昨日「松阪の偉人たち展」を見に行ってきました。

6月7日~6月11日まで、先日私たちが展覧会をしたのと同じ

文化財センターでありました。

 

 

松阪市ゆかりの偉人は沢山いるのですが、今回は

蒲生氏郷、、本居宣長、松浦武四郎、大谷嘉兵衛、原田二郎、

国分勘兵衛、長谷川治郎兵衛、東畑精一の8人の資料や写真、

遺品などが展示されていました。

 

今日は蒲生氏郷について報告をいたします。

 

蒲生氏郷公顕彰会が展示しているブースの入り口です。

「氏郷年譜」「滋賀県日野市の銅像のレプリカ」「氏郷公画像掛軸」

「蒲生氏郷の紹介文」などが展示されています。

 

このうち「蒲生氏郷画像掛軸」は私が描いたものです。

会津若松市の興徳寺所蔵の蒲生氏郷肖像画を参考にさせていた

だきました。

 

 

蒲生氏郷は滋賀県日野市の日野城主の蒲生賢秀の嫡男として生まれ

ました。父賢秀は信長に降ったため、氏郷は13才で人質として岐阜城に

入りますが、信長は一目で氏郷の非凡さを見抜いて、信長が自ら烏帽子

親となり氏郷を元服させます。その後信長の娘冬姫を妻として迎え、数々の

戦功を上げていきます。天正12年6月信長亡き後の実権を握った秀吉の

命により松阪の松ヶ島城に入城します。

天正13年頃から松ヶ島城とその城下町を四五百森(よいほのもり)を中心

とした地へ移転させ松坂城とその城下町を築きます。その地名を「松坂」と

命名しました。

城の周囲に武家町、職人町、商人町、寺院を配置し、商業振興策にも力を

注ぎ、江戸時代の松坂商人の基を築きました。

 

松坂開府の2年後の天正18年8月に会津42万石へ移封になり、翌年72万

石の太守になります。文禄3年の検地により実質92万石となり、秀吉の配下

では徳川家康、毛利輝元に次ぐ大大名となりました。

しかしこの頃から体調を崩して40歳の若さで亡くなりました。

 

 

氏郷が築いた松坂城の城跡(国史跡)のシオラマと

出土した瓦も一緒に展示されています。