ベラルーシのミンスク経由で午後10時半過ぎにヴィリニュス駅に到着した。
そのままタクシーに乗って、宿まで行く途中で、スーパーに寄って貰ったところ、
周囲の人達が、2回程、何やら英語でアドバイスをしてくれたため、よくよく
ロシア語(ヴィリニュスは大体ロシア語が通じる)で詳細を問い返してみた
ところ、『午後8時以降はアルコールの販売が禁止されているため、購入出来ない』
とのことだった。 買うのであれば、ノンアルコールにしなさいとのことで
あったが、にわかにはその話が信じられなかったため、タクシーの運転手に
再度確認したところ、やはり、午後8時以降はアルコールの販売が禁止されており、
特に、日曜日は、午後3時以降はアルコール販売は禁止されていると言われたため、
この日は、ミネラルウォーターのみを買ってすぐに宿へと向かった。

翌日早朝から、いよいよ、十字架の丘へ
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一夜明けて、午前7時代の電車で約2時間半掛けて、リトアニア第3の都市である
シャウレイへと移動。 シャウレイ駅とバスターミナルは、歩くと実は10分弱
掛かる。 しかも、バスの本数が非常に少なく、鉄道との接続が悪い。 更には、
最寄の『ドマンタイ』のバス停から、十字架の丘までは、約2キロ程離れて
いる。 このため、シャウレイ駅からタクシーで世界遺産の十字架の丘へと
向かうことにした。

実は、この十字架の下には、遺体は一切なく、すぐ隣りのラトビアやエストニア
にも同様の十字架があるのだが、何故かリトアニアの十字架の丘だけが有名と
なっており、世界遺産にも指定されている。

今回、タクシーに乗って、時間を節約したのは、その後、リトアニア第2の
都市であるカウナスへ移動するため。 実は、シャウレイからカウナスへは、
鉄道で行くと、一旦ヴィリニュスまで戻って、更にV字に遠回りして行くため、
1日で両都市を見て回る場合は、乗車時間の短いバスしかない。

シャウレイからカウナスへは約3時間程度で、高速バスではなく、単なる一般
バスであるため、距離の割には、妙に時間が掛かるため、どちらも余りゆっくり
とは見て回る時間がないため、タクシーを使って、可能な限り、行きたい場所を
限定して見て回るしかない。

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十字架の丘の歴史
リトアニアは1795年の第3次ポーランド分割で、ロシア帝国の支配下に置かれる
こととなった。 ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こした
(1831年の11月蜂起、および1863年の1月蜂起)が、いずれも失敗に終わる。
これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。 反乱兵の家族が、
彼らの遺体のかわりに十字架をこの丘に建てたのである。 1918年、リトアニアは
独立を回復。 独立期、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちの
ために祈る場所となった。 その後、ナチスドイツのホロコーストや、再度
ソ連の支配下へ置かれたりと、辛い時期を経験したリトアニアだが、この丘には、
リトアニアの独立を願って、十字架を建てる人たちで溢れた。 1991年末に
ソ連の崩壊と共に、リトアニアは再び独立を回復。 その当時、この丘には、
約6万の十字架が建てられていたと言う。 現在は、約20万もの十字架が建て
られているとも言われている。

【十字架の数】
1900年 130
1902年 155
1922年 50
1938年 400 以上
1961年 5,000 が破壊される
1975年 1,200 が破壊される
1990年 約 55,000

リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、十字架の丘は特別な意味を
持っていた。 丘へ行き十字架を捧げることで、リトアニア人たちは彼らの宗教や
遺産への忠誠心を示した。 それは、非暴力による抵抗を表していた。 にも
関わらず、ソ連は3度に渡りブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとした。

1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、
そして犠牲者のための場所であると述べた。 2000年、フランシスコ会の修道院が
この丘の近くに完成した。 内部の装飾は、フランシスコの身体に聖痕が現れた
とされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連している。この丘は未だいずれの
管轄にも属していないため、自由に出入りし、十字架を建てることが出来る。

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