といえば
思い出すのが
釈宗演禅師

明治・大正時代に
活躍した禅僧です。


日本人の僧として初めて
「禅」を
「ZEN」
として西洋社会に伝えた禅師として有名です。

29歳の時に
セイロン(スリランカ)、インド、中国など
アジア各国に留学した経験を持ちます。

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釈宗演禅師は、
セイロンに渡って仏教の原典を学びに行きました。

ところが
セイロンでは
思ったような成果が上げられませんでした。

そこで
その帰りにシャム国(タイ)に寄港し
戒律を受けることを計画しました。


セイロンからタイに行く船では、
すでに旅費も尽きかけていて、
船に乗っても部屋を払うお金はなく
甲板の上で昼夜を過ごす扱いでした。

船は、
タイ・バンコクのメナム河の河口で
低潮のために停泊することになりました。


その日は
天候がどんよりとして、
蒸し暑い状態でした。

宗演禅師が甲板で休息している時に
無数の蚊の群れが
禅師を襲ってきました。



禅師は、
船室に入れないので
甲板の上で、逃れようもなく
蚊の大群に襲われ続けました。



どうやっても避けようがない窮地に追い込まれた禅師は
ある決意をしました。

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禅師は、
修行した身でありながら、蚊ごときで心乱されるとは何事か
と自分を戒めました。

そして
「よい、この無数の蚊たちがお腹いっぱいになるまで、自分の血を施してあげよう。」
と決めたのです。

今日まで、
自分は幼少の頃に出家して以来、何の孝行も出来ていない。
そんな思いから、せめて蚊には役立とうと決めたのです。


禅師は、意を決して、
甲板の上で裸になって、
坐禅をしながら
蚊を向かい入れたのです。



蚊の大群は、禅師の全身に群がりました。
(((( ;゚д゚)))



禅師は
全身を蚊に刺され続けながらも

しだいに

蚊と自分と相和していき、

無我の境地へと入っていきました。







そして
そのまま

禅師は

初めて
悟りの境地に入ったのです。






心頭滅却した心地よい境地の中にいた時
雷が大きく鳴り響き、
スコールが勢いよく降ってきました。

禅師の全身がスコールによって滝のように水が流れました。

坐禅を終えて、
当たりを見回すと、
禅師の周囲には
血をお腹いっぱいに吸ったまま死んだ蚊の群れが一面に落ちていたそうです。



禅師は、
このような自分ではどうにもならない状況の中で
逆境から逃げることなく
意を決して坐禅することで、
悟りに達することができたのでした。




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