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1560年-1580年メディチ家としての初代トスカーナ大公コジモ1世があちこちに散らばっていた官庁を一か所に集約するためにヴァザーリに設計させた建物です。ウフィツィとはオフィースのイタリア語だそう。

コの字型で内側がロッジアでしたが現在はグロテスク文様の天井のある廊下になっています。ヴェッキオ宮、ピッティ宮とつながっています。

メディチ家のコレクションを集約したもので、コジモ1世の子フランチェスコ1世が3階のロッジアを窓で塞ぎ廊下にし、八角形の部屋”トリブーナ”を増築し15世紀絵画、古代彫刻、メディチ家の肖像画を展示、1590年に公開、現代的な展示の美術館としては世界最古なのだそうです。


メディチ家最後の相続人アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチは美術品がフィレンツェにとどまることを条件に遺言でトスカーナ政府に寄付、トスカーナ大公位はマリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンがロレーヌ大公位を手放したのと引き換えに相続しました。フランツ=ヨーゼフ皇帝の三女マリー・ヴァレリーのお婿さんがトスカーナ大公なので形骸化してもトスカーナ大公位は続いていたようです。


3階の回廊

トリブーナ

ヴァザーリの回廊。アルノ川にかかるヴェッキオ橋の上部を通りピッティ宮に至ります。ピッティ宮から外に出ず官庁に移動するために作らせた長さ1kmの秘密の回廊で絵画も展示されています。要予約で公開されています。私の行った時は非公開でした。ヴィジェ・ルブランの自画像があるので見たかったのですが。

細密画の間

植物棚のある天井。フランチェスコ1世と最初の妻ハプスブルグ家の皇女ジョヴァンナ・ダズブルゴ、2番目の妻ビアンカ・カッペロの紋章があります。

その下にフランス王妃マリー・ド・メディシスの肖像画

トスカーナ大公フランチェスコ1世の娘でアンリ4世王妃。メディチ家からの二人目のフランス王妃。

回廊の角には彫刻があります。

ヴァチカン美術館のラオコーンに似ているように思いました。

 

ボッティチェッリはヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁のフレスコ画がありますが、あまりローマで彼の作品は見なかったように思いますがここにはたっぷりありました。

 

ボッティチェッリ「ビーナス誕生」1484年

ロレンツォ豪華王の従弟ジョヴァンニ・デ・メディチのカステッロの別荘に飾られていたのをヴァザーリが見て記録しているので彼かその兄ロレンツォの依頼で描かれたとされています。ロレンツォ豪華王の時代の新プラトン主義の傾向からうまれた絵画で難解な哲学思想が潜んでいるそうです。

生まれたばかりのヴィーナスは古代彫刻の定型”慎み深いヴィーナス”のポーズをしています。春を呼ぶ西風の神ゼピュロスが風を吹き、その妻春の女神フローラが薔薇をまき散らしてヴィーナスの乗る貝殻をギプロス島に上陸させようとしています。陸地にいる時の女神ホーラは花の刺繍のあるマントをヴィーナスに差し出しています。布にテンペラ絵の具で描かれたため透明感があります。

 

ボッティチェッリ「プリマヴェーラ」1481年

1498年の記録でロレンツォとジョバンニ・ピエルフランチェスコ・ディ・デ・メディチのラルガ通りの邸宅の長椅子の背もたれとして飾られてたと残っています。1482年ロレンツォ・ピエルフランチェスコ・ディ・デ・メディチとセミラミデ・アッピアー二の婚礼を祝ったものでロレンツォ豪華王からの結婚祝いだと図録にはあります。セミラミデはジュリアーノ・デ・メディチの恋人であった絶世の美女シモネッタ・ヴェスプッチの姪です。

右端青白い西風の神ゼピュロスがニンフのクローリスをさらおうとしていて、ゼピュロスに触れられたクローリスは口から花を出し花の女神フローラに変身しようとしています。その隣には変身し終わったフローラがいてヴィーナス、手を取り合って踊る三美神、背を向ける伝令神メリクリウス、上部では目隠ししたエロスが三美神の1人を恋の矢で狙っています。ヴィーナスは彼女の庭であるメディチ家を象徴するオレンジ園に立っています。

 

「春」のヴィーナスは地上のヴィーナスで伝令神メリクリウス=人間の理性が背を向けていて、豪華に着飾っていて、「ヴィーナス誕生」のヴィーナスは天上のヴィーナスで父ウラヌスの男性器が海に落ちて誕生しており母がない、裸、体重を持たない(この姿勢では人は立っていられないので貝の上に立っていない)=神聖な存在、描かれていると学びましたが今でも理解できません。

 

ボッティチェッリ「パラスとケンタウロス」1482年

ロレンツォとジョバンニ・ピエルフランチェスコ・ディ・デ・メディチ兄弟のラルガ通りの邸宅にプリマヴェーラと同じ部屋に飾られていたことがジョバンニの財産目録に記されています。若い女性がケンタウロスの髪をつかんでいる意味は解明されていないそうですが女性のドレスに描かれた3つ重なったダイヤモンドの指輪の紋章は”敬神”を意味し老コジモ、ロレンツォ豪華王が個人的に使用したそうです。ロレンツォ豪華王が父親を早くになくし一緒に暮らしていた1482年ロレンツォ・ピエルフランチェスコの結婚祝いに贈ったものではないかと推測されています。


ボッティチェッリ「誹謗」

ロレンツォの死後追放されたメディチ家に変わりフィレンツェを支配したサヴォナローラに晩年のボッティチェッリは心酔しそのころ描かれた作品で盛期ルネッサンスの甘美さをなくした硬い瞑想的な作品です。

擬人像だらけで画面中央青い服の”誹謗”が左手に松明を持ち右手で”無実”の髪を引きずっています。”憎悪”が誹謗の腕をつかみ”不正”に手を伸ばして、”欺瞞””嫉妬”が誹謗の髪を整え、。画面右側にロバの耳をした”不正”の両端で”猜疑””無知が”耳打ちし、”無実”を断罪しています。画面左側裸の”真実”が天を指さし”後悔”が黒衣で振り返っています。ニッチの彫像までも意味ありげなポーズをしていて不気味です。


ボッティチェッリ「ザクロの聖母」1487年

ヴェッキオ宮の審理の間のために製作されました。同時期にジュリアーノ・ダ・サンガッロが製作した額縁は青地の上の金で百合の紋章の彫刻はフランスとの同盟関係を象徴しています。憂いに沈んだ表情の聖母が幼子と共に受難の象徴ザクロをもっています。百合、薔薇、左端の天使の飾り帯の受胎告知の言葉「あふれる恵みよ」など聖母の純潔や慈悲深さを示すシンボルがあります。

 

ボッティチェッリ「マニィフィカトの聖母1483年」

2人の天使が支える祈祷書でキリストが指さしている部分「MAGNIFICANT ANIMA MEA」(我魂は主を讃える)からとられています。ザカリアの妻エリザベツが後にフィレンツェの守護聖人洗礼者ヨハネを妊娠中に聖母が訪問して神に捧げ歌った頌歌です。左ページにも洗礼者ヨハネの誕生を預言したザカリアの言葉があります。マリアは祈祷書を書き終えようとしていてインク壺にペンを浸し、左手で幼子と一緒に天国の果実、復活もしくは受難の象徴ざくろを持っています。天使たちが聖母に金刺繍のついたベール付きの王冠を戴冠しようとしています。天使たちの服装がイタリアの若者のようです。


ボッティチェッリ「東方三博士の礼拝」1490-1500年

未完成の作品で背景や岩の多い風景が色付けされていません。フィレンツェではこの題材でのいろんな人を描きこむの多いですよね。


ボッティチェッリ「若い男の肖像」

コジモ・デ・メディチの横顔と”偉大なるコジモ、建国の父”と鋳造されたメダルを持った若者が誰かはわかっていません。


ボッティチェッリ「チェステッロの受胎告知」1489年

両替商ベネデット・ディ・セル・フランチェスコ・グアルディの依頼で後援しているチェステッロ修道院のために描かれました。額縁下側に彼の紋章があります。簡素な想像上のフランドル風の風景が見える透視画法で部屋が描かれています。部屋に降り立ったばかりの百合を持ったガブリエルが高揚した様子で受胎を告げ聖母は倒れこみそうになっているので動揺しているのかと思いきや無表情で受け入れているようです。


ボッティチェッリ「受胎告知」1481年

サン・マルティーノ・アラスカーラ修道院の壁画として描かれた作品。聖母に受胎を告げる場面ですが、当時の貴族の邸宅の様子で描かれています。ボッティチェッリがローマに出発する前年に描かれてました。ガブリエルがまだ飛んできている最中ですがマリアはすでに受け入れている様子です。


ボッティチェッリ「バラ園の聖母」1470年ごろ

見事な透視画法で描かれたアーチと大理石の床に座す聖母。背後にピンクの薔薇のある庭園が見えておりこの名がついています。フィレンツェの商工会議所のために描かれました。

 

ボッティチェッリ「聖母子とアレクサンドリアの聖カタリナ、聖アウグスティヌス、聖バルナバ、洗礼者ヨハネ、アンティオキアの聖イグナチオ、大天使ミカエル」1487年

聖会話の形式で同時代でない聖人たちを描いています。天使が聖人たちに聖母子がよく見えるよう天蓋のカーテンを上げています。


ボッティチェッリ「聖母子と燭天使」1470年


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