本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

明智ガラシャCDデビュー

2020年05月14日 | 427年目からの挑戦
明智一族伝承の会も認め待ちわびた、明智の心を伝える歌姫『明智ガラシャ』満を持してのデビュー作(明智ガラシャ作詞・歌)。ガラシャの立場で父光秀への気持ちを歌った「光さすとき」も子孫としての心を歌った「継がれゆくとき」も思いのこもった歌詞を切々と歌う歌声で心に響きます。一刻も早く皆様にお聴かせしたいのですが、発売日は4月25日です。amazonでも販売しています。
 時代を越えた 明智の心、 継承されていく想い、 2020年大河『麒麟がくる! 』を目前に、辛い時代を耐え忍んで語り継がれてきた明智一族の様々な想いが詰まった大切な曲ができました。

<PROFILE>
 「明石朔夜」名義で2015年より歌手活動。2016年1月にCDデビュー。
東京、栃木、宮城などでデビュー以来300本以上のライブ活動を行ってきた。 幼き頃より明智光秀の子孫と伝えられて成長。 近年自分のルーツに興味を持ち 家系を調べるようになった時 明智継承会(明智一族伝承の会)を知る。 その後、主宰である歴史研究家明智憲三郎氏に連絡を取り、2018年5月明智一族伝承の会会員に認定される。
 2018年12月明智一族伝承の会で歌を披露したところ好評をうけ明智憲三郎氏より「是非明智一族の心を歌ってほしい」と要望があり 「明智ガラシャ」という名前でデビューすることになる。
 2019年4月「明智ガラシャ」名義でCDデビュー。
 >>> amazon「明智ガラシャ」のページ
 >>> amazon「光さすとき」のページ
 >>> 楽天ブックス「光さすとき」のページ
 >>>e-hon「光さすとき」のページ
 税込み1000円。


>>> 明智ガラシャの公式ホームページ

 >>> YouTube配信中:光さすとき/明智ガラシャ

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「光さすとき」 明智ガラシャ作詞・歌

【歌に込めた想い】
 『光さすとき』は当時のガラシャの視点で描かれた曲です。
ガラシャの心情はどんなものだったんだろう、当時の女性はどんな立場にあったのだろう
と想像を膨らませて作詞しました。
今も当時も変わらず人生というのはままならないもので
手の届く距離というのはほんの小さな距離だけなのかもしれません。
ガラシャの強さとその反面女性らしい心の葛藤を感じていただけたらと思います。
【歌詞】
どうしてこんなに運命はふらふらと波間に浮かぶ木葉のようで
光浴びてきらきら輝くその時待っていたはずでしょ
誇りある人たれ貴方は言った 花も花なれ人も人なれ
味土野からみる景色はまるでとき止めたように
心から祈ることが今できる事と知って
光さすその先には君の待つときがあった
どうして貴方は今どこに
連理の枝とも比翼の鳥とも皆口にせずとも憧れてた
いつかそんな人に出会えたならどんなに幸せなことだろう
いつか穏やかなときがくるはず 貴方の背負うものとても多くて
美濃で始まる旅路は近江で花を咲かせ
丹波でできた絆はいつまでも残ります
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
大義なきことならばするべからず 物事にはいつも理由があるから
途切れぬ流れのようにいつの日にか巡りあい
誇りある生き方をそのときにできるように
光さすその先には君の待つときがあった
信じてる貴方のその背中を
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継がれゆくとき/明智ガラシャ作詞・歌

【歌に込めた想い】
『継がれゆくとき』は代々継がれていった伝承とそれを伝えていく人の心を歌った歌です。
伝承というのは大体の場合証拠と呼べるようなものはないのです。
誰が見ても間違いない証拠があるというのはとても危険なことだからです(謀反人の子孫として摘発されたりするので)。
そして人の目は怖いです。それはきっといつの時代も同じことだと思います。
なのに、なのに語り継いできたのです。良いことではないのに。
それでもいつからかおとぎ話のようなそれを信じたい自分がいて
本当のことを知りたいという気持ちが抑えられなくなってくるのです。
この先もずっと途切れないように歌っていきたいです。

【歌詞】
教えてほしいとせがむ 私を膝にのせて 楽しそうに話すから
すぐ好きになって もっと知りたくなった
内緒話こっそり聞いた 特別な夜
ずっと途切れず伝えてきたんだ何年たっても
きっと同じでおじいちゃんもこっそり聞いてなにか感じたんだ
長い休みがくる度に 田舎の家に帰った 話をして過ごす日が
だいすきだった もう誰もいないけど
本当のことを知りたくなった ときを越えてく
ずっと途切れず伝えてきたのはどうしてだろう
でもねわかるよなんとなくきっと繋がって今も変わらないで
継がれていった言葉たちは四〇〇年のときを越えて
ずっと途切れず伝えてきたんだ何年たっても
でもねわかるよなんとなくきっと繋がって私のときがくる
伝える かならず 継がれゆくときを

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 なお、本人は香川県丸亀市垂水村に逃れてきた明智一族と伝わっています。これに関連する情報をお持ちの方は下記宛にお知らせください。
 〒221-0822 横浜市神奈川区西神奈川1-13-12西神奈川アーバンビル6F
 ウィズスクエア横浜内 「歴史工房 明智憲三郎」事務所
 TEL 045-317-3450
 FAX 045-410-0796

 明智光秀の娘ガラシャは明治時代以降、「細川ガラシャ」と通称されていますが、ガラシャや光秀の生きていた時代は夫婦別姓であり「細川ガラシャ」とは呼ばれていませんでした。「散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」と辞世の句に「土岐氏の誇りを抱いて死んでいく」と詠んだ本人の思いも込めて「明智ガラシャ」という芸名を名乗っています。
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問 信長は中国(明)を攻めようとしていたのか?
 当時、日本に来ていたイエズス会宣教師の報告書にそう書かれています。「信長は毛利に勝利したら、一大艦隊を編成して明へ攻めこむ考えである」と。日本国内にはそう書いた史料が存在していないのですが、十年後に豊臣秀吉が唐入り(中国侵攻)の準備を始める際に、イエズス会に対して東シナ海を渡れる軍船とその操縦のできる航海士の提供を求めたことから考えると、信長の唐入りの意思がイエズス会のみに伝わったのも同じ理由からだと気付くでしょう。当時の日本にはそのような大型の軍船も航海士も存在しなかったのです。
 秀吉の唐入りの目的をイエズス会宣教師は「天下を統一して国内に新たな土地が無くなったので、家臣に与える土地を中国で確保するため」であるが、「これは表向きの目的で、本当の狙いは国内に置いておくと将来危険な人物を国外へ放逐するため」と分析しています。これは信長も同じだったでしょう。天下をとるような人物(天下人)は他人よりもはるかに先を読んで手を打っていたのです。
 イエズス会宣教師は秀吉の唐入りのニュースが伝わると日本中がパニックに陥ったと書いています。見も知らない国へ攻め込むのは死に行くようなものだと考え、きっと有力な武将が謀反を起こすとか、各地で謀反が起きるといった噂が乱れ飛んだとのことです。イエズス会宣教師が「謀反」という言葉を書いた事案はこれだけです。明智光秀が信長の唐入りを知ったら、どう考えたでしょう。当時の光秀の立場に立って考えてみてください。

問 信長はどうして家康を討とうとしたのか?
 戦国武将は自分の一族の生き残りを自分の責任として、その責任を果たすために最善を尽くして必死に生きていました。信長にとっては、その行きつく先が天下統一であり、唐入りだったのです。彼らが責任を負っていたのは自分一代のみのことではなく、子や孫や子孫代々への責任をも負っていました。
このことは先祖や子孫への感性が薄れた現代人にはピンと来ないことかもしれません。平家物語の描く悲劇は平清盛が自分一代で栄華を極めながら、自分の死後に一族滅亡をもたらしたことでした。琵琶法師の語る平家物語の悲劇を通じて、「平清盛の轍を踏むな!」が戦国武将の心に深く刻まれていました。
 そうならないように自分が生きている間に最善の手を打っておくことが天下人に求められていました。秦の始皇帝や豊臣秀吉は自分の死後に家臣によって子を殺されて天下を奪われました。彼らは明かに失敗したのです。
 一方、漢の国を建てた劉邦(高祖)は天下を取るとそれまで自分を支えてきた重臣を次々と殺して、四百年続く漢王朝の基礎を作り上げました。徳川家康も豊臣家を滅ぼして徳川の長期政権を築きました。彼らの所業は非情なものでしたが、天下人としては見事に成功したのです。
 このような武将の考え方を理解して歴史を見直すと、武将もずいぶん変わって見えてくると思います。父親の代から織田家と敵対し、祖父も父も信長の父の謀略で殺されたと考えている家康は何を考えたか、そのような家康を信長はどう見たか。彼らの立場に立って、考えてみてください。

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