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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

キリスト教と仏教の違いキリスト教は判り易く仏教は難しい訳

2020年10月30日 | 仏教・親鸞聖人

 キリスト教と仏教の違いキリスト教は判り易く仏教は難しい訳

キリスト教の教祖であるイエスは30歳で教えを始め33歳の前半に処刑されているので3年半の教えである。仏教は釈迦(ブッダ)は35才から80才までの45年間の教えである。キリスト教の弟子の多くは漁師や農民の子達でした。だから聖書は1青年が一般の人を相手にした説教を骨子にして出来ています。仏教は80才で天寿を全うした釈迦と言う最高の知識人が当時の知識階級の人を相手に説法されたものを結集したものが骨子になっています。キリストは処女のマリア様から生まれたとあり生まれると同時に神であった。30才から病人や悪霊の付いた人を集めその治療を行い奇跡を起こしたと伝えられています。釈迦はインドのカピラ城主、浄飯王の長男として生まれられた,仏覚を覚られるまではシッタルタ太子と呼ばれていました、19才で国内一の麗人と結婚ヤショダラ姫との間に男子をもうけられた、御殿に住み栄耀栄華を尽くした方でした。その釈尊が、なお満足出来ない魂の叫びに驚き、29才突然一切の名誉・地位・財産・妻子を捨てて城を出て入山学道の人となられた。

『この世の一切の物は常住しないのだ、何れの日にか滅ぶのだ。歓楽つきて哀情多しと言われるではないか。快楽のカゲにも、無常の響きがこもっている、美女の奏でる弦歌は欲を以て人を惑わすのみだ、人生は苦悩に満ちている、焚火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごときものではないか。若きを愛すれど、やがて老いと病と死の為に壊れ去るものばかりである』

人生の実相を洞察された釈迦は常住不変の絶対の幸福とは何かそれこそが万人の希求するものではないかと、勤苦6年35才の12月遂に仏陀となられたのである。この45年間の教えが仏教である、『弥陀の本願を説く(大無量寿経)は一切の経典が滅する時が来ても残り、すべての人が真実の幸福に救済されるであろう』と予言されています。釈尊は仏覚を得られ先生である阿弥陀仏の本願(全ての人を絶対の幸福に掬い取ると言う広大な誓願)一つを教えられて居るのが仏教です。キリスト経は30才の青年が普通の人に教えられた単純に理解が出来る宗教であり、仏教は知識階級の人を相手に教えられたものであり、その教えを理解するにはキリスト教の方が一般人には入り易いのです、しかし理論上は仏教に勝る宗教は地球上には無いのです。         END

 


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