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カテゴリ:日々雑感
船橋市の中央部に位置する「取掛西貝塚」(船橋市米ケ崎町)で行われている3カ年計画「取掛西貝塚学術調査」の2年目の発見内容が2017年9月20日、報道関係者向けに説明された。 同貝塚は、飯山満町から米ヶ崎町の台地に位置する約1万年前(縄文時代早期前半)の遺跡で、全体面積は約7万6000平方メートル。これまでにもイノシシ7体とシカ3体の頭骨が配置された全国で5遺跡6例しかない動物儀礼跡が発見され、日本最古のものであることからも、全国的にも注目を集めている。 調査2年目となる今年は、対象エリアである畑地の西半分、約3万平方メートルで溝を掘るトレンチを設定。農地のため、農閑期に所有者の許諾・協力を得て、発掘調査、地形測量など、さまざまな調査を行った。 その結果、約1万年前(縄文時代早期前半)の竪穴住居跡7件、約6000年前(縄文時代前期)の竪穴住居跡3件、約2100年前(弥生時代中期)の竪穴住居跡6件などを今年新たに検出した。通常、住居と貝塚は別々の場所で見つかることが多いが、ここでは同じ場所で見つかっている。空き家となった建物に貝を置いていたことが考えられ、世代を超えて人が住んでいたのではないかという見方もできる。 文化課の道上文さんは「狩猟中心の時代に人々が定住していたことが分かり、環境が恵まれていた場所だったのではないかということが考えられる」と話す。貝塚を伴って、これだけの集落が台地全体に広がっているのは、関東最大級の規模で、さらに日本有数規模の集落跡であることが確実となっていきているという。土器は、縄文から弥生土器、弥生石器時代まで、整理箱に約14箱分も出土した。 昨年の調査では、約1万年前の汽水性ヤマトシジミなどの貝層が見つかっていたが、今年は約6000年前の海水産のハイガイやハマグリ主体の貝層が確認されている。ハイガイは温暖な場所に生息する貝であることから、地球の温暖化や、この時代には海がすぐそばにあったことも推測できるという。埋蔵文化財調査事務所所長の石坂雅樹さんは「ここは約1万年前から6000年前までの間に起こった環境変動のありさまを示す遺跡としても重要な場所」と話す。 3年間の調査の成果に基づいて、2020年度には国に報告書を提出予定。国や県と協議し、専門家による調査検討委員会で遺跡の価値を検討しながら、守るべき遺跡の範囲を確定し、国指定とする範囲を決定していく。 来年の農閑期には3年目となる「取掛西貝塚学術調査」を実施する予定。来年も遺跡見学会などを予定し、発掘体験や見学を希望する学校も受け入れていく予定だという。 = 船橋経済新聞 より= 実は・・・この約7万6000平方メートルは畑水田の土地と宅地。 近年、どんどん住宅開発されて殆どが新興住宅化されつつあり 十年ほど前に新築基礎工事中にこの歴史的発見の発端となった。 以降、船橋市の元で少しずつ発掘調査、地形測量されてきた。 ところでこの一区画には義姉が所有する土地も含まれている。 その殆どが藪区画のため、かなり手を入れないと宅地化ならず 不動産屋もさすがに手を出さず買い手もなかった。 義姉が生家から財産分与で譲り受け以来、 固定資産税だけを毎年払い続けてきた厄介物の土地だった。 この遺跡発見騒ぎで藪は伐採され調査後は藪区画は綺麗になる。 先日、これで漸く売れる~と兄夫婦は電話で話した 自分もそのことは知ってるだけに喜んだ だがひとつだけ心配が・・・ 既に建築許可がおりて基礎工事中に発見した場合、 調査後は埋め戻し家の工事は進められるが 売買前に国指定遺跡って、そう簡単に建築許可はおりるのだろうか~ 昔、上京した時に住んでいたアパートの隣り部屋に居たのが義姉。 時々、御飯をご馳走してもらったりして懇意にしてもらい 数回、米ヶ崎にある生家にも遊びに行ったこともある。 弟(自分)が世話になった縁で二番目の兄と結婚することに。 義姉生家は平野部と丘陵部の境目にあり 近くには意富比神社(おおひじんじゃ)があり まさか屋敷裏手にそんな大昔の遺跡があるとはね~ 縄文~弥生~・・・現代 同じ大地で一万年にも亘る 命を繋ぐ大和人。 壮大なロマンを感じるな。 当HP内の文章及び画像の著作権は当管理者に帰属します。 無断で複写・転載・使用することを固く禁じます。 ★blog等への『騙り投稿』『誹謗・中傷投稿』はお断り致します。 それとおぼしき投稿と判断した場合は当管理者権限にて削除致します。 尚、該当者ドメインは当管理者で把握しておりますので以後、 当サイトへの投稿規制処置をさせて頂きますのでご承知おきください。 thank you トンボが今は亡き大先輩から譲り受けた座右の銘 当hpも掲載中! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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