2020年03月27日

コロナ禍

ずっと、このブログを読んでいる方は大抵理解してくれていると思うのですが、
初めてこのブログをご覧になる方に。

私は若い頃2〜30年香港に住んでいました。2002年のSARSも香港で体験しました。
本当に大変悲しい体験でした。沢山の方が亡くなり、沢山の家族が残されてしまいました。
大切な両親を亡くした小さな子供達もいました。

当時、子供達2人を連れて沖縄へ避難する様に主人に言われたのですが、他の人達を置いて行けず、香港に残りました。

私の子供達は幼く、小学生と中学生でした。
私の記憶では2〜3か月休校になりました。
勉強が遅れるとか、そう言う心配をする人はいなかったと思います。命の方が大切ですから。

主人は、出張先の東京でホテルで10日間自主隔離をした後、ずっと香港に戻らず仕事をしていました。
中国で働いていた知人は、同様に香港に戻らず中国でずっと働き続けました。

収束するのに、半年程かかったような記憶があります。皆辛い時を乗り越えました。

当時、幸いにも日本に住んでいる人達には、余り被害が無くて、中国で働く日本人が日本へ戻らず、命がけで仕事を繋いだと聞きました。

全員日本へ帰国してしまうと、中国での生産が止まってしまい、波及してしまいますから。

当時、中国香港へ残り、生産をし続けて日本の経済、会社を守った人達は、戦士の様だと思いました。
そこら辺は、日本に住む方は知らない事だと思います。

今回のコロナ禍、まるでSARSの再来。
幸か不幸か、香港の人達は体験しているので、しっかりと対応しています。

下の写真が3月19日から香港へ入境した人達に強制的に装着されるGPSベルトです。
2週間の自宅隔離を確実に管理する為の物です。

自宅を離れると、警察が来て保護されるそうです。
それくらいの緊張感を持ちコロナ禍を乗り切ろうと必死になっています。

県内で、休校中にスペインへ家族旅行して感染した家族が出た事がショックでした。せっかく感染者数3人で抑えていたのに、これから増えて仕舞うかも知れません。
そんな事になったら沖縄の経済は更に落ち込んでしまうのでしょうか。

経済は、落ち込んだら立て直せるけど、罹患して亡くなる人達が出て来たら、もう家族の元へは戻って来てくれません。

日本の行政の対応を見ていて、色々思う事があったのですが、余計な事は言わずにおこう、沈黙は金。
そう思ってた。

でも、長びくコロナ禍の中、出来るだけ体験した人間が発信する事は大切な事に思えて来ました。

コロナ禍


https://www.cnbc.com/amp/2020/03/18/hong-kong-uses-electronic-wristbands-to-enforce-coronavirus-quarantine.html


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Posted by ラ・シャンテ・ブリュー at 23:37│Comments(0)てくてく香港
 
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