前回、一青窈さんの『ハナミズキ』を紹介しました。
今回は、歌詞の中にある「水際」について少し思うところを書いてみたいと思います。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
日本人は元々、「どっちつかず」つまり「中庸」を好む傾向があるのではないか、と思うことがあります。
「日本の文化は、水際(みぎわ)の文化だ。」と言った人がいますが、水際、つまり陸地でもなく、かといって水面でもなしという、どっちつかずのところに美しさを求めてきたのです。
夕方の「黄昏(誰そ彼=日が沈み、人の見分けがつかない時分の意味)」や、明け方の「かわたれ(彼は誰=薄暗くて、彼は誰かはっきりわからない時分の意味)」もそうです。
暮れるでもなし、暮れないでもなしという時間帯を好むのです。
茶道の「わび」「さび」もそうですね。
足利将軍時代は、きらびやかな唐物が珍重されていましたが、室町中期には「わび茶」の創始者とされる村田珠光や、それを完成させた武野紹鴎、そして千利休の茶風が好まれるようになります。茅葺土塀の田舎風の茶室と真っ黒な楽茶碗でもてなす鄙びた茶へと変貌を遂げるのです。
しかし、その一方で、同時に唐物も大切にされていて、まさに「雅(みやび)=宮び」と「鄙(ひなび)」が入り混じって完成したのが「わび」「さび」のお茶なのです。
日本人の心性を考えるのに真っ先に挙がる書籍、『古事記』にもこのような記述があります。
イザナギノミコトが「筑紫(つくし)日向(ひむか)の橘(たちばな)の土門(おど)の阿波岐原(あはきはら)」で禊ぎをする場面がありますが、そのとき、「上(かみ)つ瀬は瀬速し(川上は流れが速い)、下(しも)つ瀬は瀬弱し(川下は流れが遅い)」と言って、中つ瀬にお入りになります。
つまり極端な流れを避け、中間をよしとされたのです。両方のバランスをとり、「ちょうど良い加減」を大事にする。それが日本文化の特質であり日本人の心性なのです。
最近、患者さんを診ていると、ぱっと決断して物事を解決していくことばかりを考えて、それが負担になって自らますます病(やまい)を深くしている人が多いような気がします。
潔さを尊ぶ日本の精神を表わすようですが、どっちつかずのまま決断しない中途半端もまた大事なのではないかと、改めて思います。
「どっちつかず」「割り切れないもの」つまり、文字通り「分からないもの」を抱える強さ。
すっきりするのではなく、すっきりしないものに強くなる力。
そんなものを今一度養っていくことも必要かな、と思います。
宮崎市阿波岐原
「みそぎ池」
「人気ブログランキング」にエントリーしています。
1日に1回 クリックして頂けると嬉しいです!
↡ ↡ ↡ ↡ ↡ ↡ ↡
『いど鍼灸整骨院 / 中医鍼灸治療室』のFacebookも適宜更新しています。
『いいね!』をしておくと更新情報を受け取ることができます。
Facebookはこちら → ♡
いど鍼灸整骨院 / 中医鍼灸治療室
大阪府八尾市北本町1-1-7
TEL : 072-991-3366
http://www.ido-s.jp/