MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』15日目~16日目のまとめ。

 

【15日目】 2018年08月16日(木)放送 

 

旅の内容:●静岡県・龍雲寺[砂紋引き]▲近代日本楽器の歴史を学ぶ■出世城にあやかりたいくっすん★心を整え一直線に

 

スタートは静岡県浜松市・JR浜松駅。ゴールは静岡県浜松市・龍雲寺。約10キロのコース。

 

午前8:00、静岡県浜松市・JR浜松駅の北口前からオープニング。「カ~モンベイビー、昔偉。昔偉サイコー、くっすんです。」と、DA PUMPさんの『U.S.A.』の曲に合わせて、ノリノリのあいさつで登場。前のりしたビジネスホテルで、1人振りつけを練習したという。

 今回の修行は、砂紋引き。庭にひかれた砂利に、道具を使って紋様を描き、水の流れや山などの自然を再現する、THE枯山水のわびさび。

 

スタートから0.7キロ、浜松市楽器博物館に到着。平成7年にオープンした、日本で唯一の公立楽器博物館。

 

 博物館の前で、DJ風タレントU.K.として、くっすんが楽器を演奏する。およその視聴者は初耳だと思われるが、実は日本エアギター選手権(2005年)で2位の実力の持ち主。河田アナが「参加者数は5人ぐらいやったんですか?」と実力をあなどると、13人だと答えるくっすん(本当は8人)。

 

 気を取り直して、まるでギターがそこに見えるかのような、くっすんのエアギターパフォーマンスが始まり、実況する河田アナ。ギターを空中に高く放り投げて、その間にエア料理をする。食材を包丁で切り、まな板からお鍋に移し、煮込み、味見しオッケーサインを出して、落ちてきたギターをキャッチし、再びかき鳴らしフィニッシュのポーズを決める。「これが2位の実力。×2」と河田アナ。

 

 特別に開館時間前の館内を館長さんに案内してもらう。

 まずは、国内メーカーのピアノが展示されている、国産洋楽器コーナーから見学。電子楽器と、国産の明治からの古い楽器が展示されている。 

 

 浜松に日本を代表する楽器メーカー・YAMAHAKAWAIの本社がある理由を、館長さんにうかがう。

 紀州生まれの山葉虎楠は、諸事情で浜松に来て、明治20年に浜松の小学校にある、壊れた古いアメリカ製オルガンを修理した。それを機にオルガンに興味をもち、明治22年にYAMAHAの前身となる『山葉風琴製造所』を浜松に設立した。

 

 山葉虎楠を支えた技術者のなかに、河合楽器製作所の創業者・河合小市がいた。河合は、昭和2年に仲間とともに独立し、『河合楽器製作所』の前身となる『河合楽器研究所』を創立した。

 

 2大楽器メーカーが浜松にあることから、「楽器博物館つくろうや。」と30年前の市長さん(栗原勝)が言うてんとのこと。そんな説明を聞いて、河田アナは「っていうか、館長、めちゃくちゃ大阪弁ですね。」と親近感をおぼえる。

 

 館内には国内の楽器だけではなく、世界中の楽器が展示されている。インドネシアの楽器ガムランは、青銅製の打楽器を中心に太鼓・弦楽器・管楽器などが合わさった楽器。

 アフリカの展示コーナーでは、柱型の置物に見える巨大な楽器がある。タムタムという割れ目太鼓で、日本でいうところの木魚にあたり、棒でたたいて音を出す。

 

 国内外にはいろんな楽器がある、と学べる楽器博物館。我々日本人は、楽器は楽器屋さんで買ってただ音を出す楽器に思われているが、世界中には神様のように扱われている楽器がいっぱいある。それを見るだけでも楽しいし、音を聞けばもっと楽しいと館長さん。

 エアギター日本2位のくっすんは、「エアギターもそうですけど、楽器には魂がこもるだなっと・・・。」とまとめ、河田アナにエアだから楽器持ってないのでは、とツッコまれる。くっすんの脳内では、ちゃんと楽器を持っているらしい。

 

午前9:45、博物館を後にし、

スタートから1.5キロ、浜松名物うなぎパイを扱う『春華堂(本店)』を取材する。店頭には、ナッツ入りやV.S.O.P.ブランデー入りなど、いろいろな種類のうなぎパイが並んでいる。

 

 うなぎパイの誕生について、店長さんに教えてもらう。誕生は昭和36年。春華堂の2代目が、旅先で何処からきたか聞かれて、「浜松。」と答えたらピンとこないようだった。浜名湖の近くと伝えたら、ウナギが美味しいところだと反応があり、それならウナギをつかったお菓子を作ろうと開発された。

 

 せっかくなので、経費でうなぎパイ詰合せ(ノーマル・ナッツ入り・V.S.O.P.・ミニ4種セット)を購入し、店先で食べる。

 うなぎパイには、うなぎの骨と頭の出汁から作った粉末が配合されている。栄養価が高く、子どものおやつにぴったり。

 

 ノーマルのうなぎパイをサクサクぼりぼり、2人とも「間違いない(味)。」と普通に美味い。お酒の飲めないくっすんは、V.S.O.P.入りを食べて「ちょっと酔ってきました。」とリッチな気分になる。

 

 河田アナは、うなぎパイの包装袋に『夜のお菓子』と書いてあることが前から気になっていた。くっすんはスケベな想像をする。

 うなぎパイが売り出されたときは高度成長期(岩戸景気)の真っただ中で、大人はあくせく働き、家族の団らんの時間がなかった。そんな大人にうなぎパイを仕事帰りに買ってもらって、夜に家族団らんで食べてもらうと、このキャッチコピーをつけたという。

 

午前10:40、気温31℃。気温は高いが、爽やかな風に吹かれながら歩く。

 

 浜松市役所を横目に北に歩いていると、大阪府豊中市からやってきた、ガンバ大阪の熱烈なサポーターの女性に出会う。試合中応援するための、人の背丈くらいある大きな長い旗を持ってきていて、試しに振ってもらう。恥ずかしいと言いつつ、ガンバの応援歌を歌いながら振ってくれ、くっすんと河田アナもいっしょにノリノリでエア応援をする。

 ちなみにキックオフは午後7:00で、現在午前11:00。盛り上がるので、応援の中心で旗を振りたいとのこと。

 

スタートから3.5キロ、出世城こと浜松城に到着。元は曳馬城というお城だったが、1570年に徳川家康が入城して、増改築し浜松城と改名した。家康は29歳~45歳まで浜松城主として過ごした。

 家康は、天下統一を果たして江戸に移り住み、その後に浜松城主となった大名たちは、江戸幕府の重要ポストに抜擢された。そこから出世城の別名がついた。

 

 天守に向かう一行。出世したいくっすん、ちちんぷいぷいのスタジオで4時間座ってみたいと願う。河田アナが、生放送で4時間はちょっと厳しいとコメント。

 

 入城口から地元のボランティアさんに案内してもらう。昭和33年に再建された天守内で、若かりし頃のりりしい家康公のロウ人形を拝見する。年頃は31歳で甲冑をまとい、采配を手にしている。体形は、身長159センチ前後で筋肉質。数々の資料をもとに、歴史学者と造形作家が作り上げた人形。

 

午前11:45、お昼ご飯を食べるお店を探す。

 ラーメン・中華料理店の『濱松大王(有楽街店)』にて昼食。河田アナは『特製大王醤油ラーメン』+『大王餃子』、くっすんは『大王炒飯』+『大王餃子』を食べる。

 

 浜松市は宇都宮市と餃子消費量の1位を争う餃子王国。浜松の餃子は、たくさん食べられるよう、箸休めにもやしが添えられている。

 大王餃子は、具の野菜多めであっさり、いくつでも食べられる。

 

スタートから6キロ、これといった出会いもなく、1時間以上歩いている。残念ながら、そのままゴールまで出会いはない。

 

スタートから約7時間

スタートから10キロ、修行場の龍雲寺(りょううんじ)に到着。南北朝時代に、木寺宮康仁親王によって建立され、阿弥陀如来をご本尊とする。

 

 ご住職に砂紋引きについて教えていただく。さっそく、砂紋がきれいに引かれた、龍雲寺の庭園を拝見する。水を使わず、石や砂利などで、山や水の風景を表現する枯山水で、規則正しい起伏を作ることで美しい庭園となる。

 

 また、ただ美しいだけではなく、仏教の世界が再現される。龍雲寺の庭では、お釈迦さまがおわす極楽浄土を中心に、その前に海が広がり、左右のいる龍と亀が海を守っている、という世界観になっている。抽象的な表現で想像力が膨らみ、観る人によって視え方が変わる。 

 さらに同じ人でも心の状態によって視え方も変わるため、自分の心を見つめるための庭ともいえる。

 

 お坊さんは日常すべてが修行であり、庭を整える砂紋引きも、もちろん修行。

 龍雲寺では、企業を対象に宿泊研修・日帰り研修を行っていて、座禅・写経・精進料理といった、さまざまな修行が体験できる。

 

 砂紋引きの基礎知識を学んだところで、修行開始。曲線を引くのは、初心者にはかなり難しいということで、今回は約15メートルの直線を引く(1人当り7.5メートル)。簡単そうにみえるが、邪な心があると線が曲がってしまう。

 

 すでに引かれた直線を、ご住職が消して更地にならし、そこに2人が再び引く。まずは河田アナの番。農具のレーキのような道具を、両手でもってひっぱりながら後退し、一度に7本の線を引く。

 スタートから1メートルはまっすぐ引けたが、7.5メートルの直線を引く間に、2~3か所左右に少し曲がる。真っすぐ引こうという思いが強すぎたり、見守っているご住職に良く見られたいという欲が出たりで、乱れたとご住職の分析。

 

 続いて、河田アナの引いた砂紋の続きを、くっすんが引く。本人は無心で引いたというが、完全に線が大きく曲がっている。ご住職が「心が屈折している。」と的確にコメントする。無心どころか、多くの雑念に阻まれた。

 

 心の乱れを整えるため、境内の道場にて、一度座禅を行う。道場の壁には、縦4メートル・横16メートルの、世界一大きな般若心経が掲げられている。その般若心経の前で、座禅を開始。

 

そして有り難いご住職の説法も受ける。

ーーーイライラすること、いっぱいあるけど、イライラさせたアイツが悪いんじゃなくて、イライラしてる自分がいる。嫌な奴はいない。嫌だなと思う心があるから、嫌な奴に見えてくる。楽しい人生は生きられなくても、楽しく人生は生きられる。美味しいものは食べられなくても、美味しくものは食べられる。自分の心次第ですぐ幸せになれるし、逆に言えば自分の心次第で、金持ちや貧乏の心になっちゃう。全部自分の心次第だと、あんまりよろしくない。

 

 そして心を整えるため、くっすんは苦手な警策棒で4度叩かれる。思わず変なうめき声をあげ、隣の河田アナが笑いをこらえるのに苦労する。くっすんはなんとか泣かずにこらえ、砂紋を真っすぐ引ける確信を得たと話す。

 

 心の準備は万全、2回目の砂紋引きにトライ。座禅と説法でリフレッシュしたのか、河田アナは会心の出来。ご住職も真っ直ぐだと太鼓判を押す。

 続いてくっすんの番。1回目と比べ、誰が見ても明らかに真っ直ぐに引くことができて、ご住職も良いと認める。真っ直ぐにできた喜びを、全身で表現するくっすん。

 

 ご住職の総括。昔の人は経済的に豊かではなかったが、足元の幸せを見て心を整えて、楽しく暮らしていた。現代人は見習い、身近な幸せに気づき心を整えれば、充実した生活を楽しめるはず。

 

 最後に15か所目の御朱印、龍雲寺の御朱印をいただき、15日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:静岡県浜松市・JR浜松駅 → 浜松市楽器博物館 (0.7km) → 『春華堂(本店)』 (1.5km) → 浜松城 (3.5km) → 昼食:『濱松大王(有楽街店)』 → ゴール:龍雲寺 (10km) 

 

 

 

【16日目】 2018年08月23日(木) / 08月30日(木)放送 

 

旅の内容:●奈良・大峯山[山岳修行]▲母を想う女人結界ロッククライミングな修行場★断崖絶壁でヨメと子どもに懺悔?!

 

スタートは標高850メートルの奈良県吉野郡天川村洞川・母公堂。ゴールは標高1719メートルの大峯山寺。約8キロのコース。

 

午前8:00、奈良県吉野郡天川村洞川にある母公堂の前からオープニング。好評を博した?山岳修行シリーズ第2弾。「日頃の修行の成果を、今日はお届けしたいと思います。」と気合十分のくっすん。だが、内心は不安しかない。

 

 山頂まで5~6時間、下山に2~3時間かかる見込み。「やるしかないです(エコー)。」と、くっすんのカラ元気が大峯山にこだまする。だが、2015年5月に放送された『百人一首の旅』で、大峯山に登ったときの苦しかった記憶がよみがえる。そのときは台風の影響で、ゴールできずに途中下山という無念な結末に終わった。なので、雪辱を果たしたい

 

 まずは、母公堂で旅の安全を祈願する。大峯山の修行場を開いた役行者、その母親を祀っている。大峯山は修行場として、昔から今日までずっと女人禁制であり、女性は入ることを許されない。

 

 飛鳥時代に役行者が山に入って修行していたとき、心配になって大峯山を訪れた母親。母親が山の麓で大蛇に襲われたので、役行者はこの地にお堂を建てて、女人結界を張った。

 高度成長期だった昭和45年、多くの木材が必要とされ、女性の力を借りて山を開拓した。その際、お寺や村人が集まって議論した結果、女人結界門を山側に2キロ移動させた。

 

午前8:30、木々の間から青空が見え、気温21℃と快適。

 

スタートから1.5キロ、土木作業員の男性3人と出会う。「泣いたらアカンで。」と励まされ、「ちょっと今日は自信ないです。」と本音をポロリのくっすん。皆さん何べんも大峯山に登ったことがあって、後半が大変とのこと。ヘタレなくっすんは、絶対泣くと断言される。

 

 そのすぐ先、山の麓の『大橋茶屋』にて、予約していたお弁当を購入する。

 

 行者服に着替えて、山岳修行開始。

 危険な行場があるため、山先達の梶さんに案内してもらう。大峯山の山先達になるには、洞川で3代に渡って生活しないとなれない。梶さんは、1年で1,000人以上に山の案内をしている。

 

 山の入口からは、絶叫ポイントの修行場・『西の覗』と頂上付近が見える。道中の安全を祈願して、いざ出発。

 

 女人結界門を潜ると、なんだか霊験あらたかな空気を感じる2人。歩きながら、梶さんに大峰山の歴史についてうかがう。

 1300年ほど前に大峰山を切り拓いた役行者は、自らに苦しい行を課し、自分自身を高めていった。自分を高めることで、困っている世の人をも救える。

 一般の人に大峯山寺の参拝が広まったのは江戸時代で、多いときは1日1000人の参拝者が訪れた。

 

 あれこれ聞いているうち、「もう、しんどい。」と開始15分でくっすんの弱音が開始される。

 

午前10:00、石に座って休憩しているおとうさんと連れに出会う。奈良市から来た3人組で、1人は先行して上の方へどんどん登っているという。親父さんから行者講を引き継いで、かれこれ50年経つ。

 行者講は、関西を中心に昭和の初めまで盛んに結成された、大峯山へ参拝する団体。五穀豊穣を願って、地域の代表者が代参する。

 

 休憩中のおとうさんと別れて、先を急ぐ。梶さんに、山で参拝者の方に出会った場合、「ようお参り。」とあいさつするよう教わる。

 

 急な足場が続き、「休みたい。眠りたい。」とくっすんの愚痴も続く。

山に入って1時間、

山に入って2キロ、スタートから4キロ、全道のりの3分の1の地点にある『一本松茶屋』に到着。

 

 茶屋で休んでいた先客、三重県からお越しの、小学生の男の子3人と引率の大人の方に出会う。本日は山の頂上まで登る予定で、西の覗も挑戦するとのこと(子どもでも体験できる)。子供たちはここまでの道のりを、「大変でした。」とか「疲れました。」と言っているが、その割に涼しい顔をしているようにみえる。

 「おじさんも楽勝。」とくっすんはカッコつけるが、シャワーを浴びているような汗を流した険しい顔では、説得力がない

 

 2人も椅子に座って休憩する。今回は道が険しいのに加え、往復12キロの山道に時間がかかるので、早いペースで登っているため、体力の消耗は激しい。唯一救いなことは、低い気温。

 

午前10:40、一行は再び歩き出す。山登りのウォーミングアップも済んだので、山岳修行の定番、掛念仏を行う。梶さんのリード『懺悔 懺悔。六根清浄・・・。』の後に続いて、念仏を唱える。日ごろの行いを振り返りながら、お腹の底から声を出すことで、六根[眼・耳・鼻・舌・身・意]を清める。

 

 後ろで掛念仏を行っていたくっすんに、河田アナが物申す。D.J.風タレントなのに微妙に音程を外すので、引っぱられてやりにくいと。くっすんは、一生懸命やっているのに言いがかりはやめてください、と跳ね返す。

 

山に入って2時間、掛念仏を唱えながら登っていると、くっすんが休憩を所望するが、梶さんに即却下される。どうしても休憩したいので、スタッフさんにも聞いてみるが、休憩しなくても大丈夫と答えられる。

 山の半分ぐらいまで進んだところで、疲れをみせるくっすん。立ち止まる回数も増え、「家に帰りたい。×2」と愚痴る。

 

 疲れたくっすんがとった策は、ADのタナカくんに後ろから背中を押してと頼むこと。さらに、ばれたら怒られるので「河田さんが振り向いたら、すぐ離れて。」と付け加える。しかし、スタッフさんがくっすんのズルをすぐに暴露する。

 

 ADのタナカくんは、前のリュックにみんなの飲み物、背中のリュックに三脚などを入れ、都合6キロほどの荷物を携行している。ズルの罰として、タナカくんの前のリュックを持ってあげるよう、河田アナから言われる。それはズッシリ重たく、くっすんはフラフラでひーひー言いながら歩く。

 

午前11:30、罰をうけながら進むこと100メートル、

山に入って4キロ、スタートから6キロ、標高1500メートルにある『洞辻茶屋』に到着。土日のみ営業している売店があり、各種食べ物・飲み物を取り揃えている。

 

 お茶屋で座って、麓で買ったお弁当で昼食。河田アナ・くっすんともに、『行者弁当』+洞辻茶屋で買ったあったかい『みそ汁』を食べる。行者弁当は、大きなおにぎり3つにたくわん・梅干しなどご飯のお供が付く。

 疲れた体にとって最高にうまい塩味の効いたおにぎりを食べ、至福な時間。「ここからが本当の厳しい行場になりますんで・・・。」と梶さんが気持ちを引き締めさせる。

 

午後1:20、気温21℃、洞辻茶屋を出発。そして、世界遺産の『紀伊山地の霊場と参道道』に突入する。しばらく進むと、次の目標地点・『鐘掛岩』の行場が見える。

 

 頂上から戻ってきた、参拝者の男性に出会う。一人で登山して、今回で3回目の大峯山登頂とのこと。男性からの情報では『男は(大峯山を)3回上がれ(男しか上がれないけど)』といわれてるらしく、めでたく達成。大峯山登山で「人生の道が開けそうな気がする。」と魅力を語ってくれた。

 

 次の休憩所を通り過ぎると、さらに道は険しくなる。えげつない角度の階段は、案内人でも何回登ってもキツい、と梶さんがおっしゃる。

 

山に入って4時間30分、

油こぼし』という厄介な坂を登る。雨が降った際、油をこぼしたように滑りやすいことから名が付いたとされる。ものすごく急な角度の坂を、3本の鎖に順々に掴まりながら慎重に上がる。

 

 『油こぼし』を越えたところで、ルート分岐地点。右に行けば登山道、左の脇道に行けば行場に出る。体に負担が大きい道のりで、くっすんは満身創痍。

 

山に入って5キロ、スタートから7キロ、標高1620メートルにある絶景ポイントの展望台で、一息入れる。その高さから、年に3人くらい高山病っぽい症状の人を見るという。くっすんが「僕、実は、さっきからちょっと、吐き気がしてます。」と言って、梶さんにすぐにエセ高山病だと断定される。

 

 展望台から後ろを向くと、先ほど下から見えた『鐘掛岩』の修行場。真近で見れば大迫力で、もはやロッククライミング。高さ20メートル・ほぼ垂直な岸壁を命綱なしで、鎖に掴まりながら登っていく。危険なので先達の方が同行していないと、修行はできないきまり。

 3人は鐘掛岩を登り、スタッフはう回路をとる。

 

 梶さんに「自分自身に迷いがあったりしたら、余計危ないものになりますんで・・・。」と注意を受ける。迷いの見えるくっすんに、一同の注目が集まる。「行きたいと思えるかって言ったら、思えない自分がいて、でも僕は、生まれたいんです・・・。だから、行きます。」と決意表明するくっすん。この期に及んで逃げるのではないかと思った河田アナは、それが聞きたくて、ヤキモキしていた。「だって落ちたら20メートル下で死んじゃうじゃないですか。恐いけど、行こう。」と、目をギュッとつぶり歯を食いしばった表情で拳を握りしめ、最後の覚悟を決める。

 

 勇敢な河田アナも、風が強くなって一抹の不安を感じる。山の天気は変わりやすく、晴天だった空が雲に覆われる。ぐずぐずしていると、中止に追い込まれるので、鐘掛岩に精通している山先達の梶さんが先行して、あとにくっすん、河田アナと続く。

 強風吹きすさぶなか、梶さんから指示される、手や足の置き場所にしたがい、恐怖心を振り払って、ひたすら無心で登っていく(今回の山場なので、予算を惜しみなく使い、迫力あるシーンをドローンにて空撮)。

 

 くっすんは、泣きごとや弱音を封印し、ただ上にたどり着くことのみ考えて、登る。鐘掛岩の上に着いたときは、フッと気が抜けるが、「(よ)しゃっあぁ。」と試練を乗り越えた男前な面構えになる。

 後に続く河田アナも真剣そのもの。リポートする余裕もなく、登ることだけに集中する。15分かけて、ついに河田アナも制覇。やり遂げた2人は、感動を分かち合う。

 

 鐘掛岩の上から見下ろす世界は、格別すばらしい。くっすんはゴールしたと勘違いして涙を見せるが、そうではないと河田アナが教える。「違うんですか?これを登ってまだゴール違うんですか?」と、いつものくっすんであった。

 そして、鐘掛岩の恐怖体験を早口で余すことなく語る。「あーあ、怖かった。途中ホンマに止めたいと本気で思って・・・。でも、後ろに河田さんいるから、もう迷惑かけられんし、あー登るしかないと思って。でとにかく(後ろを)見ないでいようと思いまして。」と。後ろが見えそうになった瞬間、ゲロを吐きそうになったほどである。

 

 

 

 頂上の大峯山寺までは、残り1キロほど。しかしもう1つ、大峯山を代表する行場が2人を待ち受ける。

 鐘掛岩を越えると、すごいゴツゴツした足場で、歩きにくい。

 

足場の悪い岩場を歩くこと500メートル、

午後3:10、

山に入って5.5キロ、スタートから7.5キロ、『西の覗』に到着。早速、下を少し覗いてみると、真っ白でなんも見えない。

 

 『西の覗』は1本の命綱を頼りに、300メートルの谷底に向かって身を投げ出す行場。決死の覚悟でのり出すことで仏の世界を覗き、雑念や煩悩を断つことができる。

 自分では身に覚えがないけど、しゃべったことで他人を傷つけてしまうことがある。それも悪意のうちに入るので、そういった悪意を西の覗で懺悔して生まれ変わることが大事。

 

 断崖絶壁、行者は岩場の突端にあるくぼみに寝そべり、スーパーマンが飛ぶようなポーズをとる。河田アナが「このロープ、大丈夫っすか?」と、命綱に大きな不安を感じる。長年の使用で、使い込まれた感がハンパない。さらに、ロープ先の人の体重を支える引っかかり部分に、「グリップ弱ないっすか?」と、アナウンサーらしからぬ言葉でツッコむ。そんな頼りがいあるロープを、3人で支える。

 

 江戸時代には一日百人ほど西の覗きに挑み、大変混雑していた。渋滞を緩和するため、『東の覗』という場所でも修行が行われていた(現在、立ち入り禁止)。

 

 命綱をランドセルのように背負って、まずは河田アナの番。ほとんど躊躇をみせず、河田アナが身を乗り出す。むしろ、はたで見ているくっすんの方が、恐くて大絶叫する。

 

 梶さんの祈祷と問いかけで、家内安全・無病息災を祈願し、親孝行・嫁孝行を誓う。

 そして、日頃の行いを懺悔する。スタッフさんが河田アナのヨメから聞いた情報から、「強引に誘導して、子どもに空手を習わそうとしてるみたいですね。」ときりだす梶さん。想定外のネタに、河田アナも極限状態なのに思わず笑ってしまう。

 「子どもはあまり興味ないのに、空手の映画を見せて、『空手したら強くなる。』って、『カッコいいやろ。』って言って、洗脳しとるみたいやな。奥さんが強引すぎるって引いとるぞ。子どもの意見も聞いて、やるんやで。」と河田家の実情が明らかになる。クライマックスで、河田アナの体がさらに崖から突きだされ、最大限の懺悔をする。

 

 無事生還を果たした河田アナの感想。崖下は真っ白に見えるが、岩が百メートル下まで確認できた。空手の件に関しては、良かれと思ってやったが、結果的にはヨメさんを困らせている(悪意)。「やり方を、もうちょっと考えます」と、反省する。

 

 続いてくっすんの番。デジャビュ―の逃走・・・かと思ったら、すぐ近くに隠れている背中が見えている。

 直前、とにかく雄たけんで恐怖するが、崖から身を乗り出すと、声も弱くなり気絶寸前・・・。お決まりの祈祷と問いかけが河田アナのときと同様に行われる。

 

 そして、日頃の行いを懺悔する。スタッフさんがくっすんのヨメから聞いた情報から、「1日に何回も、急にかくれんぼ始めてるらしいな。」ときりだす梶さん。しかし極限状態のくっすんは、もう上の空。

 「お前は子どもか。何歳や。しかも、探さないとすねて、ダダこねるらしいやないか。家族みんな困っとるらしいぞ。」と、くっすん家の実情が明らかになる。

クライマックスで、くっすんの体がさらに崖から突きだされ、最大限の懺悔をする。かくれんぼはもうしないと誓う。

 

 無事生還を果たしたくっすんの感想。意識が遠のき魂も抜けてしまった、まさに虚脱状態。「も、も、も、も、戻してください。」などと繰り返し、混乱している。かくれんぼの件に関しては、ヨメさんが自分に興味があるかどうか試すために行っており、河田アナが「相当たち悪いな、それ。」と悪意を感じる。

 喉元過ぎれば何とやら・・・、くっすんが「それは、懺悔しません。」と言うので、「すいません。もう1回お願いします。」と河田アナ。

 

 行者服に『大峯山西之覗荒行済』の印をもらい、最大の難所を越えた。

 

 『西の覗き』からゴールの大峯山寺までは、残り500メートル。歩きつつ、さっきの修行を振り返る。くっすん曰く、「ホントに怖くて怖くて怖いときは、もう意識が遠のいていって、涙も出ない・・・。」。

 溜まった疲労で重い足を、気力を振り絞って前に出す。

 

午後3:50、

山に入って6キロ、スタートから8キロ、標高1719メートルの山上ヶ岳の頂上に到達、ゴールの大峯山寺に到着。参拝期間は、例年5月3日~9月23日まで。飛鳥時代に役行者が金剛蔵王大権現を祀ったのが始まりとされる。

 1691年に再建された本堂は、日本一高いところにある国の重要文化財。

 

 

 2人は、本堂で蔵王大権現を前に手を合わす。16か所目の御朱印、大峯山寺の御朱印を御朱印帳と行者服にいただき、大峯山の山岳修行を無事終えた。

 

修行を終えてのくっすんの感想ーーー

もうホントに大変過ぎて、心折れながらでも登り続けたことで、ちょっと強くなれたのかなと思いたいです。

 

 梶さんも、よく荒行をやってくれたと称えてくれる。その後に、別のルートにある『裏行場』の存在をさらりと聞かされる。聞いただけで、ヤバそうな雰囲気を感じる2人。そこは、数々の難関が待ち構えていてる1キロの行場で、メインディッシュ?の平等岩は、断崖絶壁の岩を、命綱なしでグルリと回る、究極の荒行が行われる。

 

 「3回目は裏行かねて、個人的に案内させていただきます。」と梶さんからお誘いをうける。河田アナは笑顔で3回目もあるかなといった感じで答えるが、くっすんは、「未完成なのが、僕の魅力なんです。」と、ごめんこうむる。

 

 ここから撮影はないが、2時間ほどかけて下山する。「ドローンにぶら下がって帰りたい。」とシミジミ思うくっすん、河田アナも同意見であった。

 

■簡易チャート

スタート:奈良県吉野郡天川村洞川・母公堂 → 『大橋茶屋』 → 『一本松茶屋』 (4km) → 昼食:『洞辻茶屋』 (6km) → 『鐘掛岩』(7km) → 『西の覗』(7.5km) → ゴール:大峯山寺 (8km)