生後半年、
おかわゆいさーたんを撫で回していると、
気になるのがお兄ちゃんのジェラシー。


ジェラシーが最近すごいので、
お兄ちゃんが学校から帰ってきたら、
赤ちゃんさーたんには
なるべくさわらないようにしてるほど。

お兄ちゃん、
さーたんのことはかわいいと思っているらしく、
帰ってくると
「.ただいまー!」
とさーたんにあいさつ。

小さいお手手をさわったり、
抱っこしたり、
と遊んだりもするんです。


だけど、
私がさわろうとすると触らせないようにする笑。

泣いても行かせないようにする笑。

「宿題の最中はとなりにいて!」

「膝の上に座りたい!」

などなど、こちらもおかわゆいことこの上なし。

甘えて心のバランスを保っている感じで。

あーおかわゆいおかわゆい。


どの子もそれぞれ個性があって、
みなそれぞれかわいくて。


最近憎らしいことを言ってくるようになった、
お姉ちゃんもまたおかわゆい。

子どもを素直にかわいいと感じられてるのは
幸せなことだと思います。

思えば私も愛情たっぷりで育てられたなー、
と思います。

私の母はわりと感覚的な性格で、
ぱっと怒ったり、
わーと泣いたり、
めちゃくちゃ言うこともあったのですが、
お母さんを完全無欠な聖母マリア
と思わなかったことが、
逆に良かったと思っています。

そりゃー、年子抱えて、
義理のお母さんのお世話もして、
仕事ばっかりのお父さんの世話もして、
ワンオペ育児、
大変だったろうな、と思います。

大変だからいっぱいいっぱいになって、
ギャーとなっていたのですが、
ときどきそんなお母さんが私に乗り移って、
ギャーと子ども達に怒る時、
母の遺伝子を感じます。
なるほどーと後で思ったり。

そう言うことを妹と今も話したりするので、
お母さんは死んでも家族の中心なんだなー、
と、しみじみします。


今は亡き私の母、
生きていたらどんなに孫をかわいがったんだろうな、
と思います。


こういうことを書くと、
涙がとめどなくあふれてきて、
もう何年も前に亡くなって、
悲しみもだいぶ癒えたけれども、
やっぱりさびしい、
と思っている自分の心に気づきます。

死んじゃってしょうがないんだけど、
心の中には生きているので、
そのお母さんの思い出を、
大事に、
生きていくしかないなあと思います。

思えば私は年子で、
年も近い妹へのジェラシーを、
あんまりお母さんに見せられなかった子どもでした。

見せたら多分対応してくれたとは思うんだけど、
すごい剣幕で働いてるお母さんに何も言えなかったわけです。

それを思うと、
「ママ、忙しそうだし、ごめんね。」
と言いながらも、一緒にいてアピールをきちんとできるお兄ちゃんを頼もしく思います。

そして、ママの忙しさを思いやるこの発言!
すごいなと思いながらも、
そう言わせる私のキャパ狭さを反省します。。。

自分が心身共に、経済的にも生活力的にも不完全な中、生まれてきちゃった子ども達。
子育ての中で自分の至らなさを思い知り、
自分のできなさ加減にほんとびっくり!
って笑っちゃうほど適当な人生観ですが。
それはそれで、
その中で今、幸せを感じていることは事実で、
それは周囲の人のおかげだし、
ほんと奇跡だし、
感謝だわーと思っています。

そんな今の自分の中でベストな生き方を模索中です。


いつか私は先に死んじゃうから、
そのあと、子ども達が幸せに生きてほしい。
そのために、
人に優しくなれる人になってほしいなと思います。



とりとめなくなりましたが、
そんなところでー。

この間、お姉ちゃんが作ったおつまみ!
最高この上なしでした。。。