神社には伺うけど、お寺には伺わないのよね~という方、そうで無い方、ポチっと、応援お願い致します。
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有難うございます。
神社は清く、お寺は強いです。
物事はバランスが必要です。
どちら共に伺ってこそ、バランスが取れ、事は上手く運んでいくのだと思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。
私は、ご縁を頂いた方々と、鑑定後、メールのやり取りをさせて頂いておりますが、事の運びが良い方と、そうで無い方の違いを文面にて感じることがあります。
先ず、事の運びが良い方というのは、なさるべきことをなさり、少しずつの変化に喜びを感じ、支えてくださるチームの方々に感謝の心を持ち、日々を過ごされていると記してくださっています。
そのような方は、気付きと、感謝の繰り返し、繰り返しで、事が上手く運んでいくと思います。
ですが、事の運びが思わしくないのではと感じる方というのは、なさるべきことをなさっているとも記されず、チームの方々と心通わせていらっしゃるとも記されず、私に、「やんちゃさんは、こうしたら良いと思います」や、「私の考えはこうです」とばかり記されます。
私は、人様のご意見は有難く賜りますが、忠告のようなお言葉で表現をなさっていらっしゃる場合、ご無礼を承知で、「このお言葉は如何な物でしょうか」と、ご連絡くださったお礼と共に返信させて頂きます。
この世は、リハーサル無しの一発勝負です。
幕が上がれば、その舞台に立ち続けることです。
それを、舞台を疎かにして、人の舞台に口を挟みにくる。
「そんなことは、己の舞台を完璧にしてから言えよ!」「あんたの為だけに、ライトを当てて、一番あんたが美しく見えることだけを考えているチームの方々の心が分からないのか!」と思います。
私は、数名の方々に、「私にお言葉をくださることは、とても有難く存じますが、先ずは、ご自分なのではないでしょうか」と返信をさせて頂いたことがあります。
ですが、私が、そのようなことを返信させて頂いた方々は、示し合わせたかのような見事に同じ内容をくださいました。
それが、政治家の方の謝罪会見と、そっくりです。
先ず、冒頭のお言葉。
「この度のこと、本当に申し訳無く思っています」ということ。
決して、「この度は、申し訳ありませんでした」というお言葉は使われない。
「申し訳なく思っている」と、謝罪をほのめかしていても、その腹にあるのは、「いけなかったのではなく、いけなかったのかもと感じている」ということだと思います。
その言葉から始まれば、「詫びではない」と、人は感じると思います。
その次が、「何故に、私が、やんちゃさんにあのようなことを伝えたかと言うと~」という理由を書かれること。
ご自身の言葉に理由を述べるということは、「高い見識を持った私の言葉、深き心を持った私の言葉は、貴方が理解するには難し過ぎたのですね」というものだと思います。
そのお心が確かであると私が感じるのは、「全ては、心配してのことだったのです」と記されるからです。
「心配し過ぎて、要らないことを言ってしまった」「私は、自分のことよりも、人を心配してしまうところがあります」と、まるで人に施しているようなお言葉です。
その次に続けられるのは、「私は、過去にも、言葉を違えることが有り、人に誤解を与え、ご指摘を受けたことがあります」と、自らが同じこと繰り返していると話し、学習能力のなさを認めているのだから、普段言わない私の弱さを特別に話しているのだから、『大目に見てくれても良いんじゃない』と、臆することなく語り、記される。
そして、その最後のお言葉は、「私は、そのような意味で言った(または、書いた)訳ではありませんので、ご理解頂ければ幸いです」と締めくくる。
「私の心をご理解頂ければ」と最後に持って来ることは、詫びではなく、「貴方が私を理解したら、事は解決するんですよ」という、ただの身勝手な提案です。
詫びの言葉(または、文面)で無いことは、一目瞭然。
『いい歳して、詫びの入れ方も知らねぇのかよ』と思います。
本当に、事に対して申し訳無いと思っている方は、「この度の事、誠に申し訳ございませんでした」と始め、一切の説明などなさらず、ご自身が何を反省しているのかを口にし(又は、記し)最後に、「誠に申し訳ありませんでした」と締めるのだと思います。
それが出来る方というのは、多少、舞台の上で、振る舞いを違えても、言葉を違えても、飛んできた「お前、セリフ間違ってんぞ!」や、「立ち位置違うんじゃないのか!」という言葉に対し、「あっ、ホントだ!」と、素早く立て直しが出来、周りの方々も、「あいつ凄いじゃないか。まっ、多少のことは愛嬌ってもんだな」と、映るのだと思います。
ですが、人の優しさや、心に触れようとなさらない方々は、その心を跳ねのけるのだと思います。
ご自分に非が無いと思うのであれば、「私は、間違っていません」と、突き通したら良いのだと思います。
突き通せる方には、確かな強いエネルギーと、志があると思います。
そのようなお志がある方は、決して、ご自分の舞台を降り、舞台を空けてしまってはならないと思います。
そのようなことをなされば、未成仏の方々が、その舞台を占拠してしまうことになります。
沢山の方々に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
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心より感謝申し上げます。
発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA