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 十字架の友に宛てた手紙』

第十二回


croix




2.『これほど有益で甘美なものはない』】

 

34. しかし、その反対に、もしあなた方が立派に苦しむならば、十字架は非常に心地よい頸木(くびき)となることでしょう、イエズス・キリストがあなた方と共にそれを担って下さるからです。この十字架は天に昇る霊魂の二つの翼となり; あなた方を適切かつ容易に救いの港へと至らせる船の帆となるでしょう。あなた方の十字架を忍耐強く担って下さい、そうすれば、この立派に担われた十字架を通して、あなた方は自身の霊的闇の中で照らされる事になるでしょう; というのは、誘惑により何一つ苦しまない者は、何も知らないからなのです。喜んで自分の十字架を担って下さい、そうするならば、あなた方は神の愛に抱擁されるでしょう; 聖主に対する純潔な愛における苦しみなくして誰も生き続けはしないからです。薔薇の花は棘の中でしか摘めないものです。木が炎の糧となるのと同様に、唯一十字架だけが神に対する愛の糧となるのです。ですから、あなた方は『キリストに倣いて』にあるこの美しい格言を忘れないようにして下さい: 我慢強く苦しみながら、『おまえが自分に対して暴力を加える程度に応じて』神への愛において『前進するだろう』。十字架が自分に近づく時、それを拒絶し、遠慮してそれから何も獲得しない、過敏で怠慢な霊魂たちから何一つ大きなものを期待しないで下さい: つまりそれ(この種の霊魂‐和訳者)は、棘しか与えない不毛の地です、何故なら、この土地は賢明な農夫によって一切刈り取られも、踏み固められも、耕されもしないからであり; それは洗濯にも飲むのにも適さない腐った水なのです。喜んで自分の十字架を担って下さい、そうすれば、あなた方はそこにあなた方の敵の誰ひとり抵抗し得ない勝利の力を見出すでしょうし、他に類を見ない魅力的な優しさをそこで味わう事になるでしょう。そうです、我が兄弟たちよ、本当の地上の楽園とは、イエズス・キリストの為に何かを苦しむ事だと十分理解しておいてください。全ての聖人たちにお尋ね下さい: 彼らは最大の責苦を自分が耐え忍んだ時以外、霊魂にとって非常に美味な御馳走を一度も味わった事がないとあなた方に言うでしょう。殉教者、聖イグナチウス(saint Ignace martyr)は、『悪魔の全責苦が私に襲い掛かって来ますように!』、と言っていました。聖テレジア(sainte Thérèse)は、『苦しむか、死ぬことを』、と言っていました。パッツィの聖マドレーヌ(sainte Madeleine de Pazzi)は、『死ぬことではなく、苦しむことを』、と言っていたのです。また、十字架の(当時‐和訳者補足)福者ヨハネは、『御身の為に苦しみ蔑まれる事を』、と言っていましたし、他の多くの聖人たちは、我々が彼らの伝記で読む様に、同じ言葉で話しました。神を信じて下さい、我が兄弟たちよ: 私たちが神の為に喜んで苦しむ時、あらゆる種類の人にとって、『十字架は、聖霊曰く、あらゆる種類の喜びの原因となるのだ』。十字架の喜びは、あらゆる種類の財産によって満たされる百姓のそれより; ‐王座に就かされる百姓の喜びより; ‐無数の黄金を獲得する商人の喜びより; ‐勝利を収める軍隊の将軍たちの喜びより; ‐足かせから解放される囚人たちの喜びより; ‐最後に、我々が想像するこの世における全ての最大の喜びより大きいのです: つまり、立派に苦しんでいる、十字架に釘付けられた人の喜びは、これらの喜びを含有していると共に、それら全てを凌駕しているのです。


(続く)



Totus tuus:











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