なぜ鬼怒川氾濫で国を提訴するの? | 同床異夢

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平成27年9月の関東・東北豪雨で、鬼怒川が氾濫して被害を受けたのは国の河川管理に不備があったためとして、茨城県常総市の住民ら約30人が7日、総額約3億3500万円の損害賠償を国に求める訴訟を水戸地裁下妻支部に起こした。(毎日新聞)

https://mainichi.jp/articles/20180807/k00/00e/040/256000c

 

 

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 最近の日本人の傾向って、すべて後出しジャンケンのような気がする。

どういう意味かというと・・・責任を取らないで権利の主張ばかりする、

みっともない、卑怯な人達という意味。

 

 治水事業(公共事業)の予算をカットして社会保障費に回すということに、

多くの国民が賛同したよね?

 

だから、民主党政権が誕生した。

そして、民主党政権はダム建設をストップさせたり、公共事業費を大幅に削っていった。

 

         (堤防が決壊した鬼怒川)

 

そして、マスコミは公共事業が悪玉であるような印象操作を繰り返してきた。

マスコミの影響があるというものの、情報受け取り側も

少し頭を働かせて考える作業をしませんか?

 

公共事業費をカットしたらどうなるか?

少し考えれば、このような事態にはならなかったのでは?

 

言い換えれば、バカな選択した結果が、堤防の決壊だった。

それを政府に損害賠償するなど都合がよすぎる。

 

被害を受けた方には、申し訳なく思うけど、

では、当時、公共事業削減に反対の声をあげたか?

 

 

その選択した責任は国民が負うことになるのだ、

だから、慎重に投票しなければならない。

 

それが、代議制民主主義という制度である。

バカな芸能人を国会に送って、大丈夫だと思ってはいけないのだ。

蓮舫が行う、事業仕分けを面白おかしく見ていたのは国民ではないか。

 

 

当たり前の話だが、安全を維持していこうと思うと、それなりに、お金がかかるのだ。

それをカットしたら、安全でなくなるのは当たり前。

 

税の支出は安全より、個人への再分配がよい(子ども手当や社会保障費)と

判断したのは、国民であるという歴史は消せない。

 

貰う物は貰って、それで被害が出ると誰かのせいにして、被害者面するのは

人として恥ずかしいことではないだろうか?

 

少し、厳しい言い方かもしれないが、近年、官僚を含め無責任な人が多すぎる。

子供達がそういう大人をみて、どう思うかを少し考えてみてはどうだろうか?

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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