綴ったそうだが、こうした特権階級の中国版なのである。
死せる魯迅が、その鋭い批判で、生ける近平を走らす日がくるだろう。