因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

理性的な変人たち『燃えるスタアのバラッド』

2019-05-04 | 舞台

*ニル・パルディ作 角田美知代翻訳 生田みゆき(文学座)演出 ながしまみのり音楽 公式サイトはこちら 渋谷/THE RUBYROOM 6日終了
 東京藝術大学で音楽やデザインを学び、なぜか演劇に表現の道を求めた女性6人によるパフォーマンス集団の公演(注・1名は事情により降板。文学座の梅村綾子が代役を担った)である。皆さん早々たる経歴の持ち主だ。なぜ演劇を、どのような経緯で?と詳しく知りたくなるが、開演前のどこか定まらない、ふわふわした気持ちをぶっ飛ばし、力づくで劇世界に引きずり込む、迫力のステージである。

 会場のTHE RUBYROOMは、渋谷の道玄坂を上がり、路地を曲がった急な坂の上にある小さなライヴハウスである。椅子は3列並んでいただろうか、そのぎりぎりまでステージが張り出しており、下手にはドラムセットが置かれ、すでにミュージシャンが待機している。天井も低く、息苦しくなりそうなものだが、不思議な安定感があり、飲み物を手に楽しみに待つうち、ドラムセットのさらに左のカーテンが突然開き、中からけばけばしい衣裳とどきついメイクの4人の女が飛び出す。もう逃げられない。トップ・スタアがバックダンサー「スタア・レッツ」を従えて舞台中央に立ち、華やかなショーの開幕…と思いきや、イスラエルという名の少年の話を始めるのである。

 公演チラシによれば、本作は2012年のエディンバラ・フリンジフェスティバルにおいてイギリスの多国籍劇団Theatre Ad Infinitumが上演し、同フェスの大賞を受賞したとのこと。作者のニル・パルディはイスラエル出身であり、「パレスチナ問題」を「イスラエル」問題として捉えた、とある。

 さまざま紐解いたり検索したりしてみるものの、パレスチナ問題はそう簡単に理解できる事柄ではなく、ひとつの事象を反対側から見れば、たちまち違う様相を呈する。それぞれに言い分があり、一筋縄ではゆかない厄介な問題である。

 何しろ舞台が近い。女優たちの演技は大鉈を振るうごとく、動きも声も大きく、前半の客いじりも堂々たる貫禄だ。舞台に引き込まれつつ、時おり台詞が聞きとれないほどの大音量の音楽になったり、正視するのが憚られるほどの衣裳の露出度に少なからず困惑したことも確かだ。

 4人の女優はイスラエル少年、その父と母、弟、祖母などに扮し、パレスチナへ入植したユダヤ人一家の物語を上演する。しかしバックダンサーたちは、途中でスタアの演出に不満を言い立てたり、悲惨な話を演じるのはつらいと泣き出したり、スムースに進行しない。そのようなとき、スタアはし彼女たちに暴力的な言動で演技の続行を強要する。ユダヤ人の苦難を伝えたい、理解してほしいという願いが暴走する様相に、泥沼のごときパレスチナ問題の暗い淵を見る。

 舞台にはイスラエルの地図が書かれた段ボールのボードが置かれ、スタアはそれを使って解説を試みたりもするが、日本語で書かれていることが少々おかしくもあり、しかしユダヤ人の歴史をなぞりながら、現実の困難や相手の無理解に苛立ち、混乱して、終いにはバリバリと破ってしまう。

 冒頭とラストに描かれる少年の死は、被害者が加害者になればその逆もあることの負の連鎖を象徴するもの。あれだけの熱量のステージが、唐突に幕を閉じることで、紛争の理不尽、無残がいっそう生々しく観客の心に残る。本作は元は男性が主演であるとのこと、できれば戯曲を読んでみたい。

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