明日、2019年10月22日は今度の天皇が即位したということで、国事行為として即位の礼が行われるのですが、11月10日の記念パレードでは、私の新事務所の前の大通りを天皇夫妻が通るらしくて、もう今から厳戒態勢。
ちょうど間が悪く、その時間帯に新しく作る法人の理事会をやることになっているのですが、何か手荷物を持っているだけでいきなり開けさせられるらしくて、ほんとにいい迷惑です(てか、開けたくないといってるのに警察官に開けられたら違法なのだが、めんどくさくてそんな争いをする気になれない)。
さて、下の産経新聞記事が典型的なように、ワイドショーでも即位の礼はものすごい歴史があるみたいに言っていますが、今回の形式が決められたのは明治時代の登極令制定からです。
歴史を紐解くと、錦の御旗という言葉があるように、薩長連合が徳川幕府を倒すために天皇の権威を利用しようとした。
しかし、250年以上も徳川時代が続いていたので、京都の天皇なんて忘れられた存在で権威がない。
そこで、あの手この手で天皇の権威を上げるために、たとえば神道を作り直して庶民の身近な権威であるお稲荷さんら八百万の神々まで、天皇の皇祖である天照大神に従っていて、お稲荷さんなんかは序列が下の神なんだという体系をでっち上げたわけです。
これがのちに国家神道となり、日清日露戦争、アジア太平洋戦争を可能にします。
右にあるのが皇后の入る御帳台ですが、高御座と比べると大きさの違いが歴然!
こんな男女差別もアナクロニズムとしかいいようがありません。
明治になってから富国強兵を進めるためにも天皇の権威は大いに利用されました。その一環が天皇の代替わり儀式を大々的に行う登極令であって、昔からあんな大仰な儀式をしていたわけでは全くありません。
そして、奈良時代から使用されてきた(わけがないが)という触れ込みの高御座(たかみくら。実は大正時代に作られた)から、今回も天皇が国民代表である内閣総理大臣以下の閣僚、国会議員、都道府県知事らを見下ろして、即位を宣明し、総理大臣が万歳三唱するという、憲法の国民主権原理から見たら噴飯物の儀式が展開します。
憲法1条では、天皇の地位は国民の総意に基づくってなってるのに、天皇の地位が承継されるアイテムが剣璽、ってのがもうおかしい。
そこに外国からの賓客を迎えているのも、神社神道的には八紘一宇の精神の表れです。天皇が他の民族も見下ろす的な。
だいたい、憲法学上、象徴にすぎず政治的権能を持たない天皇は元首ではなく、国民が選挙で選んだ国民代表たる国会議員が選んだ内閣総理大臣が元首です。
その象徴が代替わりするというだけで、100億円単位のお金を使って、高御座の天皇を元首たる内閣総理大臣が見上げて万歳万歳するだなんて、およそ時代錯誤で、憲法上許されないことです。
憲法裁判所がないので、即位礼の違憲性を直接争う裁判形式がなく、だから違憲訴訟がしにくく、勝ちにくいだけです。
また、前の天皇も今の天皇も、何か災害があると被災者のところに行って優しい言葉をかける素晴らしい人だみたいな物語になっていますが、時価何兆円するかわからない国民の財産(皇居)に数人で独占的に住んで、代が変わるたびにめちゃめちゃお金を使うのですから、ありがたがっている国民は戦前とまったくマインドの進歩がないとしか言いようがありません。
そのうえ、大嘗祭ときたら、皇室神道に基づく秘儀で完全な宗教儀式です。
これに公費が使われるのは日本国憲法の政教分離原則の明文に真っ向から反します。
つまり、天皇の代替わり儀式は憲法違反のオンパレードなわけです。
『第二十条 三項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。』
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即位礼と大嘗祭は違憲と提訴へ
120人が東京地裁に
©一般社団法人共同通信社
来年催される新天皇の「即位の礼」や皇位継承の重要儀式「大嘗祭」などは、憲法が定める政教分離と国民主権の原則に反するとして、全国の少なくとも約120人が、国に儀式への公金支出の差し止めを求め、東京地裁に提訴することが8日、関係者への取材で分かった。提訴は12月上旬を目指している。
昭和から平成の代替わり儀式を巡っても、違憲性を問う訴訟が各地で相次いだが、原告側の代理人によると、来年の天皇代替わりに伴う儀式を巡る違憲訴訟は、今回が初めてとみられる。
原告は、安倍晋三首相の靖国神社参拝などの違憲訴訟に関わってきた市民やキリスト教、仏教などの宗教関係者ら。
皇室の伝統 最新技術でみせる
上皇さまの譲位により、5月1日に第126代天皇に即位された天皇陛下。即位当日にも儀式はあったが、皇位継承から約半年を経て、いよいよ即位礼正殿の儀に臨まれる。儀式は、皇室の伝統に根ざしながら、現代的な工夫も取り入れられて挙行される。
儀式が行われるのは宮殿で最も格式の高い「松の間」。
束帯や十二単(ひとえ)を着用した皇族方が並ばれ、三権の長らも定められた位置につくと、午後1時、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に身を包んだ陛下が、歴代天皇に伝わる三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印章「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」とともに、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座に昇段される。
続いて、十二単姿の皇后さまも「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる御座に昇られる。
陛下が高御座から即位を宣言する「お言葉」を述べられた後、安倍晋三首相がお祝いの「寿詞(よごと)」を述べて万歳三唱し、参列者も唱和。儀式は約30分で終了する。
宮殿内には、約2千人の賓客が両陛下の姿を見られるように、大小のモニター30台が設置される。モニターは薄型となり、平成のときより15台増えた。
宮内庁幹部は「最新の映像技術で、両陛下の姿を詳しくみてもらいたい」と話している。
漆芸、金工…匠の技輝く高御座
即位礼正殿の儀で、陛下が昇られる高御座は、遅くとも奈良時代から即位式で使われていたとされる。平安以降の資料や江戸時代の絵図が残っており、明治42年に制定された「登極令(とうきょくれい)」の附式には高御座の形状が詳しく規定された。現在のものは、皇后さまの「御帳台」とともに、大正2年に復元されたものだ。
天蓋(てんがい)もある高御座の高さは約6・5メートル、重さ約8トン。御帳台とあわせて、約3千の部品からなる。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)が描かれた台座の上に、八角形の床板を2段に重ね、周囲を朱色の欄干(らんかん)がめぐらされている。八角形の天蓋の頂上と外周に飾られた計9羽の鳳凰が金色に輝く。
平成の即位の礼の後、宮内庁は高御座と御帳台を解体して、京都御所の紫宸殿で保管してきたが、昨年9月、再び京都から皇居内へ陸送。前回から約30年が経過し、漆塗りの木材は色あせ、金具にも劣化が見られたため、宮内庁は希少な国産漆や純度の高い金箔(きんぱく)を用いて修復。改めて松の間に組み立てられたものは、鏡のような光沢を放つまでに仕上がった。
高御座をめぐっては、天孫降臨神話を想起させるという理由から、国事行為の即位礼正殿の儀に使うことに批判的な声も一部にある。平成の際には過激派の攻撃対象となり、京都から皇居への輸送に陸上自衛隊のヘリが使われた。
だが、高御座は皇室の伝統文化に根ざした調度品でもある。修復には国内トップ級の職人らが携わり、漆芸や金工など伝統工芸を継承する機会にもなっている。
皇族方、お立場で異なる装束
5月の皇位継承儀式が洋装だったのに対し、即位礼正殿の儀では天皇、皇后両陛下、多くの皇族方が束帯、十二単という平安調の装束姿で臨まれる。お立場により生地の色に違いがあることも見どころの一つだ。
天皇陛下の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、平安時代、嵯峨天皇が天子の御服と定めて以来、天皇のみが着用できる色の装束として伝わってきた。即位礼正殿の儀だけでなく、宮中祭祀(さいし)でも身につけられる。頭にかぶられる「立纓(りゅうえい)の御冠(おんかんむり)」も天皇を象徴する冠だ。
皇嗣(こうし)秋篠宮さまは皇太子の装束である「黄丹袍(おうにのほう)」を着用される。「昇る朝日の色」ともいわれ、儀式では陛下から譲り受けた歴代皇太子に伝わる「豊後国行平御太刀(ぶんごのくにゆきひらおんたち)」を携えられる。
そのほか、宮内庁幹部や中庭に整列する職員らも古装束を身につける。
こうした和様装束を天皇が即位式で着用するようになったのは、実は比較的新しく、明治天皇以降のことだ。江戸時代までの長い期間、即位式は中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていたため、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠が用いられていた。
皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏(77)は「束帯や十二単は日本の風土に合わせて発展してきた独自の装束。王政復古を目指した明治維新を機に中国風から和風装束となったのは長い皇室の歴史の中でも大変革だった」と話す。
また、今回は高齢の皇族方に配慮して、洋装も可能とする柔軟な対応が取られた。
荘厳・壮麗 儀式彩る「和の色」
「式全体が荘厳に行われ、特にカラーコンビネーションがすばらしく壮麗であった」
平成の即位礼正殿の儀に招かれたデンマークのマルグレーテ女王夫妻が当時、そう語ったように、儀式は威容と厳粛さを醸し出す調度品や参列者で彩られる。
中庭に並ぶ、「旛(ばん)」と呼ばれるのぼり旗は奈良時代には朝廷の儀式に用いられたとされ、装束と同様、中国風のものが長く使われた。江戸時代の即位式を描いた絵図には、青龍、白虎などの四神の旛も見られたが、明治以降は姿を消し、日本風に改められた。
中央に2本掲げられる最も大きい「萬歳(ばんざい)旛」には、時の首相が揮毫(きごう)した「萬歳」の文字が刺繍(ししゅう)される。平成では海部俊樹首相が、今回は安倍晋三首相が担当した。
金糸で太陽を刺繍した赤地錦の旛と、銀糸で月を刺繍した白地錦の旛の他に、皇室を象徴する菊花章の入った大錦旛2本と、五色(青・黄・赤・白・紫)の中錦旛、小錦旛が左右に林立する。
庭上には、装束姿の職員が総勢78人控える。ひときわ威厳を放つのは、帯剣し弓矢を持った武官装束の「威儀(いぎ)の者」だ。束帯に身を包んだ文官姿の職員も「太刀」や「桙(ほこ)」「楯(たて)」などを捧持する。これらの役は宮内庁や内閣府などの職員が担当する。
参列者に起立、着席や敬礼の合図を送る伝統楽器「鉦(しょう)」や「鼓(こ)」が左右に6基ずつ飾られる。扱うのは宮内庁で雅楽を伝える楽部の職員だ。皇宮警察官も刀を携え、弓をもった「衛門(えもん)」の役目を担う。
職員の装束も黒のほかに、赤系の緋(ひ)色、青系の縹(はなだ)色と3種あり、旛とともに庭上を美しく彩る。
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やくざとカネでつながっていたり、詐欺を働く程度なら、警備には影響ないかもしれないけれど、傷害や殺人となればもう何をしでかすかわかりません。
手荷物検査と称して、金品の窃盗や個人情報の詐取、詐欺の準備が行われるかもしれません。
庶民は、東京に犯罪者集団が総結集した、ぐらいに思っていた方がいいのではないですか。
そして今回の件は天皇の政治利用、つまり安倍政権の数々のスキャンダルを、天皇の即位でごまかそうということでしょう。
ところで、この日に合わせて各国から要人が来ているということですが、中国は王岐山国家副主席、そして韓国でさえ李洛淵首相が参列するのに、友好国のはずのアメリカ様からはチャオ運輸長官が式典に参列するそうです。
アメリカ様から見れば日々踏みつけている属国の一行事でしかないのでしょう。シンゾー君にとっては来ないよりはましですか。
所詮はその程度の出来事ということでしょうね。
ところで、警備に全国からやってくる警察官の皆さん、災害による行方不明者の捜索はもう終わったのでしょうか。
もう、災害は起きませんか?
天皇制の問題に切り込んだ話をする人がめっきり少なくなってしまっているなか、有名ブログによる忖度のない貴重な記事だと思います。
天皇制の問題を言うと、人権において、「天皇」(および皇室)と「国民」との、あるいは「何人も」との、二重、あるいは三重の基準が実は日本国憲法にはその原罪としてあるということも忘れてはならないと思います。そういう意味で私は改憲論者です。
私達の達は公達の達と同じ尊敬語です。主権在民からするとピッタリ。
ただし、耳障りな日本語ではあります。ま、目くじらたてるのは、国語に詳しい真性右翼くらいでしょうけど。
旧皇室典範では「即位は京都で」となっていたそうで、東京で即位は、日本国憲法下になってからの話です。
※尊敬語:文科省が用語変えたかも。
※「耳障りの良い」という耳障りな日本語も時々。
→ おお!
お仕事、順調みたいですね!
バードもうれしいです。
更新が間遠なのは 仕事が忙しいからなのか、心身の具合が悪いからなのか不明でしたが、前者と判明したので、安心しました。
> ちょうど間が悪く・・・何か手荷物を持っているだけでいきなり開けさせられる・・・(開けたくないといってるのに警察官に開けられたら違法なのだが、めんどくさくてそんな争いをする気になれない)
→ 管理人様!
私のような者が言うのもなんですが、小さな 真っ当な闘争を疎かにしてはならないと思いますよ。
徹底的に闘って欲すい〜
みんなが
「それは違法だ」
「手荷物検査の強要の根拠は何だ?!」
「ケーサツ呼んでこい!」?
と 抵抗すれば、少しはこのイヌ達も考えるであろう。
嘘と妄想と歪曲で作り上げた国家神道に乗っかった天皇制 および天皇家の行事を、国の予算で行うことに大反対death!
日本における あらゆる差別の根源は、天皇制(と国家神道)にあるように思います。
特に今は、国家神道とアナクロな明治憲法への復古主義に基づく危険な極右カルト団体「日本会議」 および その関係団体(国会議員神道懇話会など)に所属する自民党議員が非常に多く、閣僚については8割以上だったと思います。
前と今の天皇は平和主義者のようですが、これも周りの教育の賜物で、日本会議みたいなのが教育係になれば、また昭和天皇のように 好戦的に育ちますよ。
しかも天皇は日本国憲法と相容れない、矛盾した存在であることは確かでしょう。
なんであの人らは超高額な生活費を貰って、都心の一等地に住み、その行動のいちいちを敬語で報道されるのか、さっぱりわからん。
逆に彼らからすれば、特に長男は、皇位継承を放棄する選択も許されない(だろう)。
なんとか上手く天皇制を廃止する方法はないのですかね?
ただ、天皇制を廃止したら、きっとアベとかアソーとかが、玉座にふんぞり返るような気がする。
テレビのコメンテーターの臣民らしい話し方から、安倍の祝辞及び「天皇陛下万歳」までを観るに、戦前からの日本国民の臣民意識は依然変わりなくということですか(呆)
大体、日本国民なら天皇および皇室を自然に崇拝•敬愛するものだという価値観(同時にそうでないものを非国民とする価値観)そのものが民主主義を衰退させていることに右から左まで気付けないのだから、選挙制度も日本国民にとっては所詮、皇室の方々からお譲りいただいた「民主主義ごっこ」でしかないのでしょう。
私の感想も大体記事に同意ですが、まあ、それでも宮武さんの
「右にあるのが皇后の入る御帳台ですが、高御座と比べると大きさの違いが歴然!
こんな男女差別もアナクロニズムとしかいいようがありません。」
これは多分違うと思う。高御座はあくまで天皇の地位の人(男女問わず)のもので、御帳台は天皇の伴侶(これも男女問わず)のものなだけだから。勿論、それについての反論は受け付けます。
少し驚きました。
> 天皇制を廃止したら、きっとアベとかアソーとかが、玉座にふんぞり返るような気がする。
だからこそ天皇という存在が意味を持つのでは?(安倍さんと麻生さんはふんぞりかえるようなお人柄ではないと思いますが、) 時の権力者が全ての権利を握ってしまったらどうなるか、それは近くの二つの国を見ればわかるでしょう。麻原彰晃は自分が天皇になりたかったといいます。これは極端ですが、そんな事態も起こらないとは限りません。憲法第一条、国民の総意により、天皇は日本国民の象徴としてその存在を許されています。つまり民主主義を基調とした大多数の国民の意思による体制です。これは皇室の品格を信頼出来るからこそ続いている、誇るべき日本の歴史です。制度を廃止したい場合は、日本は民主主義ですから、まずは選挙で勝たなければダメです。皇室を潰したい共産党、社民党、立憲民主党などが与党になれば可能性はあるかもしれませんが、それでも国民の総意を崩すのは難しいかもしれませんね。
時の権力者が全ての権力を握らなかったのに大平洋戦争は起きてしまいました。
もし本当にそんな効力が在るのなら昭和天皇には明確に戦争責任がありA級戦犯として裁かれなければなりません。
主体的に戦争の決定に関わったということになりますから。
(そんな力が有るのに使わなかったのであれば極刑に値する)
昭和天皇がA級戦犯として裁かれるべきだったのか、それとも時の権力者に対してそんな効力など無いのかのどちらかを選んで下さい。