人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

羽地朝秀【4】

2020年07月10日 00時00分20秒 | 日記

  羽地朝秀は1666年国の最高職、摂政に任命される

薩摩藩の軍事による侵攻によって

 

薩摩・幕藩体制の中に組み込まれ

独立国家として意思決定が出来ない

 

その結果人々は生きる意欲が失われ

無気力、退廃的になり、人心は乱れ

 

その上中継交易も失われていた

激変する国際情勢に琉球は国として

 

機能を果たすことが出来ていなかった

政治は混迷し国全体が疲弊していった

 

このような状況下に羽地は摂政に任命されたのである

 

羽地は薩摩・幕藩体制の支配と言う現実を容認し

琉球国の主体的国家に維移、遂行の道を得るため

羽地は改革を断行する

 

まず国の行政機能の改革

摂政・三司官の会議を王府の最高機関と位置付けた

 

官人、人々の意識改革、価値観の育成

 

身分制度を厳格化するために

士族全てに系図を作らせ制度化した

 

身分は系図によって守られ

身分は系図によって継承し

この身分(家)によって王府に仕えるように制度にした

 

沖縄の門中制度は、この時期に始まったとされている

 

士族、役人に学問や算勘、謡(和歌・琉歌)

茶道、歌道、芸能などの習得を義務化された

日本や中国との外交上必要なものだった

 

沖縄の伝統芸能はこの時代に基礎が造られたと言われている

 

朝秀が特に力を入れたのが財政再建

 

王家と国民に至るまで贅沢の禁止

虚礼の廃止、不要な慣例などを改めた

 

琉球の政治は政教一致で行われていた

 

王府の祭祀、神事には多額の出資あった

祭祀、祭礼を縮小し簡素化をした

 

聞得大君を頂点とするノロ

神職組織を政治的影響力を排除した

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 羽地朝秀【3】 | トップ | 羽地朝秀【5】 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (いろはに踊る)
2020-07-12 10:13:23
拝読させていただきました。文中に年代を挿入していただくと全体的理解が得られます。できたらお願いします。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事