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皆様、こんにちは。
ラビ村家では、今日、今年の冬になって初めて暖房を使いました。
それにしても、今年は暖冬だったのね~と改めて思います。
11月末まで暖房なしで過ごせたなんて、ありがたいことです。
さて、今日は少しだけ、最近、感じたことをお話しできたらと思います。
私には恵まれたことに、自作の小説作品を読んで頂ける方が周囲にいます。
ネットにあげた作品を読んで下さる不特定多数ではなく、リアルの知人です。
ですが、最近、
ーあ、もう、この人は、、、
と思ったことがありまして。あまり愉快な話ではないので、ここでお話ししようかどうか迷ったのではありますが、
良かったら聞いて下さいね。
知り合いのAさん。教養も豊富で、ある意味では文章道の専門家でもある人、年齢は詳細は知りませんが、
40代から60代くらいではないかと思われます。
この方に、私はもう長らく作品を読んで貰っていました。
しかし、数ヶ月前に届いた感想コメントに、私は青ざめました。
ただ、この指摘は「誤字脱字、仕上げ」についての指摘であったので、私は冷静になって反省しました。
自分では何度も見直したもつりだったけど、やはり足りなかったなと、、、
なので、次作では校正作業も念には念を入れました。
「完璧」とは言えないまでも、自分では「徹底的」にやりました。
すると、今度は
ーそんなこと、現実的なありっこない。
と、感想が来ました。
その瞬間、
ーああ、これはもう駄目だな。
と、悟りました。誤字脱字とか、構成上のミスとか作品についての指摘ならばともかく、
物語について、「あり得るかどうか」を論じられてはもうそれは
ーハイ、そうですか。
としか言いようがない。
そのストーリーはいわゆる韓流ドラマにあるような設定でしたが、それを「あり得ない、非現実的」と言われてしまえば、
もう読んで貰うことはできないと私は思わざるを得ませんでした。
思えば、元々、時には人が変わったように辛口になるAさんが更に言いたい放題になったのは
緊急時代宣言が出た頃からでした。
首都圏にお住まいです。
プライベートは一切語らない人だったので、10年来の付き合いがありながら、私は彼女について殆ど知りません。
しかし、時々、届く手紙の行間からは一人暮らしではないかと思える節がありました。
緊急事態宣言が出る前の二月くらいまでは、特に手紙の文面も変わりませんでした。
長い付き合いの間には、たまに激高というか、かなら感情的な批判のコメントも届きましたが、
それは許容の範囲内でした。
ですが、五月くらいでしょうか、その誤字脱字の指摘で、かなり言いたい放題のコメントが届いたのは。
思えば、その頃、首都はコロナの第二波が来ていたのですね。
手紙には
ー外国旅行も行けず、ストレスが溜まる一方。
と、「お家時間」で日々、溜まる鬱屈のことが書かれ、
ー思いついて色々なことをしてみるが、外出もままならない毎日に苛々します。
と、言うようなことが書かれていました。
その時、私はふと、もしかしたら私は八つ当たりされたのかもしれない、、、と考えました。
長い付き合いとはいえ、逢ったこともない、名前と住所くらいしか知らない人。
お家籠もりが長引き、ストレスが溜まる日々のはけ口にされてしまったのか、、、
その想いが拭えませんでした。
でも、誤字脱字が目立つというのは、これは作者としては失格なのは当然なので、
指摘をありがたく受け止めて、作品の大幅な見直しと訂正を行いました。
また、内容についても一部、指摘を受けた部分は書き足したりもしました。
頂くアドバイスは謙虚に受け止め、至らないところは直すというのが私の基本姿勢だからです。
しかし、直近で届いたコメントはもう我慢の限界を超えていました。
言うならば、重箱の隅をつついたような批判。
ドラマを観て、「あり得ない、非現実的」というなら、そりゃ「もう、観ないで下さい」としか言いようがないですね。
だって、ドラマは「あり得る」前提で作っているんだから。
時ここに至り、やはり私はストレス解消のはけ口にされてしまっていた、、、と
感じました。
私の作品や私つにいて、本当に「良くしてあげよう」と心底から思ってのアドバイスなら
まだ辛口だとしても耐えられもしたし、受け入れられもしましたが、
感想や批判にもならないような感情的なだけの言葉をぶつけられても
私には対処のしようがない。
長い付き合いでしたが、ここでお別れするしかないのかなとの決断に至りました。
思えば、その方とは一度、似たようなことがありました。
そのときは、私、感情的な言葉を投げつけられたのは初めてで動揺して
自分も「売り言葉に買い言葉」的な返事を書いたんです。
が、しばらく時間をおいて、その手紙は出さずに「当たり障りのない返事」を書いて出しました。
今でも、その出さなかった手紙は残っています。
もし、その手紙を出していたら、その人との付き合いは続いていなかったと思います。
でも、流石に私は懲りて、もう作品を読んで貰うのは止めました。
すると、今度は、その人から手紙が来て
ー是非、読ませて。
と言うので、そこからまた交流が再開しました。
そんなことが過去にも実は存在したんですね。
だから、今回の出来事もそこまで愕くほどではありません。
長い付き合いの間には、愉しいこともお互いにあったし、何よりも拙い作品をたくさん読んでくれた方なので、
本当に、その方に対して心に思うところはありません。
でも、これ以上、おつきあいを続けても不愉快な思いをしそうなことは予想できるので、
お互いにこの辺りにした方が良いのかなと思います。
私も、あまりに酷いことをこれ以上言われたら、いつまで我慢できるか判らない。
売り言葉に買い言葉になってしまって、折角の愉しい思い出や時間までを台無しにするのは哀しすぎます。
まだ穏やかに手を引けるときに。
そんなことを思いました。
それにつけても、言葉というものは本当に暴力にもなり得るものだと改めて思います。
もしかしたら、向こうはには悪気はないし、
自分が憂さ晴らしをしているなんて気もないのかもしれません(気づいてないところが余計に始末が悪いですが)
だけど、誰に対しても、あんな物の言い方をしてたら、その中、周囲から誰もいなくなっちゃうんじゃないか。
余計な心配もしてしまますが、まさに余計なお世話でしょう。
あまり愉しいお話ではなく、申し訳ありません。
私も長い付き合いの方なので、本当にどうしようかと思い悩みました。