ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

8月15日の千葉日報新聞

2019-08-19 12:32:19 | 徒然の記
 今日は、8月19日です。4日遅れで、終戦の日の新聞を読んでいます。一面を全部使うトップ記事は、高校野球全国大会の模様と、終戦の日の市民活動の二つでした。

 山形県鶴岡東高校と千葉県習志野高校が、9対5で戦い、地元習志野高校が敗れました。大きな活字で書かれた見出しの下に、ページの半分を占める選手たちの写真があります。

 「習志野2回戦で涙」「終盤猛追届かず」「第101回全国高校野球選手権大会」・・・見出しと写真が大きいので、記事は申し訳程度にしかありません。その左下に、写真と三段組の地味な記事で、終戦の日の市民活動が掲載されています。

 「令和へ繋ぐ ー戦争の記憶」「時空超え若者 " 交流  " 」「きょう終戦の日」「手紙企画 反響受けシンポ」・・・見出しの活字も小さくなっています。

 馬鹿の一つ覚えのように、毎年同じ言葉を繰り返しているなどと、私が色々勝手な批判をしていますが、千葉日報は千葉日報社なりに、「両論併記」の工夫をしている跡が伺えます。朝日新聞等々他社は知りませんが、書かれている内容にも、「日本がした愚かな戦争」「日本が侵略したアジアの国々」という、かっての紋切り型の文句が消えています。

 17面の社会面も、同じ構成でした。一ページの右半分が「終戦の特集」記事で、左半分が「習志野高校の試合」記事です。千葉日報社の記事を読む限り、かってのお祭り騒ぎがなくなり、終戦の日の穏やかな紙面になっています。「日常を取り戻した千葉日報」、とでも言えば良いのでしょうか。だから私も、忘れていた言葉を思い出しました。

 「マスコミの鏡になれるか、千葉日報」

 17面の記事は、一面の「令和へ繋ぐ ー 戦争の記憶」の続きですが、内容の一部を紹介いたします。

 「習志野市の編集者、北川直美さんらが世に出した一冊の本は、」「戦禍の記憶を、未来に引き継ぐ取り組みに、」「新たな可能性を示しつつある。」「戦争体験者の証言と、それに対する若者の手紙を納めた著作、」「 " 若者から若者への手紙 1945<--2015  "  を、世界へ届けようと、」「平和を語り合う、記念シンポジュームが、開催された。」

 「2015(平成27)年に出版された同書は、」「原爆の被害者や元兵士ら15人の体験を、」「北川さんと室田元美さんが聞き書きし、」「証言を読んだ若者が、体験者に宛てた手紙を収録したものだ。」「多くの反響とともに、海外の人にもとの声が届き、」「米国人翻訳家や、フィリピン出身の若者など、」「15人が英訳した。」

 「約10年前に、セネガルから来日したウリマタさんは、」「東京大空襲で被災した、清岡美知子さんの証言に、心を打たれ、」「今の戦後教育に、疑問を呈する。」「被災者一人一人に顔があり、生活があった。」「その生活が、戦争でどう変わったのか、触れられていない。」

 「同書を通じ、戦争体験の伝え方に、色々な方法があると感じた北川さん。」「各国の人が伝える、アジア・太平洋戦争がある。」「考え方やルーツの違う人と話すと、これまでとは違った、発見がある。」

 ここには、昨年までと違う、千葉日報社の姿勢が伺えます。「戦争を許すな」「平和を守れ」「忘れるな戦争の悲惨さ」と、一方的な絶叫を止め、多様な意見を聞こうとしています。多様な意見を聞くことの大切さに、やっと気づいてくれたのかと、何やらホッといたします。

 その多様な意見の中で、若者たちが、マレーシアの詩人ラジャ・ダト・ノンチック氏のような人物に出会ったら、どんなに良いことかと、夢がふくらみました。平成元年(1989)に、首都クアランプールで氏が発表した作品です。以前ブログに載せましたが、こういう詩は、何度でも読みたくなります。
 
  かって 日本人は 清らかで美しかった
  かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
  アジアの国の誰にでも
  自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

  何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
  おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
  いなかったわけじゃない

  でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
  不愉快さを超えて おおらかで まじめで
  希望にみちて明るかった

  戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  まじめに
  自分たちの父祖や先輩は
  悪いことばかりした残酷無情な
  ひどい人たちだったと 思っているようだ

  だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  いえばよいと思っている。

  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
  ひとりよがりの 
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな 今の日本人が 心配だ

  ほんとうに どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
  本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも 歯がゆくて 
  悔しい思いがする

  自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
  さげすんだ目で見たり バカにしたりする

  こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
  どうして
  どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ         
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