新ノ城 ノ記

人世の黄昏時 老いを心身ともに感じ

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羽地朝秀【1】

2020年06月25日 00時00分18秒 | 日記

  羽地朝秀とは、琉球国の政治家、歴史家として広く知られ

当時疲弊していた琉球を、大胆に種々の改革を断行し

国を蘇らせた人物

 

1609年薩摩藩の軍事による侵攻により

琉球は薩摩藩の付属国となり薩摩藩への貢納を負い

 

そして幕藩体制に組み込まれ、政治的独立を失う

 

朝貢関係にあった明王朝と薩摩藩との両属体制となった

 

対外的には独立国家として

なんとか琉球国体制を維持する事が出来ていた

 

琉球は東シナ海の中心にあって

地の利を生かしして明国や高麗、日本、東南アジア諸国との

中継交易によって琉球国として成り立っていた

 

その頃から西洋諸国のアジアへの進出や日本の開国

清国の解禁政策の緩和により清国の海商人は

次々と東南アジアへの進出していった

 

琉球の中継交易は急速に衰え国の経済は衰退していった

 

激変する国際情勢、グロバル化する世界

旧体制の琉球は国として機能を果たすことが出来なかった

 

政治は混迷し、それまでの価値観は崩れ

人心は乱れ無気力に成り国全体が疲弊し

だれもが危機感を抱いた

 

尚質王(1648~1668年)は疲弊している国を立て直すため

1666年に行政最高位摂政に羽地朝秀を任命した

 

朝秀は大和(薩摩)へ留学し三年の間に数々の学問を修めていた

帰国後、琉球国最初の国史中山世鑑(1650年)を編纂

 

政治・経済に精通していた羽地朝秀は大胆に数々の改革を断行する

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1 コメント

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Unknown (chiyo6213)
2020-06-26 10:41:58
羽地朝秀さん知りませんでした。ありがとうございます😊

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